新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

ターミナル。

空港ではきたときと同じ身のこなしのいいオフィシャルの男が現れて我々の荷物をひっつかんで出国と搭乗の手続きを済ませてくれた。

ロビーのベンチで荷物の整理を始めると、オフィシャルは「もういいかい」と尋ねた。

「サンキュー。喫煙所はある?」と僕が訊くと、着いてこいと合図して歩き出す。

ターミナルの端に、中毒患者向けの閉鎖病棟みたいな雰囲気の喫煙所があった。

「オーケー、もう分かったよ。ありがとう」と僕が云うと、オフィシャルは首を振って二階へ上がる階段を指した。「この喫煙所は臭いんだ。上へ行こう」

階段を上がるとそこはターミナルの二階の端で、このあたりは使われていないらしく照明は消されていて、不要になったベンチが壁際へ無造作に積み上げられていた。

オフィシャルは手近なソファに腰掛けた。

「下の喫煙所は臭いから、タバコはここで吸えばいいんだ。一本いいかい」

もちろんと答えて僕はマルボロ・ライトを差し出す。火を点けるとふーっと煙を吐き出してオフィシャルは背もたれに沈み込んだ。

僕は隣に腰掛けて、自分のタバコに火を点ける。

真っ暗な窓の外から、ゴォーッと音を立てて中型機が飛び立っていった。

「ドラゴン・エアーだ。知ってるか?」オフィシャルがちらとそちらを見て云った。

「知ってる。香港のエアラインだ」

「その通り」オフィシャルは「オーシャンズ11


」に出てくる爆弾のプロにそっくりの飄々とした雰囲気をもつ男だった。「いまから帰るのか」

そうだと僕は答える。

バングラデシュはどうだった?」多くのひとがそう訊いた。そしてそのたび僕は少しの戸惑って、それから何事もなかったかのようにこう口にした。
「感銘を受けたよ。特に農村地帯の・・・・」云いかけるとオフィシャルは遮ってタバコをロビーの床で踏み消し、立ち上がった。
「オーケー。タバコを吸いたければまたここへこいよ。ハヴ・ア・ナイス・フライト」
くだらない答えだというわけだ。わかってはいたが的を射た答えなどいまは言葉にすることができない。いまはこのようにでも答え、相手の苛立ちを受けとめるしかない。

誰かに見とがめられたら何と云えばいいのだろうかと考えながら、ターミナルの一番端に見捨てられたようなゲートの暗がりで僕はもう一本タバコを吸った。遠くの方では蛍光灯の下、目当ての飛行機に乗り込む人たちの姿が見えた。
出発まではまだ少し時間がある。

*     *     *     *     *


シンガポールチャンギ空港へ降り立ったときには深夜の2時を回っている。ここで夜を明かさないことには成田へ向かう飛行機がない。7時間のトランジットだ。
ラウンジに入るとT氏は荷物を脇に置いて眠りに落ちた。成田へ着くのは午後3時頃。機内で眠ると時差ボケになると踏んで、ここでの乗り継ぎを利用して寝ておこうという戦術だ。
僕はむしろ機内では起きていても仕方がないとラウンジのテーブルにノートパソコンを広げ、ツアーのレポートを作り始める。
事実だけを、いまは事実だけをあるがままに記録することを意識する。膨大な記録ではあるが簡単な作業だ。「感じたこと」に立ち入ると、途端に迷路に迷い込んでしまう。

チャンギ空港は24時間動いているようではあるが24時間発着のある様子は見えない。
ようやく人が動き始めたのはノートパソコンの充電も切れて、ビュッフェでお粥の朝食を摂りながら「沈黙/アビシニアン」を読み終えようかという朝の6時頃だった。
シンガポール発のシンガポール航空・成田便は、成田を経由してそのままサンフランシスコへ行ってしまう。
ゲートで出発を待つ人々の顔ぶれは日本人の観光客にアメリカ人のビジネスマン、シンガポール系アメリカ人の親子連れなどで、なんだか朝になったら昨日までいた浅黒い肌をした人々の世界は夢のように消えてしまったとでもいうようだった。

僕は南アジアが思いのほか急速に遠ざかっていくことに焦っていた。
そこで何を見て、何を感じたのか、これでは書き残しでもしておかなければすべてはあっという間に記憶の向こうへ薄れていってしまいそうだ。だが自分の考えていることや、あるいは考えの軌跡をすら言葉にするにはあまりにも時間がない。
飛行機がゆらりと滑走路を離れる。5時間も経てば自分の感覚や感情にはいちいち目をくれてなどいられない生活が再開する。ましてや過ぎた感情や感傷など、どうして思い返し、取り出して見つめ直すことなどできようか。
しかし機内でも言葉が僕に訪れることはなかった。僕は以下の事実に気がついて愕然とする。

僕の言葉は決して僕のものではない。

幼い頃から僕の言葉は僕が自由に使うことができて、そうやって考えたことや感じたことを相手に伝えるものだと教えられた。
それはとても便利な話だし、「伝えること」は多様性を獲得することによって「僕という人間を伝えること」即ち表現へと変化していき、僕に快感と満足感をもたらした。言葉はどこへ行くにも僕と一緒について回る、掛け替えのない相棒だった。
その相棒が口を閉ざしている。バングラデシュで何を見て、何を感じたのかという僕の問いに対して、僕自身の言葉が沈黙を守っているのだ。
だがその理由は、その事態そのものよりも遥かに深刻だ。