新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

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島本和彦アオイホノオ」第1巻

山本直樹「夕方のおともだち」

NEWTYPE」6月号

広告批評」7-8月号


バランスがうまくとれない。

とりあえず好きなくせに情報に疎いため発刊をしらなかった「夕方のおともだち」。

5月13日(昨日だ)にイースト・プレスから出た山本直樹による自薦傑作短編集の第2弾である。

収録された作品のすべてが再録であるにもかかわらず世界中の全員が待ち望んでいたことはまず疑いを容れず、一刻も早くレビューをここへ挙げるのが責務と考えるが、たとえ仕事中にブログを更新したとしても、エロマンガを開くにはまだ抵抗があるので、昨年刊行された第1弾「明日また電話するよ」について某所にあげたレビューを引用してお茶を濁す。了とされたい。


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「明日また電話するよ」(山本直樹イースト・プレス 2008/7)

珠玉の短編作品集「フラグメンツ」(1-4)からの再録を中心に、著者の短編を自選によって収録した最新の作品集。


さて文学は男について何かを書くとき女を書く以外にその術をもたない。

とにもかくにも文学を志す者はいずれ、空を書くときには地を、海を書くために陸を、幸せを描くためには苦しみを描くことになるだろう。

それは文学そのものが「現実」を描くための器であるにもかかわらず、それ自体は「虚構」であるという本質的な矛盾に通底する。

エロマンガ家である山本直樹の異色たるところは、「現実」を取り込むことを当初より諦め、「夢」と、その手前にある境界線を描いたところで筆を止めるという営みを繰り返すことにある。

「境界線」のこちら(またはあちら)にある現実がいかなるもので、それにどのような価値があるのかは、その一切が読者のものである。

関係をもった教え子が自殺未遂で入院し、謹慎中の高校教師が駅前で拾った名も知らぬ女に教え子の「亡霊」を見る「Cl2」。

結婚も幸せも無関係に、ただ快楽のままセックスを強要する小学生におぼれていく女性教師を描いた「肉彦くん」。

作品集のタイトルにもなった「明日また電話するよ」では、際限なくセックスを繰り返すカップルが、将来への道が開かれた途端、セックスではなく約束を交わすようになる。

3シーン85分の驚くべき映画として実写化された「テレビばかり見てると馬鹿になる」は引きこもりの少女が部屋を「引き払う」までの数時間を描くが、この部屋ではセックスしか行われず、部屋を出た後ほんの数カットで作品は「終わる」。

「夢」の手前(または向こう)に山本直樹が置く境界線こそはセックスであり、それは境界線以上でも、境界線以下でもない。

ましてや「出口」や「入り口」ですらない。

出口も入り口も、どちらかへ進む者がそう呼ぶだけの話であって、山本直樹のキャラクターたちはどこへも行かず、境界線のうえにただあぶなっかしく立っているだけなのだ。

本書所収の作品群を始め、山本作品のすべてがもの悲しさをまとっているのは、ほんのわずかな境界線に立っている男たちも女たちも、頭のどこかではこれが夢だと気付いているからであり、同時にこれは現実であると気付いてもいるからだ。

現実を描くために夢を描く、文学という不器用なツールしか持ち合わせない我々にとり、執拗とも云うべき集中力でこの「境界」だけを描き続ける山本直樹が当代において掛け替えのない存在であることを改めて確認するための一冊。

明日また電話するよ

明日また電話するよ