新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

プール再訪。政府はそこにいる。

昨夜よりは早い時間だったがプールサイドに客は多くなかった。
相変わらず飛び回る大ぶりの蚊を気にしながらビールを飲んで、僕はT氏がビュッフェから戻ってくるのを待った。
「凄い量ですね。アメリカ人みたいですよ」
戻ってきたT氏は皿にいっぱいのバーベキューを積み上げていた。たしかにうまそうではあるが、こちらは酒を飲んでいるときに物を食べると倒れるたちだ。
「今日はどうでした?」T氏がローストビーフをやりながら訊いた。「今日はまた、昨日とは違った体験だったと思いますが」
僕の考えはまとまっていた。
「救われましたよ、今日は。もし今日がなくて、昨日のあの強烈な体験だけで放り出されていたら、僕は深く考え込んだまま戻ってこられなかったかもしれない」

日本の標準的な教室よりも二回りほど小さな照明のない教室。そこに詰め込まれた90人あまりの生徒たち。だが黒板には「全員96名、欠席3名、出席93名」と書かれており、カリキュラムと同様、その運用が教師の手によってしっかりとハンドリングされていることがうかがえた。
激しく緊張した面持ちの男子生徒が繰り出すいくつかの質問に答えたあと、僕は彼の机に積んであった教科書へ手を伸ばした。
「ちょっと見てもいいかな?」と云うと、後ろの席からも他の教科書が次々と差し出される。
ひとつは地理の教科書で、もうひとつは英語であった。
ぱらぱらと参考書を選ぶかのように目を通して、僕はここで行われていることを理解する。英語はともかくベンガル語で書かれた地理の教科書ですらも、その特徴はかつて受験戦争の正規兵だった僕の目にはっきりと明らかだった。


それは、選別試験に備えることを前提にした教材だった。

つまりかつて寺子屋で教えられたような「読み・書き・算盤」の域を超え、だが漠然とした教養を身につけさせようというものでもない。覚えさせ、情報を整理させ、それを試験で試すことにより生徒をふるい分けることを目的とした教育がそこでは行われていたのだ。


それは「学歴偏重」が云われ、ゆとり教育へと堕する以前の日本で行われていた教育と本質的に同じものだ。個性を無視していると非難され、子供を点数でしか評価できない「画一的」な教育だとしていつしか否定されるようになっていた、それだ。

だが生徒の能力を相対的に評価し、順番をつけるのはそもそも何のためであったか。

高度な教育を受ける機会は限られていた。より優れた生徒により高度な教育を施し、政治家や官僚といった国家の求める知的エリート層を急速に育てるために、選抜を、選抜のみを目的としたカリキュラム、システムは設計されたのだ。

国費で高等教育を受けられた、いわゆる「旧帝大」。あれは何のためにあったのかと云えば、国家に有能な官僚を送り込むための「工場」たるべく設けられたのである。商社や金融機関への就職を容易にするために作られたのとは違う。

たしかに日本の「選抜のための教育システム」は必要以上に長く続きすぎたのかもしれないし、あるいはもう少し幅を広げてもよかったのかもしれない。しかしバングラデシュはいままさにそれを求めている。

日本の三分の一の面積と1億5千万人の人々。全土を覆う貧困と、毎年繰り返す洪水になすすべをもたず進化を止めた国民生活。この状態に対して戦略的に、政策的に、外交や経済のメカニズムを駆使して取り組むことのできる人材を子供たちのなかから見つけ出し、育て上げ、政府・公共部門で働かせるため(あるいは医者やジャーナリストといった、高等教育を受けなければ就くことのできない職業に就けるため)、こうしたカリキュラムを採用し、バングラデシュにあわせて再設計し、教科書を配った人間がいるのだ。

国民が求めるままにパンや薬を配ったとしても、移り気な国際社会にいつまでも依存するだけで国民の生命と自由を守ることはできない。いまバングラデシュがすべきことはパンや薬を我慢してでも子供たちに教育を施し、選抜を行い、より高い教育を受けた知的エリート層を形成することだと気付いている人間が、政府内にいる。

ダッカのどこかにある埃っぽいビルの一室、灯りのつかないその部屋の片隅に置かれたデスクで仕事に取り組む1人の男を僕は想像した。

その男の戦略を僕は理解できた。それは明治維新以降の日本がかつて選び、歩んだ道だったからだ。


「その戦略を僕は理解し、支持しようと思います」僕はT氏に伝えた。


昨日のあの村、希望の意味すらわからないような人々、おそらくこの国のほとんどの人々が動物のように暮らしているという状況に対して、何をすればいいのか僕にはわかりません。

学校があれば希望が持てるのか、医者がいれば幸せになれるのか、そんな支援が1億5千万人もの人に対して可能なのか。あるいはこの国が豊かになったとして、その豊かさがどのようにしてたくさんの「昨日の村」へ広がっていくものなのか、僕にはわからないんです。

やはりダッカとその周辺だけしか豊かになることはできないのか、昨日の村は永遠に「昨日」を繰り返すのか、それで構わないのか、あるいはどんな無理をしても、すべてのバングラデシュ人の生活水準を向上させていかなければならないのか、ではそのためにあの洪水と戦うのか、バングラデシュ全土を干拓してでも国民に新しい生活をもたらすことが理想なのか、僕には決められない。

それはこの国の人々、バングラデシュ人自身にしか決められないことだからです。

農村を救うのは無理、農村は諦めて都市とその周辺だけを強くしていきましょうという選択もあり得るでしょう。でもそんな選択は、外国人にはできません。その資格はこの国の人にしかないんです。

だから僕はただ、あの教科書を配っている政府の戦略のみを支持しようと思います。

バングラデシュ人としてバングラデシュ人のために考え、行動する知的エリート層を獲得するため、まず子供たちに教育を施し、選抜を行っていこうというその戦略をです。

そこまでなら僕にも自信を持って支持ができるし、そのために何をすればよいのかもわかる。それから先のことは、そうやって育った子供たちが、自分たちで考え、決めていけばいいんだと思うんです。


「野良パスタさんがそうお考えなら、そうなさればいいと思います」T氏は云った。「自分がしたいと思ったことを、されるのが一番です」

僕は少女の質問と、僕の答えを思い出した。


日本にもかつて理想があった。

その頂点を目指して駆け上ってきた繁栄への道は、しかしシームレスに破滅へと続いていたかのように今は思われる。

その道をいま、行きたいと願う子供たちがバングラデシュにはいる。

その先にある醜悪なものや低俗なものについて、彼らの耳に入れる気にはならない。

彼らもその道を行けばいい。望む者にはその道を行く資格がある。

日本にはできなかったことが、バングラデシュにはできるかもしれない。彼らのイスラムへの強固な信仰心が、もしかしたら日本とは違う未来へ彼らを導いてくれるかもしれない。

僕はきっと、ナイーブなのだろう。

この国にも是非、あの坂道を駆け上ってみて欲しいと思った。