初夏のある日、懇意にしている退役自衛官が尋ねてくる。
招き入れた部屋では駐屯地の土産にもらった自衛隊のカレンダーを壁に掛けている。
「これがシーホークですよ」ヘリコプターのパイロットだった彼が椅子に腰掛けながら教えてくれた。「僕はこれに乗ってたんです。これを陸軍が使ったら、例の『ブラックホーク』ですよ」
リドリー・スコットが「ブラックホーク・ダウン」でその名を広く知らしめた兵器の名前だ。
ところで、と僕は本題に入る前に問いかけた。
日本の衆院本会議は25日、クラスター爆弾の日本国内での保有や使用を禁じる「クラスター爆弾禁止法案」を全会一致で可決した。
既に国会で批准が決まったクラスター爆弾禁止条約が定める規制に関し、国内で効力を持たせるための法案。参院でも近く審議、可決される見通し。
長い海岸線をもつ日本にとって、上陸した敵地上部隊を面的に制圧する戦術としてクラスター弾の使用は欠かすことができない。
「二時間、二日、二週間」という言葉があるそうだが、これはつまり日本海を挟んで向かい合った仮想敵国と我が国が開戦した場合、制空権を掌握されるまでに二時間、敵部隊の上陸を許すまでに二日、国土を制圧されるまでに二週間程度しかかからないであろうということであり、つまり我が国防衛力の実効性についての悲観的な分析を端的に表したものである。
これに従えば、日本の海岸線はいまこの時点で既に敵の手に落ちているも同然なのだ。
プレイボールと同時に開戦すれば、8回のオモテが終わる頃には日本海岸に敵が塹壕を掘り始めている。
それが延長12回までのほほんと試合の行方に興じていられるのは、これは軍事力・防衛力の問題ではなく、政治状況の結果に過ぎない。
その状況も日々刻々と変化しつづけていることを考えよう(たとえば在日米軍の不要論を謳う者は手を挙げよ)。
ある日なんの前触れもなく突然「777」が揃ったら、野球の試合などは途中で放り出され、国民は家財を背負って死に物狂いで逃げ出すことになるだろう。
このうえさらに有効な防衛手段を自分から手放すことは構わないが、その意味を国民は自分の大切なひとに説明できるようにしておくべきだと思う(「きみのことなら大丈夫だよ、いざとなったらここの地下にモビルスーツが隠してあるから」等)。
これは政治家の仕事ではなく、国民一人一人の責任だろう。
「ミサイルの発射ボタンはどれですか?」コクピットの写真を指して僕が問うと、それを一瞥して彼は答えた。
「写真は救難活動用の装備なので発射ボタンはなく、非常時に増槽を落とすための緊急ボタンになっています。防衛出動のときには操縦桿が換装され、このボタンが発射ボタンになります」
少なくとも彼にとって、日本の「有事」とは仮定の話でもなんでもなく単に実務上の手続きにかかわる問題に過ぎないのだった。
僕は感心する。かと云って安心はできない。だがいまも任務に就いている25万人の自衛官に、あらためて感謝の気持ちを抱くことぐらいはできるのだった。