新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

自由が混乱を生み、制約が秩序をもたらすと仮定しよう

うさぎふらすこが散々世話になっている面白法人カヤックが、むかし「アイデアを売ります」という企画をやっていた。

曰く、「1年サボったブログを再開する言い訳を考えてください!」みたいなお願いに有料で応じるということであった。

商売になったのかどうかは訊いていない。

ただ、「公募ガイド」に載っている「標語募集」みたいな公募に1日1件応募していて、会社としてこれを毎日続けているというのには伊達や酔狂ではすまないものを感じた。

なぜこの話から始めたかについては触れない。


昨年5月、ANAが成田 - 欧州/北米の国際便からスタートしたビジネスクラスの新サービスが失敗に終わったことはあまり知られていない。

事前には夜のニュースで特集が組まれたりまでした華々しいもてはやされように比して、そのあまりにひっそりとした「方向転換」は、テレビをはじめとしたマスメディアが結局、企業の捨て看板がごとき「広報機関」に成り下がっている事実をまざまざと見せつけてくれる。


ANAの社内には「QSタスクフォース」と呼ばれるプロジェクトが存在する。

客室サービスという究極の付加価値部分に着目したとき世界に冠たるエアラインは「シンガポール航空」「タイ航空」そして「キャセイパシフィック(香港)」であり、「QS」とはシンガポール航空コールサイン「SQ」を逆さにしたものだとされる。

つまり「QSタスクフォース」とは、ANAシンガポール航空を「ひっくり返す」ことでアジアの首位を、世界のトップの座を奪いに行くという意志そのものを指すプロジェクトなのだ。

「QSタスクフォース」を起ちあげた2005年、ANAは経営の再建を果たしつつあった。

「競合」とみられていたJALは前年にクーデター騒ぎで役員が交代し、その後実質的な債務超過状態の発覚、民事再生へと進むダッチロールを始めていた。

99年のスターアライアンス加盟以降、コスト構造の改善とそれによる国際競争力の強化を強く意識するようになっていたANAは、このときすでにその照準を「国内最大手」のJALではなく、「アジア最強」そして「世界最高峰」のシンガポール航空に定めていたのである。


そして2010年5月、ANAの長距離国際線において、画期的なサービスがスタートする。

ビジネスクラスで供される食事のスタイルの一新だ。

「ビーフ・オア・チキン?」に始まる問答は海外旅行に必須として古くから揶揄される基本の英会話である。

これは「機内食」の様式がいかに固定化・一般化しているかを示唆するものであって、フライト中にサービスされる食事が、だいたいにおいて


和食(Japanese style)

洋食(Western style)┳━メイン:鶏肉(Chicken)

          ┗━メイン:牛肉(Beef)


といった3パターンのセミ・プリフィクスであることを「私は知っています」ということを暗に誇示するための示威的ジョークだ。

前菜、汁物と主菜に連続性のある(統一性が重要視される=膳の概念)和食においてメインの選好は不要とされ、前菜・サラダとメインが不連続なDish即ち「皿」を単位に構成される洋食にあってはメインだけを選び、取り替えることが可能である。

「洋食を採りたいが、シメはご飯がいい」という希望が基本的には聞き入れられず、メインがどうあろうと洋食にはパンしかついてこないというのは、それほど深く考えるまでもなくこれが積載ユニットに厳しい制約のある機内だからだと理解できよう。

ファミレスなどではハヤシライスに味噌汁をつけ、そのうえさらにパンを頼むというような設計も可能であるし、望むならトンカツ定食のあとでカレーライスを食べることも不可能ではないが、これはこうした一般の飲食店が「すみません、今日はトンカツは終わってしまいました」という逃げ口上や、さらには残ったカレーを明日の客に回すという繰り回しを用いているからに他ならない。

ただでさえ豊富とは言い難い選択肢のなか、同じ料金を支払っている乗客に対して「恐縮だが最後の洋食は前の席で尽きてしまった。あなたには和食しか用意できない」などと気まずい通告をしたくなければ、せめて示された3コースのおのおのについては積載ユニット数にいくばくかの余裕を持たせておきたいところだし、そうとなれば「味噌汁にパンを浸して食いたい」といった奇特なオーダーについてはご遠慮願わざるをえない。

宗教上の理由(あるいは宗教以外の信仰上の理由)で特別な配慮を願いたいという場合には予約時にあらかじめこれを申し込んでおくという手段も最近は充実していることを考え合わせると、これは合理的な制約だ。


しかしこの年ANAは「サービス」を「乗客の無体な要望に対し、合理的な制約を一歩後退させること」と混同し(タスクフォースが名に冠した「QS」にはQuality of Service=サービスの品質といった意味も込められていたであろう)、機内食の世界標準、そのスキームを打ち破る暴挙に出た。

2010年5月1日から、成田発の長距離国際便、そのビジネスクラスでは「ビーフ・オア・チキン?」という問いが失われたばかりか、和食か洋食かといった枠組みすら放棄され、乗客は和洋・牛鶏(あるいは魚)を問わずすべての「dish」をアラカルトで採ることが可能になったのである。

これがいかに無謀な試みであったかを検証するため、2011年2月のメニューを例に挙げる。なお後述するが、2011年1月現在、ここで指摘する「試み」はすでに方針転換が行われたあとだと私は考えている。

以下のページをご覧頂こう(本来魚拓を採って示すべきだがシステムの不調により、直接引用とする)。ここに掲げられた皿を従来「ビーフ・オア・チキン?」型に編成すると次のようになるだろう。

ANA公式ページ 国際線サービス BUSINESS CLASS 機内食・ドリンク

http://www.ana.co.jp/int/svc/jp/c/meal/1002b/NRT_JFK/


■食前のプロローグ(「前菜」)

 和食:和の旬菜取り合わせ

 洋食:帆立貝のスモーク 柔らかいキャロットのババロアとともに 柚子味噌の香るマヨネーズで

    フレッシュガーデンサラダ 彩り鮮やかなビーツのドレッシング


■主役の一皿(「メイン」)

 和食:豚三枚肉の酒粕漬け焼き はちみつ醤油風味

    寒ぶりの照り焼き 小松菜の胡麻浸しとともに

 洋食:トリュフの香る牛フィレ肉のステーキ 芳醇なボルドー産の赤ワインヴィネガーのソースを添えて

    真鱈とパンチェッタのポワレ ルーラード仕立て 柚子の香るソースとともに


■御飯/ブレッド(「ライス、またはパン」)

 和食:北海道産ゆめぴりか 味噌汁 香の物

 洋食:2種の手焼きのブレッド バター もしくは オリーブオイルとともに


■食後のエピローグ(「デザート、あるいはデザートワイン」に該当する)

 和食:元 元禄仕込 純蜜薫酒 純米大吟醸

 洋食:燻Barセット

まずこうして見ると、「前菜」において洋食が2品、「メイン」において和食・洋食がともに2品ずつと選択肢が増えていることがわかるが、これは単に選択肢が広がったことを意味するまでで、「和食 or 洋食 × メインのチョイス」といった「機内食」の構造自体に影響を及ぼすものではない。

重要な変更点の第一番目は、従来型の「Japanese style or Western style ?」という「はじめの問い」が失われ、「前菜」-「メイン」-「ライス、またはパン」-「デザート、あるいはデザートワイン」の各要素(つまり「皿」)から「和食か、洋食か」という「縦の構造」が失われていることである。

上の例では説明の必要上「和食」「洋食」の別を引用者が独断でもって仕分けているが、もう一度メニューをご覧頂くとわかるように、サービス側はそれぞれの皿を「和食」か「洋食」かに束ねようとしていない。

従って乗客は、

 前菜に「和の旬菜取り合わせ」(和食)

 メインに「トリュフの香る牛フィレ肉のステーキ 芳醇なボルドー産の赤ワインヴィネガーのソースを添えて」(洋食)

 シメに「北海道産ゆめぴりか 味噌汁 香の物」(和食)

を採って、

 デザートに「洋食:燻Barセット」(洋食というか、洋酒である)

を選ぶことが可能になっている。

つまり「前菜は和食がうまそうだが、メインは洋食がうまそう」だという狭間で悩むことなく、用意された和洋とりどりの皿から好みに合うものを組み合わせて選ぶことできるのである。

前菜、メイン、デザートなどそれぞれの「要素」において、提示されたいくつかの選択肢のなかから好きなものを選ぶスタイルを「プリフィクス・コース」と呼ぶ。

従って和洋それぞれの「コース内」ではメインしか選ぶことのできない従来型のスタイルを私は上で「セミ・プリフィクス」(造語だ)と呼んだのであるが、ここにおいてANAは「フル・プリフィクス」(当然造語である)による機内食の提供へ踏み出したのだと云うことができるだろう。


ここで指摘できる問題点は、乗客にとって選択の自由となったこの「要素別の自在な組み合わせ」が、ANAにとってそのまま廃棄率→コストの上昇を招く可能性である。

従来型の「セミ・プリフィクス」においては上述の通り、和洋それぞれのコースが「一長一短」であった場合、乗客の選好が分かれ、たとえば前菜を重視して和食にする者と牛ステーキを欲して洋食を採る者との間で消費されるユニット数が均される可能性がある。

「全員和食を選んだ場合」「全員洋食を選んだ場合」に備えて、合計で乗客の2倍の数のユニットを積み込む必要は決してないのだ。

しかしANAの新しいシステムだと、たとえばかりで恐縮だが、上記の例でいう前菜の「フレッシュガーデンサラダ 彩り鮮やかなビーツのドレッシング」、これが圧倒的な不人気(そもそも機内食なのだから「フレッシュ」は日本語の「生」、つまり加熱していない野菜だという程度の意味しか持たないことは想像に難くない)に甘んじることになるかもしれない。

こうなるとせっかく3品の前菜を用意するというにもかかわらず、乗客全員分に相当する数の「和の旬菜取り合わせ」と「帆立貝のスモーク 柔らかいキャロットのババロアとともに 柚子味噌の香るマヨネーズで」を用意せねばならず、「フレッシュガーデンサラダ」の廃棄率上昇に加え、残り2品を必要な数積載しておくことによる重量増をコストとして引き当てる必要が生じるのである。

もちろん「ビーフ」と云ったにもかかわらず「本日はビーフをご希望のお客様が多く、申し訳ないがチキンで勘弁してもらいたい」とお願いされることが古来なかったわけではない。

しかし今回の場合は「和食、洋食に限らずお選びいただけるようになりました!」と担当者が一人々々の乗客へ新システムの説明をして回っている手前、簡単に「ご希望の品はなくなりました」とするわけにもいかない。

「自由になったというから選んだのに、結局『無い』とはどういうことか!」と、こうなるとこれは乗客の身勝手とばかりは云えまい。


和洋の壁を取り払って完全な「プリフィクス・コース」を空の上で提供するという冒険に出たANA

だが、その挑戦は「機内食の構造」へさらに深く踏み込む危険なものだったのである。続く。