大学一年生の僕は三ヶ月のあいだギターを引き続けたあと、そう云ってギターを置いた。
「歳のわりに荒んだこと云うねぇ、キミ」
聞いていた七年生の先輩(この先輩は結局八年かけても大学を卒業できず、その後除籍になった)があきれたように云っていたのを思い出す。
「才能に勝る努力なし」。
大本営よりは少しセンスのある、それは撤退宣言だった。
僕の諦めは深く、それからの僕は「自分に向いていないことはしない」ことに徹するようになった。
大学院は四ヶ月、会社は四日で辞め、公務員試験の勉強は最初の民法が1/3済んだところで辞めた。
それは徹底したものだった。実際のところ僕はしばらくの間、「何をやっても続かないヤツ」以外の何者でもなかった。
結局その後数年の間に確認された僕に「向いていること」は、
・本を読むこと。
・映画を観ること。
・酒を飲むこと。
このぐらいだった。
無論いずれも苦手な人というのはいるのであろうが、さりとて本を読むのが得意だと云って褒められるのは小学生まで。映画好きは道楽者の類で、自己実現という文脈において見所があるのは酒ぐらいのものだが、なににせよ僕に向いていることというのはこれぐらいのようだった。
ある晩、芝公園の夜桜の下で日本酒をすすっていると、男が尋ねた。
「野良パスタさんは自分の夢とかビジョンとかって、あんの?」
聞きようによっては不躾な問いであったが、既に親しかった僕には彼の問わんとしていることが自ずと知れた。
そして「無駄な努力」をしなくなって十年あまりを経た僕に、答えは用意されていた。
「夢はソフトの消費者・・・・・純然たる消費者」
何も足さない、何も引かない。
世に生み出される優れたソフトを飽くこともなくむさぼりつづける純然たる消費者の姿こそが僕のビジョンだった。
「そりゃカリスマ度、落ちるね」
僕を凡人だと云い捨てて、彼はまた酒を飲んだ。
芝生に敷かれた広大なビニールシートでは近隣のオフィスビルから招かれた多数の女性がしどけなく寿司などをつまんでいたが、あたりはひどく寒かった。
彼の云いようが少しこたえて、東北にある料亭旅館の一間に住み込み、筆が進まぬことに呻吟する高名な作家になりたいなどという夢をついでに語ってはみたが、それも結局は借り物の夢を消費しているだけの話に過ぎなかった。
実は大学一年生の撤退宣言からなお六年間、僕は折に触れギターを握ることになる。
六年後の春、二日酔いと睡眠不足のなかで散った最後のバンドは「号泣マシーン」といった。
寒さに耐えかねた僕は早々に芝公園を辞した。
タクシーのなかではまだ「さて、そもそも高名な作家になるためには・・・」などと続きをやっていた。
隣で飲んでいた彼はその晩、女性の一人を家まで送って帰り、それは酷い目にあったという。
とってんぱらりのぷう。