列をなしてしゃがみ込んだ修学旅行生は野菜畑のようにコンコースを埋め尽くしていた。
京都はこの季節もまた修学旅行シーズンのようだ。若い娘が好きでたまらない銀河さんの視線を遮りながら、そそくさと駅を出る。
暑い。
梅雨が明けると京都の熱気はまるで霧か靄のように、手を伸ばせば触れるのではないかと思うほど濃い空気となってすべての街角にのしかかる。
いまはまだそれほどではないが、しかしこの肌にまとわりつくような暑さはやはり、京都だ。
駅前からタクシーに乗り、行き先を告げた。
「タバコは大丈夫ですか」と銀河さんがドライバーに尋ねると、驚いたことにオーケーだ。
東京ではタクシーが全面禁煙になって久しいが、大阪などへ行くと「ただでさえこの不景気やのに、そないなこと云うとったら乗る人なんかいやしませんがな」ということらしい。
それはわかるが、しかしそういうことを云っているからいつまで経っても「だから大阪は・・・」と云われ続けるのではないか。
まぁいい。それだけ大阪の景況には余裕がないということだ。何事も東京が基準だと思ってはいけない。
一条戻り橋は御所の東北、いわゆる鬼門にある。
安倍晴明はそれと告げることもなくこの近くに住まい、平安京に向けて口を開けんとする魔境に向かい合って暮らしていたのだ。
晴明が式神を封じ、通る人のことを晴明に知らせたり、あるいはこれを渡る人に晴明の言葉を伝えさせたりした一条戻り橋は「いくはかえるの橋」と呼ばわれ、いまでも婚礼や葬儀の列はこの橋を避けるのだと云う。行けば戻ってはならない世界が、ある。
タクシーを降りると、話に聞いた通り実に小さな石の鳥居が両隣を普通の街並みに挟まれて立っていた。
班行動中の修学旅行生がひっきりなしに出入りする境内は、まさに猫の額に匹敵するほどの狭さと感じられる。
しかし飄々と、華美とは無縁の日々を暮らした晴明のことを思えば、この神社こそ彼を祀るにふさわしいスポットはあるまい。
14時が近づき、陽の光はいっそう強さを増していた。だらだらと流れる汗が蒸発していくのすら感じられるようだ。
祈祷の予約がある旨を巫女に伝えて受付を済ませる。
時間になると宮司が境内の砂利へ出てきて名を呼ばわった。
本殿の脇にある木戸からなかへ入り、賽銭をあげては礼拝を済ませていく観光客に背を向けて靴を脱ぐと本殿にあがる。
本殿の床に敷かれたゴザは5人も座れば肩が触れるほどの幅しかなかったが、僕のほかには夫婦とおぼしき男女が一組来ただけで、この時間に祈祷をあげてもらうのはどうやらこれでみんなということらしかった。
ゴザの端に背筋を伸ばして正座する。反対側の端に座った夫婦もDQNな外見によらず、不慣れなりに身のこなしは神妙だ。我々三人はいいチームを組めそうだった。
本殿の造りは変わっている。
両脇は壁がなく庭に抜けており、建物のなかにいるというよりは祭壇に向かってのびる短い橋のうえにいるような、それこそホワイトベースの艦橋(ブリッジ)にいるかのような不思議なパノラマを視界の両端に感じる。
本殿を囲む庭は境内とは区切られた敷地の奥に位置しており、丁寧に植え込まれた数々の緑にはよく手が入っているのが素人目にも見て取れた。心がすっと落ち着いていく。
そして僕はゾーンに入った。
* * * * *
梅雨を迎える直前のこの時期に、夕方の鴨川べりで時を過ごすのは何にも代え難い。
6時を回ると、あの鬱陶しい暑気は嘘のように引いていき、火照った身体に涼やかな風が吹き始める。夕暮れ、アジサイ色に染まった街が、完全に日が暮れるまでのたっぷり二時間、その姿を留めてくれるのがこの時期だ。
銀河さんと僕は鴨川沿いの先斗町に並ぶ店の一軒、その店の奥から河原へせり出した、いわゆる床
で鱧を待ちながら日本酒をやっていた。
「京都・・・・最高やなぁ」
一杯空けるごとに銀河さんがつぶやくのも無理はない。明日が梅雨入りなら、我々はまさに京都の、最高の季節に間に合ったわけだ。
もともと晴明神社に毎年詣でていたのは銀河さんだ。だが今回は僕に乞われて付き添ってくれただけで、祈祷の神殿にもあがっていない。週末を潰して付き合ってくれた銀河さんにお礼をするための一席であった。
もともと銀河さんと僕とは嫌というほど一緒に酒を飲んできた仲だったが、僕が身体を壊してからこっち、すっかりご無沙汰になってしまった。酒も久しぶりなら銀河さんとこうして話すのも久しぶりだった。
鱧しゃぶが終わり、床から見える景色もすっかり暗くなった頃、夢の話になった。
焼鳥屋がやりてぇなぁという僕に、やりましょうよと銀河さんはこたえてくれる。
やりたい仕事もあるし、焼鳥屋だってやってみたい。それからやっぱり小説を、僕は書けるようになりたいなぁ。ねぇ銀河さん、大人にだって夢があっていいじゃないですか、ね。
あったりまえじゃないですかと銀河さんが云う。十も歳の離れた銀河さんがあったりまえのことを教えてくれるのはいつものことだった。何か昔のことのように思い出した。
「京都に住みたいなぁ」
また銀河さんが云う。ええ、と僕も同意した。「なんだか高層ビルには疲れましたね」。
こんなにシンプルな言葉が自分の口から出たことに、僕は思わずほっとしていた。
* * * * *
もはや仕えるという気持ちすらなくなった・・・・・仕えるとはそこにわずかだが自由意思があってこその言葉だ。
平安京に高まる不吉な空気がついに内裏の炎上という悲劇を生んだあと、新たな都を守護するため龍に自らの身体を奪うことを許した晴明はつぶやく。
だがその少しまえ、おぬしは死ぬのがこわくないのかと尋ねる親友・博雅に、晴明はこうも応えていた。
しかし覚悟はできているのだよ。つまり常にいつでも何事に立ち向かう時でもおれの準備はできているということなのだ・・・それがおれの礼儀なのだ・・・何へ対してのか・・・おれに生命を与えたものとおれの生命を奪いに来るものへの礼儀なのだ。
そう、礼儀もそうだ。礼儀もそう、奉仕もそう。
自由な意思をもたないものには礼儀も奉仕もない。そこには何の価値もない。
礼儀を尽くすこと、奉仕することは隷属とは違う。それは確かな自由意思をもった者だけに許される、誇り高い行為なのだ。そして、夢をみることも。
仕えるのもよい、従うのもよい。だが何よりもまず己の主であれと晴明が云っていた。それがいかなる力を身に秘めようと、身分は朝廷に仕える小役人に過ぎなかった陰陽師の気構えだったのだ。
ふらふらともつれ合って出た先斗町は夜の顔だった。
僕は身体ひとつ分しか幅のない路地へ銀河さんを導いた。木屋町へ抜ける手前の屋根裏に19年やっているバーがある。
「京都、ええなぁ」うしろを歩きながら銀河さんがうなるのが聞こえた。