新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

愛することができないときも、憎むことだけは忘れるな。

今年初めての凄まじい雷雨だったが、雷はあなたの近くに落ちただろうか。


夏が近づいている。

小学校にあがる前、一度だけ町内の「納涼会」なるものへ母親に手を引かれて行ったことがある。

なんとなく知った顔ばかりだったが子どもには珍しい夜明かりのなかで見る顔はみな一様にギラついていて、なにかほかの人が皮をかぶっているように見えた。


わたあめを買ってもらったあと、一回だけスイカ割りの木刀を握った。

目隠しをしたらその場で何度かグルグルと回され「ほい」と放された。

視界を殺されると広場はまったくの別世界で、年上の子どもが器用にスイカを割るのを傍目でみていたのとは大違いだった。僕はすぐに「あ、これはダメだ。僕には割れない」と気付く。


輪になって注視する観衆は騒ぎ立てた。

「右や、右や!」と叫ぶ声もあれば、どちらかがいたずらで云っているのだろう「左やで、左!」という声も聞こえた。

どちらでもよかった。

僕はまだ、どちらが右でどちらが左かがわからなかったからだ。

自分に失望した僕はもとよりなけなしの戦意を失い、木刀はからっぽの地面をたたいた。


自分の無力さが申し訳なくてとぼとぼと歩く僕に母親は「右と左がわからないあなたには、スイカ割りはまだちょっと無理ねぇ」と云った。

それでも楽しかったフリをしたかったが無理だった。

「そのまま割れ!」というひとがいなかった以上、どちらへでも動いてから叩けばよかったのだとそのときになって気付いたからだ。

それはまるで無駄なチャレンジだったのだ。


*   *   *   *   *


大学に入って初めの1年半を僕はファミレスでコーヒーを飲んで過ごした。

ただ黙々と本のページを繰っては注文をするとき以外誰とも口をきかずに1日を終えることさえあった。


一度だけ伯母から手紙が届いた。

何やかやと浮かれたことが書き連ねられた手紙を無視して、僕は彼女の子どもに返事を書いた。


「なにを愛することができないときも、憎むことだけは忘れるな。何かを憎むことのできない奴は、愛することもできないのだから」


目隠しの向こう側で右を愛せと叫ぶ者がいれば、左を愛せと説く者もいた。

その只中に僕は立ちすくんだまま、必死で憎むべきものを思い浮かべていた。

もうあんな思いはしたくなかったが、その瞬間が刻々と近づいているように思われてしかたがなかった。