新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

自由が混乱を生み、制約が秩序をもたらすと仮定しよう - 2(承前)

ANA公式ページ 国際線サービス BUSINESS CLASS 機内食・ドリンク

http://www.ana.co.jp/int/svc/jp/c/meal/1002b/NRT_JFK/


■食前のプロローグ(「前菜」)

 和食:和の旬菜取り合わせ

 洋食:帆立貝のスモーク 柔らかいキャロットのババロアとともに 柚子味噌の香るマヨネーズで

    フレッシュガーデンサラダ 彩り鮮やかなビーツのドレッシング


■主役の一皿(「メイン」)

 和食:豚三枚肉の酒粕漬け焼き はちみつ醤油風味

    寒ぶりの照り焼き 小松菜の胡麻浸しとともに

 洋食:トリュフの香る牛フィレ肉のステーキ 芳醇なボルドー産の赤ワインヴィネガーのソースを添えて

    真鱈とパンチェッタのポワレ ルーラード仕立て 柚子の香るソースとともに


■御飯/ブレッド(「ライス、またはパン」)

 和食:北海道産ゆめぴりか 味噌汁 香の物

 洋食:2種の手焼きのブレッド バター もしくは オリーブオイルとともに


■食後のエピローグ(「デザート、あるいはデザートワイン」に該当する)

 和食:元 元禄仕込 純蜜薫酒 純米大吟醸

 洋食:燻Barセット


※上記は2011年2月のメニュー。

2010年5月にANAが長距離国際便のビジネスクラスで始めた新しい機内食のサービス。

乗客による選択の幅を大きく広げ、「サービスの品質」(Quality of Service=QS)を飛躍的に向上させてシンガポール航空(SQ)を「ひっくり返そう」と始まったプロジェクト「QSタスクフォース」が進めてきた改革の、これが結実だったのだろうか。

しかし実際にスタートしたサービスは、乗客の自由の幅を広げるというよりは、むしろタガを外してしまいかねない危険をはらんでいた。

どんな飲食店も必ず見込まなければならない「売れ残り」の問題は、機内食においてより深刻である。

機内食は「一皿いくら」の料金ではないし、何より「空飛ぶキッチン」は積載量に厳しい制限を受ける。

つまり「売れ残り」は廃棄率の上昇のみならず、無駄なユニットを何千マイルも運ぶ燃費の膨張を意味するのである。

あまつさえエアラインの乗務員は乗務する前にトイレを済ませ、排泄物を機内に「持ち込む」ことのないよう求められているという。

ANAに至っては2009年、搭乗前のアナウンスで乗客にも「搭乗前にお手洗いを」済ませるよう呼びかけ始めて驚きを呼んだ。

CO2削減が狙いとANAは云っていたが、嘘だ。

大手エアラインが乗客1人を1マイル運ぶのにかけているコストは12円程度だと考えられている。

だが世界の、特にアジアの空を席巻しつつある格安航空会社(LCC)の場合、このコストは10円を大きく下回る。

こうしたコスト競争のなかで、大手エアラインは乗客の膀胱の中身に手を出すところまで追い詰められているのだ。

このような機内食の、というよりも航空会社として利益を出し続けていくための現実的な制約と乗客の「要望」との間に合理的な妥協点を設定するため古くから用いられてきた「ビーフ・オア・チキン?」構造(つまり「それ以外選べない」という意味での制約)そのものを、ANAはこの時期に放棄しようと試みたのである。


だがANAはこの新サービス投入にあたり、さらにもう1つの冒険に出た。

上に掲げた「2011年2月」のメニューでは消されているが、導入当時のメニューには「和洋両方のメインをお選び頂くこともできます」と書かれていたのである。

つまり町場のレストランでいう「プリフィクス」ですら、各要素(前菜、メイン、デザート)からおのおの1皿ずつのチョイスで「コース」が成立するのにもかかわらず、ANAが投入した新しい機内食のサービスでは、


 前菜:和の旬菜取り合わせ(和食)

 メイン:寒ぶりの照り焼き 小松菜の胡麻浸しとともに(和食)

    :トリュフの香る牛フィレ肉のステーキ 芳醇なボルドー産の赤ワインヴィネガーのソースを添えて(洋食)

 ライス、またはパン:北海道産ゆめぴりか 味噌汁 香の物(和食)


などと、メインですら「両方ください」というオーダーに応じると言い切ったのだ。

そもそも機内食の積み込みにおいて、どの便に何を何ユニット積載するかは過去の統計情報や乗務員の経験・ノウハウなどをもとに、慎重に決定されている。

1人々々の乗客が和食を好むか洋食を好むか、ビーフを食べたいかチキンを所望するかはそのときになってみなければ分からない。

だがせめて「1人1コース」だと仮定するならば、「この時期のこの便であればビジネス客がほとんどであるから、比較的ビーフが出る。その次は和食。ダイエットメニューである魚はあまり出ないだろう」といった調子で積み込むユニットのバランスを最適化するのだ。

ところが上記のように、「ビーフ・オア・チキン?」構造を解体してしまうと、コースではなく「皿ごと」に好みが偏ってしまいかねず、この予測・調整の難度は格段に跳ね上がるであろう。

そのうえさらに、1人が同じ要素から2皿オーダーするかもしれないということになってくると「今月のメニューはビーフもチキンも高人気。和食の前菜も牛しぐれ煮で食指の動くところだ。よって牛しぐれ煮を頭にビーフ・チキンを流し、和食は押さえ程度に・・・・」などと週末のおっさんが競馬新聞片手に延々とぶつぶつ云っているような姿に近い有様で、これはもう「合理化」「最適化」どころの騒ぎではない。上に述べたような世界の空の状況を思えば、これはまるで時代錯誤的な過剰「サービス」、航空会社としての自殺行為だ。


そして新サービスで懸念された問題点(というか、私が懸念した問題点)の三番目にして最大のものは、オペレーショナルなものだった。

ここまでに述べたリスクは結局のところカネの話であって、料金が「合わない」と判断すればビジネスクラス料金を引き上げるか、気の毒だがエコノミークラスの料金にでも転嫁すればよい。

だが限られた数の客室乗務員がこれだけ複雑化した乗客のオーダーを記憶し、手狭なスペースでこれに対応することが果たして可能なのかという問題には限界がある。

ちなみに今回のサービスで打ち出されたもうひとつの厄介なキャッチフレーズは「いつでもお好きなときに」である。

離陸後1時間ほどが経過すると「よーい、どん」とばかりに準備が始まり、それから30分も経つとデザートが供されているという従来のスタイルとはこれも異なり、ANAは新サービスの開始とともに、いつでも乗客が望んだときに食事をスタートできると胸を張った。


ANAがサービスの導入前、乗務員のトレーニング風景をニュース番組に公開した。

そのときすでにサービスの概要を聞き知っていた私は「恐らくこれは無理だろう」と思っていたのだが、案の定、訓練中の乗務員たち(素人ではない、決して!)は混乱を極めていた。

彼女らの先輩にあたるとみられる鬼教官はカメラに向かって「必ず、間に合わせます!」と笑顔で自信をのぞかせたが、当の彼女らはカメラが入っているにもかかわらず、「ウエ」の無茶な決定に対して現場がサジを投げたときに特有の、あの表情を見せてしまっていた。続く。