新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

ゴーイング・リベラル/僕たちのトレーサビリティ

リベラルな暮らしにはカネがかかる。

今年のボストンは例年よりも早い冬の訪れを感じさせ、十月も半ばになればとてもじゃないがマウンテンパーカーなしに外を出歩けなくなったから、いちはやくホームレスに対する支援を開始している。年末までのもっとも厳しいこの時期には、毎日必ずどこかのホームレスに一ドル渡すのがルールだ。やむなく渡すタイミングを逃したら、次の日以降にキャリーオーバーしている。

ボストンのホームレスたちは路上で冬を越すことができない。

雪解けの三月から短い夏を街角のそこここで過ごしたホームレスは、稼ぎ時の終わったクリスマス前には姿を消す。

たとえば二月の終わりごろ、ホームレスのことさえ忘れたころに突然寒さの緩む日があって、荷物を抱えてショッピングモールを出ようとすると誰かがスッとドアを開けてくれることがある。驚いて "Thank you, Sir.” と顔をあげるとそれは春と間違えて姿を現したホームレスだ。

あっ、と思って小銭を取り出そうとするが両手がふさがっていて間に合わない。

明日にはノリスターと呼ばれる極寒の吹雪がニューイングランドへ戻ってきて、このホームレスは死ぬ。

だが僕のためにドアを支え、黙って立っていたあのホームレスの姿が僕の身体のなかで種子となり、この時期になると芽を吹いて一日に一ドルずつの実を落とすのだ。

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オランダのベンチャー企業がFAIRPHONE(フェアフォン)という製品を作っている。

ダイヤモンドの不都合な真実はだいぶんよく知られるようになった。だが我々の使う携帯電話にも搾取的な労働によって採掘され、多国籍企業が安くで買い上げた金属や鉱石が使用されている。

そこで使用するすべて(あるいはほとんど)の部品について原材料がどこからきたかをトレースし、フェアトレードによると確認されたものだけを使って製造されているのがFAIRPHONEだ。

■FAIRPHONE

https://www.fairphone.com/en/

私は妻がかなり厄介なキリスト教左派の家庭出身だし、私自身も中道左派を標榜する現代的なリベラルだから、このFAIRPHONE、企業を支援する意味でもぜひ求めなければならないと思った。

そこでEU圏内にしか発送しないというこのFAIRPHONEを、イタリアはトリノに住んでいた先輩にお願いして取り寄せてもらったのが数年前のことだ。

何が云いたいかというと、リベラルな暮らしにはとにかくカネがかかるというのだ。

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スターバックスの店内にコーヒー農園で働く子どものまばゆい笑顔を収めた写真が飾ってあったという現代のアネクドートがある。

コーヒーが搾取労働で有名な作物だからブラックジョークになるというわけだが、そもそも児童労働がアウトなのでさすがにこれはないと思う。

ただ、スターバックスを大きくしたハワード・シュルツユダヤ人で、ユダヤ人の他者に対する無関心はマジでやばいとイスラエル企業に身売りした伯父が云っていたので、根も葉もない噂ということでもないのかもしれない。

 

イスラエルパレスチナ系住民が暮らすガザ地区

国連が「居住不能」だというレベルまで人口が過密するガザ地区は、イスラエル全体の失業率は四パーセント程度なのに、ここだけ四〇パーセントを超えるというまさに別世界で、「世界最大の監獄」と呼ばれている。

このガザ地区からの人口流入と暴力の拡散を防ぐために建設された境界壁はすでに400kmあまりが完成しており、なおも建設中だ。ドナルド・トランプはメキシコ国境に築くという壁について、「壁のことならイスラエルに聞けばいいだろう」と発言した。

ところでこの壁を作っているのはもちろんイスラエル政府だが、工事現場に雇われているのはパレスチナ系住民で、夜になると仕事を終えて壁の向こうへ帰っていくと伯父に聞かされたときにはさすがに笑った。

賃金格差とか雇用創出とか政策上の必然性があることはさておいて、「ちょっとそれは」というこの感情的なひっかかり、これが原因になって、「二級市民」を労働力として輸入する移民政策はおそらく日本では失敗する。あるいは流行の云い方をすれば「ワークしない」。しかし本気で労働力が不足すれば、長い時間をかけてもう少し融和的な社会が実現する可能性はあると僕は見ている。

シンガポールで多くの家庭が外国人のメイドを雇っているのはよく知られた話だが、このメイドたちは定期的に妊娠検査を受けており、陽性となると帰国しなければならない。これが就労ビザの要件。

小さな島国のシンガポールでロクな収入もない出稼ぎ労働者に子どもを生まれても、国籍やら市民権やら、あるいは医療費扶助やら教育費やらの子どもの人権コストがいろいろ大変だから、出稼ぎ労働者の出産はNGというのは理屈としては理解できる。だが、象徴的にはベトナム人労働者の待遇で既に紛糾の兆しをみせる日本社会であれば、感情的には到底受けいれられない制度であろうと思う。

理屈はともかく、「ちょっとそれは」という感情が国民に広く共有される場合、それが国民性である可能性には充分な注意が必要で、何が合理的であれ国民性にあわない制度を導入してもそれは形骸化するだけだし、それこそは悪しきグローバリズムに他ならないので、この感情を純粋に感情として尊重しつつ議論の俎上に上げるという試みがもっとなされなければならない。「それは感情論だからダメです」という奴は「朝まで生テレビ」ぐらには出られるかもしれないが、それ以上は偉くならない。

たとえばよその国についてこういうことを云って恐縮だが、国民皆保険制度はアメリカ人の国民性にあわない。よって結局はうまく普及しないだろうと思う。

また、こういうことを云うと「ではネトウヨの『在日憎し』の感情とも向き合うのか」という声を仮想せざるを得ないが、マイノリティに対する広義の暴力は、

「マジョリティに属するにもかかわらず報われない俺がいる一方で、なぜマイノリティを尊重しないといけないのか」

という憤りがその根本にあるのだから、やはりこの感情自体にはどこかできっちり向き合わなければならないだろう。アメリカでは両海岸の高所得者層がリベラルで、中西部の貧困層がトランプの地盤なのと同じだ。

これは予想だが、おそらくその先で日本人は「この国の貧しさにこれからどう取り組んでいくか」という問題にいよいよ向き合うことになるのではないだろうか。そうして日本はいわゆる「悪平等」、つまり結果平等を採用することで社会の統合を維持していくことになるのではないかと思う。外国人からはバカにされても、それで日本人が誇り高く生きていけるのであれば、それに越したことはないだろう。

議論の破綻を防ぐため、僕自身の意見と選好についてはここでは触れない。

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最近、妻がまたiPhoneを失くした。

iPhoneをさがす」のレーダー上で光点は、目の前の商店街を少しふらついたたあと数軒向こうの建物に入ってふっつり消えたという。

妻はちょうど二年前にもiPhoneを失くしているが、このときは病院のトイレで便器のなかに落としたiPhoneが、詳細は省くが要するにアメリカンサイズのトイレであるから、そのままトレインスポッティングしてしまったということだった。

過失とはいえ猛省した彼女は「もうしばらく高いスマホは買わない」と云うので、僕は先輩から受け取ったばかりのFAIRPHONEを取り出してみせた。

「これがトレーサビリティにこだわってフェアトレードを実現した倫理的スマートフォン、FAIRPHONE」

素晴らしい……と云った妻はしばらく使ったあと、「アンドロイドわけわからん」と云って最新のiPhoneを買った。

 

八年前、僕たちは「どうせなら語呂のいい日にしよう」と入籍の日を決めていた。

だが婚姻届を預かったまま新宿で飲んでいた僕が十二時を回ってしまったため、永遠に戸籍に刻まれることになった特に語呂のよくない日が今年も近づいている。

あのとき妻が結婚指輪に選んだのは、フェアトレードのダイヤモンドを使うことで有名な宝石屋が造った、ダイヤを使っていない指輪。彼女がしているところ自体もう何年も見ていない。

そうして僕は、我々の結婚もまたフェアなものであることをいまも祈りつづけている。

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