新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

ビギナーズ・ラックが新兵たちを救ったか?

「コーヒーのお代わりはいかがですか」
テーブルの脇に張り付いた男が尋ねるのは3回目だった。訊かれる度にイエスと応じることに決めていた僕はもう一度命じた。「イエス、プリーズ」
僕が時差の計算を間違えたせいでT氏は1時間も早く朝食に起こされている。言い訳ではないが海外にいるときというのは前日の疲れが少し残るぐらいがいい。休みすぎると緊張が緩み、感受性のレベルが下がる。
8階にしては下界が随分遠くに見えた。
ホテルの最上階にあるクラブで朝食をとりながら見下ろすダッカの街路は、何をするやら信じられないほどの人波に洗われている。鳴り続けるクラクションは目ざめたときから片時もやまない背景音だ。
「オムレツはどうですか?私が自分で焼いたんですよ。おいしいですか?」それを聞くのも3回目だ。
「おいしいよ、とてもおいしい」それはいいからケチャップを持ってこいというのが本音だった。セロリのクセを強くしたような野菜が入っている。

バングラデシュは決して縁もゆかりもない土地ではなかった。
僕にはバングラデシュに学校を建設することをライフワークにしようとしている友人がいて、僕は彼の手伝いをすることをライフワークにしようとしているが、しかしなぜバングラデシュなのか、彼には幾度尋ねても要領を得ない。
もっとも今日びバングラデシュを支援している日本人はそう珍しくもない。人がバングラデシュに手を差し伸べようとするとき、なぜそれがバングラデシュなのかを知ることが、僕が自分に課したミッションその2だった。

日程がスタートするまえにとT氏にその考えを伝え、タバコを消した。では一度部屋に戻って支度をしたら、ロビーで待ち合わせましょうと云おうとしたら、また男が声をかけてきた。「コーヒーのお代わりは?」
「イエス、プリーズ」どうせ早く起きたのだ。時間はまだある。

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色も形もとりどりの日本車が三台、車寄せに到着したときにはすでに予定時間を大きく回っていた。
理由は聞かなくてもわかっている。渋滞だ。ホテルを取り囲む塀のなかにいても、蝉時雨のように押し寄せてくるクラクションとエンジンの音でトラフィックの凄まじさはおのずと知れた。同情こそすれ到底責める気にはならない。
何があるかわからないと装備品のすべてを詰めたバックパックを担いで車に乗り込もうとすると、脇にいた緑のベレー帽の男が敬礼をした。
「ボディガードが来てます」T氏に教えられてあたりを見回すと、制服にベレー帽の男に加え、見慣れぬ迷彩の軍服に身を包んだ兵士が三名、我々の車列を囲んでそれとなく警戒にあたっている。
ベレー帽の男はでっぷりとした腹を突き出し、愛嬌のある口ひげで隊長然としてはいたがどちらかというと警官に見えた。他方軍服の三人は昨夜見かけた衛兵のように火器こそ帯びてはいないものの、あきらかに軍隊仕込みの「休め」で僕が車に乗るのを待っている。
これはと、僕は思わず怯む。やり過ぎではないのか。
安全には万全を期してと云われてはいたものの、何ら要人でもない年端の行かぬ三十男だ。コストはともかくこの仰々しさは慣れぬという以上に滑稽で、あたかも「バングラデシュにとり必要欠くべからざる客人」を自ら気取っているかのように思われないかと、わざわざ現地人の視点に立ってまでして恐縮したのである。
いまさら詮なきこととは云え、ひとこと云っておこうと思ってT氏の方へ向き直り、しかしそのいくらか疲れが残ってはいるが平然とした表情をみて思い直す。

ものの分かった大人なら、三千円だけパチンコを打つなど自殺行為だと口を揃えて云うだろう。
だが訳知り顔の子供たちはしばしばそれっぽっちの小遣いを握りしめてパチンコ屋へ向かう。ビギナーとはそういうことなのだ。そして無邪気であること自体は罪でないにもかかわらず、罰はくだる。
してみると僕はまさしくいま輸送機からサイゴンに降り立ったばかりの新兵であるのかもしれず、訓練を受けたからには一人前だなどと思い上がっていると、一緒に届いた死体袋は2日後にはまた僕と一緒に本国へ向かっているかもしれない。

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三人の子供を連れて犬の散歩をしていた叔父が休憩しようと云いだしたのは寒空の下、立ち寄った公園のなかだった。
「なんか飲もうよ」そう云って我々の歓心を呼んだ彼がポケットから取り出したのは200円だった。子供の数にも満たないはした金だ。
「ええと、200円で、3人がジュースを飲むには・・・・」
云い淀んだ彼の言葉を娘が継いだ。
「1本当てればいいんだ」
「・・・・それだ!アタリ付きの自販機を探せ!!」
恐るべき父娘だと、僕は思った。
ポジティブ・シンキングと呼ぶには節操のない、それは少年の目から見てもあまりにリスキーな、野放図なオプティミズムだった。
云うまでもなく抽選はハズれた。
では仕方がないので2本のジュースをみんなで回しのみしようという叔父の裁定は、いま思えば政治的テクニック、すなわち不本意な結果の責任は天に帰すべしとし、納得を取り付けて、しかる後に調整するという犬の散歩にはもったいないほど高等なプロセスを踏んだものであった。
しかし妥協や恫喝やといった交渉ごとに疎く、まだ「アルセーヌ・ルパン全集」に没入しているような子供だった当時の僕には、己の幸運を妄信するかのごときこの一族に対する得体の知れない恐怖だけが残った。

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ビギナーズ・ラックなぞ、おまけに過ぎない。それを頼りにする愚を犯してはならない。
あの日、アタリのジュースにありつくはずだった僕だけが望む銘柄を手にすることができず、あとの二人が選んだ甘ったるい疑似果汁の炭酸を分けてもらうようなハメになったのだ。冗談ではない。

思い直した僕は何事もなかったかのようにRV車の後部座席に身を落ち着けた。
兵士たちは一台前のワンボックスに乗り込み、窓から歩行者に指示を出して車列が道路に出るためのスペースを作ろうとしている。
快晴だ。まさに雲ひとつない。
まったく週末らしさを感じさせないダッカ市内の雑踏へ、我々は乗り込んだ。