新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

MPとケツの穴。

熱することなく、されど誠実であることには妥協せず。

三時間にわたり思いの丈を語り尽くしたあと、自分のMPがついに0になったのを感じた。

呪文が全部非アクティブになり、選択できない。

予兆はあった。二日後、かねて祈祷の予約をしてあった京都・晴明神社へ向け、定番の「鶏づくし」とお茶を一本さげて新幹線はのぞみ号へ乗り込んだ。


映画「陰陽師」およびその続編でブームを呼んだ安倍晴明の物語は、夢枕獏による同名の小説を土台にしており、それは岡野玲子のやはり同名のコミック「陰陽師」もまた同様である。
小説を読んでいる時間はないため、ブックオフでコミック12冊を買い入れた。
安倍晴明平安京の都に現れ政府・貴族御用達となった伝説的な呪術師である。これが念仏を唱えるだけの男であったならただの坊主で片付けられていたのであろうが、そうではなく、「陰陽寮」と呼ばれる役所に勤めるれっきとした技官であったというから、いとあやしである。
式神を思いのままにあやつり、都に災厄をもたらす数々の「鬼」に恐れもなさずこれを祓う彼は、藤原道長をはじめとする当時の権力者からも篤い信頼を集めた。幼い頃より非凡な才能をみせたと伝えられる晴明のイメージは、彼の力を疑う貴族に「そなたの式神をもちいてあの蟇蛙を殺してみよ」と挑発されて答えた有名な言葉に集約される。


「殺すことはできても生き返らせる術を知りませんので、罪なことをおっしゃるな」。
この非常にクールな、しかし自信に満ちた極めて厨二的な余裕、浮世離れした涼しげなキャラクターこそが彼を神がかり的なヒーローへ祭りあげたのに違いない。結局彼は近くにあった柳の葉をちぎりとると、蟇蛙に向けてすっと投げ出す。すると蟇蛙は突然襲いかかった柳の葉に押しつぶされて死んでしまうのだ。
また、式神をつかって家の戸口の上げ下ろしをさせていたなどという、「超能力」をなんとも思わない姿もまた憎らしいものである。
この何者も手を出せないアンタッチャブル陰陽師の霊験にあやかり、憑きものを落として出直したいという藁をもすがるような思いが私に大判のコミックのページを繰らせた。私はヒーローを渇求していたのだ。

ここですでに認めておかなければならないが、私が購った「陰陽師」は白泉社のコミックであり、それが少女漫画界のトヨタソニーみたいな大御所であることを私は知っていた。
冒頭から脇役の座をかため始めた源博雅と晴明の距離が妙に近いこと、博雅が晴明のもつ不思議な力に抱くイノセントな感動や、そんな博雅に晴明が抱いているらしい愛しさに目を瞑り、あらぬ展開が生まれぬ事ばかりを祈って私はストーリーを追い、伝記にもとづく晴明の所為に驚き、感銘を受けた。

しかし全13巻の話もなかばを過ぎた頃、突然晴明は兄弟子に犯されたのであった。
アンタッチャブルな私のヒーローはこうして、文字通りケツの穴までタッチャブルな男になってしまった。
「殺すことはできても生き返らせる術を知りませんので、罪なことをおっしゃるな」などと粋なセリフを吐きながら、それでも自分の力にできることはすべて過たず、やる。そんな私のヒーローは「これも修行だと思って・・・」と唇を噛みながら、二流の兄弟子にケツを差し出していた。

悲しすぎた。
これは当然漫画家・岡野氏による創作であり、(おそらく)原作にすら登場しなかった設定であると信じたいが、しかしいまから安倍晴明の力に頼ろうとしている私へのはなむけとしてはあんまりであった。
まだ独り立ちするまえの若かりし頃のことであるとか、世の無常を理として受け容れた晴明が、自分自身の運命とは闘うのではなく、向き合うのだと決めていたからだとか、いろいろ慰め方はあろうが、それにしてもあまりにわかりやすい隷属のポーズで描かれた晴明の姿は、ただただショックであった。

昼前の東京駅で落ち合った銀河さんはもう5年も前から晴明神社に詣でているくせに、かねてから「祈祷」と「亀頭」をかけて喜んでいるような人なので、私のこの傷心に、
「しかしオンナっちゅうのは、エロいですね?」
としか答えず、まったくとりあってくれる様子がなかった。

明日は京都も雨だという。
梅雨入り前最後の暑気がのしかかる都に向けて、我々はのぞみ号へ乗り込んだのである。

 

陰陽師 1 (ジェッツコミックス)

陰陽師 1 (ジェッツコミックス)