営業は前線(フロントライン)に身をおく兵士だ。
敵を射つためには自分もまた敵に射たれかねないアングルに身をさらすのは基本的なルールである。
いつまでも遮蔽物の陰に身を潜めるばかりでは星の数は増えまい。
そこで彼らは散発する銃声の間合いをはかって塀のうえへと舞い上がる。
だが照門の向こうに敵を捉えるには呼吸ひとつの間が必要であり、一撃で事を済ませたければ風が止むのを待たねばならない。
悪魔の時間を、彼らはやり過ごす。
僕が話す。
営業の現場は塀の上だ。
腕のいい奴はあちら側と向こう側の間でバランスをとりながら、だが決して向こう側へ落ちることはない。
無防備な姿をさらしたと思っても、自分がどちらに属しているかは最後まで忘れない。
もちろんみながずっとそうしていられるわけではない。なかには射たれて向こうへ落ちる奴もいる。
だがそれを恐れるわけにはいかない。営業も、それを送り出す者も、それを恐れるわけにはいかない。
なぜなら向こう側へ落ちて戻ってくることのできない者は、必ずいるのだから。
その話をした晩、僕はひとりの営業と歌舞伎町をはしごしていた。
僕の左肩の少し後ろを歩きながら彼は
「本当にそうだな。でもお前が俺にそういう話をしちゃいけないよ」
と云った。
三ヶ月後、彼が向こう側へ落ちたと僕は知らされる。
その場にいた人間の顔を僕は思い出すことができない。
静かに静かに自分の思いを口にしながら、どうしても手の震えを止めることができなかったことをいまも憶えている。
取引先からなじみの営業が挨拶にきた。
来月いっぱいで会社を去るという。
「みんなお客さんの利益を守るよりも、自分の立場を守るようになってしまいました・・・・そりゃあ会社なので当然なんでしょう。でもそれだけで営業は仕事になるんでしょうか?そうしたらもうこの会社ではやっていけないという風に考えるようになってしまったんですね・・・・・」
訥々と話す彼にかける言葉を探したあげく、「これからは?」と僕は尋ねた。
昔からやりたかったことがあるんです、ケーキ屋さんですと彼は答えた。
本当にたまたまなんですけど、知人からそういう会社の手伝いをしないかと声をかけてもらっていまして。
もしかしたらそれも、辞めると決めた理由のひとつだったのかもしれませんね。
5年の長きにわたり、一貫して無茶を云うのが僕の仕事だったが彼と仕事をするのは楽しかった。
それは非武装地帯をはさんで遠く向かい合う僕たちの思い出に残る前線だった。
ひとに銃口をむけることなく生きていくことのできるどこかへと彼は去る。
その前途を祝しながら、しかし一抹の寂しさが僕に、もう一度彼と出会うことを期待させたりする。