新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

水と砂、およびきわめて高濃度の酸素。

押切もえが「飛行機内の湿度は0%」だと書いているのを読んだことがあるが、なんとなくそれは云いすぎだという気がする。

だが機内の湿度はたしかに低く、それは金属でできた機体を腐食から守るためだというのはおそらく事実だろう。

世界初の旅客機が金属疲労から悲惨な事故を招いてからこっち、航空機の歴史は金属の限界との戦いの歴史だ。

飛ぶことはできるのだろう。だが飛び続けるためには空気に漂う微細な水分子までを排除しなければならないというわけだ。

他方、アメリカの砂漠における死因のナンバーワンが「溺死」であるというのは有名なトリビアである。

ごくまれに降る雨は乾燥しきった砂の大地には吸収されず、低きに流れ、しばしば激流となって谷間を走る道路を襲う。

そうなると旅行者たちに逃げ場はない。


カジノフロアではコンプレッサーが酸素の濃度を高めている。

カジノにとってプレイヤーはプレイすることが重要なのではなく、プレイし続けることが重要だから、そのために必要な酸素は無料で提供されるのだ。

なぜならばよく誤解されがちなように両者の優劣を決定するのは運やセオリーではなく、ましてやルールの偏りですらなく、時間だということをハウスは知っているからだ。


旅人たるプレイヤーにはある日「明日」がやってこなくなり、ラストゲームが訪れる。

だがそれでもハウスはダイスを振り続ける。さらに1回。さらに2回。

そのとき昨日まであったはずの「次のチャンス」に、もはやプレイヤーでない彼の手は届かない。

この事実をカジノは決して忘れない。

上品なほほえみを浮かべ、襟ひとつ乱すことなく、カジノは礼儀正しくそのときを待ち続けている。

そして夜通し続く喜怒哀楽のざわめきの底で、コンプレッサーは淡々とフロアに酸素を送り込む。

プレイヤーがプレイヤーであり続けることのできる時間より、ほんの少し長くカジノがカジノであり続ければ、彼らになにも危ない橋を渡る必要はないというわけだ。