新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

&quot&#59;She is noble.&quot&#59; - そして社会は時代の要請する産業へ若者を送り込む。

そこは青空教室だった。


校舎内に作られたいくつかの教室は、おのおの90人前後の子供たちであふれんばかりになっており、校舎の一番端には教室に入りきれなかった、これも同じくらいの人数の子供が地面に敷いたビニールシートのうえで授業を受けていた。


Aさんの紹介を受けて靴を脱ぎ、ビニールシートのうえの架空の教壇に立った。木の枝か何かにぶらさげた黒板があった。


小さなコンビニ程度のスペースに所狭しと座り込んだ子供たちの好意と好奇心はとてもストレートで、もぎたての果実のように香しい。T氏に奨められて黒板に漢字で名前を書き、自己紹介すると大きな歓声が沸き起こった。


「日本の文字ですよ」と先生が口添えする。


頭のなかには用意してきた原稿があったが、10歳そこそこの子供を相手に英語のスピーチは無理だ。Aさんの進行に委ねることにし、T氏の助けを得ながら僕は彼らからの質問を受ける。


次々に手を挙げる子供たちのベンガル語を、Aさんが英語に訳してくれた。




日本はどんなところですか。


同じアジアだけれどここからは随分遠い国だ。夏はここと同じように暑いけれども冬は寒い。いまは2月だけれど、ときには雪が降るよ。




日本人はどんな暮らしをしていますか。


日本人の数は君たちよりも少し少ない。けれども日本には人の住める場所があまりないから、みんなが家には住めず、とても高いビルを建ててそのなかに住んでいる。ビルのなかに住んでいるんだ。ここではきみたちは家を建てて地面のうえで暮らしている。そっちの方が随分いいと僕は思うよ。




日本の子供たちはどんなところで勉強していますか。


日本の政府は立派な設備をたくさん作って子供たちはそこで勉強している。ここのように広い土地はないから遊べる場所は限られているけど、外で授業を受けなければならないということはない。




とりわけ利発そうな、少し背の高い女の子が手を挙げた。指名されると起ち上がり、緊張した面持ちで何かを口にした。先生たちが僕の様子に注目する。


「これは少し答えるのが難しい質問かもしれません」Aさんが僕の耳元でささやいた。


「構いません。彼女は何て?」


Aさんはさらに低い声になって、彼女の質問を僕に伝えた。


「私たちのために、屋根のある学校を贈ってくれることはできますかと、彼女は訊いています」


予測できた質問だった。


僕はAさんに向かって云った。


「もちろん多くの難しい問題があり、解決しなければなりません・・・・・ですが努力を約束すると伝えてください。努力を約束します」


僕の答えをAさんが通訳すると、子供たちから一斉に大きな拍手が巻き起こった。仕方がない。


彼女の希望も、僕の答えも仕方のないことだ。ただ彼女の希望を裏切るのか、それに応えるのかということだけが僕次第になるだろう。




「彼らに質問はありますか?」Aさんが尋ねた。


T氏が答える。


「将来の夢を訊いてくれ。何になりたいのかを」


子供たちはまた、手を挙げて自分の夢を語り始めた。


「先生になりたいです」


「政府職員になりたい」


「医者になりたい・・・・この村には医者がいないから」


また別の少女が立ち上がり、口ごもりながら何かを話した。


Aさんが、今度は驚いたかのような顔をして云った。「野良パスタさん、彼女の答えは尊いものです」


少女は教師になりたいと答えた。無償で子供たちを教える教師になりたいと。


この村には学校へきたくても家に余裕がなくてこられない子供たちがまだたくさんいます。そうした子供たちを教える教師に私はなりたいのです。


また拍手が起こる。今度は僕も拍手した。


軍人になりたいという子供はいなかった。




*     *     *     *     *




今までに出会ったシステムエンジニアのうち、もっとも腕がよかったのは信じられないほどナイーブな男だった。


自分の天職であるシステム開発を価値のある仕事だと自分で認めることができず、彼はなんども離職を繰り返した。


一度は探偵になると云って辞め、半年で帰ってきた。


その次は刀鍛冶になると云って去り、今度は数年連絡がとれなかった。




彼が東京ビッグサイトのコンベンションに僕を誘ってくれたのは夏の暑い日だった。

オラクルのブースで担当者を問い詰めたあと喫茶店でカレーを平らげ、「船で帰りましょう」と云いだした彼に従い桟橋で水上バスを待っていると、彼が突然話し始めた。


「先日僕は九州の実家の方へ帰ったんですよ。ええ、伯父さんが去年亡くなったんで、法事っていうんですかね、あの親戚が集まってご飯食べてお酒を飲んでっていうあれです」


ひとしきり酒が回ると男たちは必ず仕事の話を始める。俺はどうだ、お前はどうだと景気のいい悪いを口々に云い始めたのを聞いているうち、彼は気付いた。


「僕の親戚のオジさんたち、つまり40代から50代ぐらいの人たちですよ。彼らっていうのはみんな、何らかのかたちで自動車にかかわる仕事をしているんです」


つまり、思えば男たちが社会にデビューした頃というのは日本が史上最初で最後の大ジャンプをカマして急成長をし始めるというまさにその時で、自動車産業はその後めざましく飛躍する日本産業社会の象徴なのであった。その時代、男たちにとって自動車産業に身を投じるのは最も簡単で、最も当然の選択だったのだ。結果いまになってその世代を見渡すと、この二、三十年自動車産業で飯を喰ってきたという人ばかりということになる。




「そこで僕は気付いたんですよ野良パスタさん。野良パスタさん、あなたも、僕も、そして僕たちの友人も、その多くがインターネットにまつわる仕事をしていませんか?我々の世代はきっと、あと三十年もすると『あいつらの世代はネット、ネットでやってきた連中ばっかりだな』って云われるようになるんじゃないでしょうか」


そう考えると凄いですよねと彼は続けた。


「そうやって、社会はその時代が要請する産業へと若者を送り込み、労働力を供給するんですね」


その考えはその日、僕に深い感銘を与えたが、彼が自分の運命と折り合いをつけるまでにはそれからまだ4年の時を要した。




*     *     *     *     *




教師、公務員、医師、エンジニア。


「軍人になりたい」という子供がいなかったことは、バングラデシュが少なくとも近代国家として自立するためのプロセスをすでに終えていることを意味した。


子供たちの口から出た夢は色とりどりのようでいて、しかしそれらはいずれもこの国の時代が要請する職業であった。つまり現代的な国家を形成するための礎となるべき職業を、彼らはひとりでに志向しているのだ。


歌手も作家もJリーガーも彼らの眼中にはない。



昼食をとったあと、村を後にした。


最後に校長は教師を紹介してくれて、一通り握手を交わした後、僕は別れの挨拶をした。


「この学校の最も素晴らしいところは、教師になりたいという子供が多いところだと思います。それはあなたたちの国にとって、その将来にとって、とても大切なことです。今日は貴重な時間をいただいてありがとうございました」


教師たちは何も云わずにもう一度僕の手を握った。彼らが望んでいるのは言葉ではない。何もせずにまたこの村を訪ねることはできないと僕は思った。