新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

根拠なき妥協の結果、赤羽に住むとする。

北区は東京23区であるからして何も極北の地というわけではないが、不毛な実態はその名のまとうイメージを上回る。


最大の都市と思われる赤羽ですらiPodを売っていない。

民は池袋へそれを購いに行く。

一駅北上すれば川口で手に入ろうが、彼らは河を渡るとそこが埼玉であるという事実に背を向けて生きているので最寄りの「大きい店」は池袋にあるということにしてあるのだ。


北区。

ボウリング場はあるのに映画館がない。

北区。

最大の本屋よりTSUTAYAの方が大きい。

北区。

曲がりくねった道脇に、壊れた布団屋。「んや」の文字だけが残っている。

すなわち「文化果つるところ」(江國香織流しのしたの骨」)、北区。このコピーを贈る。


地方なら新幹線が停まると云われても疑わないほどの規模の町並みにも漂うどこか陰鬱な空気は、「ここでは幸せになれない」と諦めながら埼玉に背を向け、遠くに見える池袋の明かり(それでも池袋だ)に吐息をつくかのようだ。

身寄りがなく、幼少の頃より桃のたたき売りで生計をたててきた北区出身のO社長とはいつもこの話で意見を戦わせてきた。


そんななか、なんとも云われ得ぬ漫画が発刊。

東京都北区赤羽 1」は赤羽で一人暮らしを始めた作者がその奇怪な街並みや奇特な人々について驚きも露わに描くルポルタージュだ。

やる気のない店主。

地図があっても迷う西が丘。

見たことのない虫(これは赤羽が悪いわけではあるまいし、そもそも悪いこととも思えないが)。

「引き籠もり 人間関係のもつれ 解決致します」の貼り紙。

グロテスクな町を作り上げる無数のディテールは住んでみればすぐわかることばかりで、結局のところ「ま、いいか」と思って住んでいる住民たちに「ま、いいか」と思って住んでいることを思い出させる。

なぜこんな町になったのかはわからない。

なぜこんな町にまた住むことにしたのかも、しかとはわからぬ。

「魔窟」と呼ぶにはあまりに牧歌的な一番街はいつも底知れぬ奥行きをもって口を開いているが、話のタネになるような店を探して歩き回るようなことはしない。

放っておいてもどうせ出くわすからだ。

「いいところですか」「好きですか」とは訊かれたくないといつも思う。

だがその一方で私もまた「ま、いいか」と思っていることだけは確かである。