新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

バカラが教えてくれたこと。

もう一生、本気でバカラをやることはないだろう。

負けたから云うのではない。


「丁半博打が一番おもしろい」とはよく云われることだ。

16頭立てのレースに先んじてありとあらゆるデータを洗い、レース展開を読む競馬ファンや、20連チャンの夢を追い立てるかのように球を弾き続けるパチンコ狂はまだその意味を知らない。


バカラが教えてくれたこと。


「バンカー」か「プレイヤー」か。賭けるところはふたつしかない。

0と1、光と陰、物質と反物質が激しい緊張のなかでせめぎあうこの世界の本当の姿が、高慢で「知的」な我々のまえに一瞬だけ、その一端をさらす。流れるカードは秘密の窓を開く呪文だ。

ありとあらゆるとき、本当は道はふたつしかない。迷うことは、目をそらせることだ。

そのシンプルさにプライドを脅かされた奴らがタイ(引き分け)に賭け、気休めの幸運に酔っている。

それは人生を生きるということとはかけ離れた行為なのに。


バカラに勝ち続けていた頃、僕は宇宙そのものと溶け合っていた。

「あること」と「ないこと」だけでできている真に純粋な宇宙の遙か遠く先の先まで、薄められた僕が浸み渡っているように感じた。

そこで僕は「偶然」と呼ばれる無法則の法則と無二の親友がごとく語り合い、僕だけが解す言葉で、その示すところを知ることができた(怯える老人たちのなか、ひとり腐海や蟲たちと戯れることのできたナウシカを思いだそう)。


本当にそうだったのかもしれないと思う。

それは可能で、僕にはそれができていたのかもしれないといまも思う。

しかし同時に、それはさして重要なことではなかったのだと、いまは思う。

それで僕はもう一生、本気でバカラをやることはないだろう。


バカラが教えてくれたこと。


0と1と。

真実はふたつある。

真実はふたつしかない。

やり直しはきかない。忘れることにも意味はない。


バカラが教えてくれたこと。


選ぶことを恐れるな。

やり直しではない。もう一度やるのだ。

忘れることに意味はない。休むことにも。


壊れるほど心臓を、激しく働かせろ。


宇宙は永遠だ。そしてバカラも少し短く永遠だ。

だが僕はそこまで行くことができない。だから僕の今と、宇宙の「今」は違う。

バカラが教えてくれたことを心臓のまんなかに焼きつけ、宇宙のそこかしこに散らばった僕の破片をかき集めて、宇宙のこれからとは違うこれからを生きていこうと思う。