新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

自嘲や諧謔の域を超え、男はもうダメっぽいです。

「強い」とかそういう次元の問題でなく、女にはかなわないと常々考え続けている。

それは「ま、なんだかんだ云っても基本男の方が優位なんで、云うだけなら男の方が弱いとか下だとか云ってみてあげるのがむしろ男の優しさっていうか、俺ってジェントルマン?」みたいな余裕のある言説ですらなく、本気で、男は女には一生(つまり男が絶滅するその日まで)勝てないのではないか、それはもう生物学的に規定された真理なのではないかと、ずっと思っていた。

生物学者の福岡伸一によれば「生物学的に規定された真理」という僕の言い回しはかなりうかつであり、生物学は自然によって規定された事実を明らかにするだけで、自らなにかを規定するわけではない。

だがそれにしてもいまさら読んだ福岡の「できそこないの男たち」は予想をはるかに上回り、よい。

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)

旧約聖書によると女性の祖であるイブは「はじめの人間」たる男性のアダムから作られた。

だが本書は生物学があきらかにした事実から、これが誤りであることを執拗に証明するものである。

つまり女性こそが人間のスタンダードであり、男性はある必要にもとづいてやむなく作り出された女性の不出来なカスタマイズ版に過ぎないのだという真実を。


この時点では男性にもまだ

「カスタマイズ版、それは即ちスタンダード版を改良したものであるから、やはり男性の方が女性より優れた種だと云えるのではないか」

と反論する余地が残されている。

しかしここでいう「カスタマイズ版」は実際にはガンダムに対するジムがごとき激しいダウングレード版である。

著者はこれを示しながら残酷な云い回しで男性のプライドを断頭台へ送る。


男性なら誰しも自分の陰嚢からペニスの先端まで、その裏を走る一筋の尾根、いわゆる「蟻の門渡り」がなぜそんなところに、なんのためにあるのだろうと一度ならず不思議に思ったことがあるはずだ。

実はこれがごく初期の胎児であった「僕らの陰唇」を不器用に縫い合わせた痕なのだと知らされれば、それでほとんど勝負はあったも同然ではないだろうか。

つまりすべてのヒトはもともと女性として作られるのである。旧約聖書は順番を間違えている。

それがある理由によって女性だけでは種の保存が危ぶまれるに至り、進化は一部の胎児を男性に作り替えることを選ぶ。

だが男性はあくまでも用に足ればいいだけの「使い走り」であるから、そこまで大層な工事をする必要はない。

いきおい男性の身体ときたら「精子を子宮に送り込むための発射台が、放尿のための棹にも使われるよう」な、まこと肩身の狭い間に合わせの作りをしている有様なのである。


福岡はさらに手を緩めることなく、男が女に対していかに劣った生物であるかの例をあげつらう。

男はガンになりやすく、ストレスに弱く、結果、早く死ぬ。

これらはすべて統計から明らかになる事実である。

これら一連の悲報は遺伝子レベルの生物学の手によって明らかにされてきたものだが、福岡は一般の読者にも十二分に理解できる言葉を用い、比喩を駆使してこれを説いていく。

察するに優秀な研究者であろうが、本書のように一般向けの書物を今後も著し、もって社会に寄与されたいと思わせる語り口はむしろ奇人の域に入ると云っていい。

そしてなによりの白眉は「物語」の終盤、ではなぜ今日、「男性優位」社会が形成されているのかについて触れたあと、きちんと断りを入れたうえで生物学を離れ、文脈上のちょっとしたひねりを加えて男性が女性の召使いとして働くようインストールされた「セックスの快感」についての持論を展開するくだりである。

福岡の筆は人間がもつ「第六感」についての実に新鮮な仮説のあと、遺伝子によって生命をつないでいくことこそ、「時間」の壁を乗り越えていくということなのだと我々の身体は気付いており、よってこれがヒトにとって快感であるだけでなく実にはかなく、美しい瞬間なのだという彼の「考え」を叙情豊かに描き出す。

先に「奇人」と述べたが、ここの文書の豊かさはほとんど詩のレベルと云ってよく、これまでに散々凹まされてきた男性の心をすら癒してあまりあることを鑑みれば、著者は結局のところ大変に心優しい人物なのであろうとあらためて推察するものである。