新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

移行めも。

午後6時。うどんを煮て食う。

腹にものが入ると酒を飲めなくなる私にとり、これは「今夜は飲みません」というサインだ。

思えばこうやって意のままにならぬ飲酒癖をねじ伏せながら、10年の長きにわたる酩酊フェーズから脱して、1年半になる。

特に用事や強いストレスでもなければ、仕事が終わって家に帰り、飯を食って一滴も飲むことなく床に就くなど今ではお茶の子さいさいだ。

もっとも眠りに落ちることが半年前から極端に難しくなり、時に薬の力を借りるようにはなったが、それはまた別の話だし、

「薬も中毒性を気にする人はいますがお酒よりはまだだいぶいいですから・・・」

というカウンセラー・S先生の言葉を私は患者としてというより、ひとりの大人として支持するものである。

さよう、週に三日は酒の機会を避けられず、またそれを私も唯々諾々と引き受けてはいるものの、私は変わりつつある。

移行しつつあるのだ。


こういうことを思い出したのは、過去のブログにいちいち手を入れる作業に精を出していたからだ。

昨年の7月にamebloからはてなへ移行した私のブログには数々の不具合が残されていた。

1. amebloは改行コードを< br/>タグでエクスポートしたが、はてなの独自仕様は「空行2行」で認識し、< br/>タグでは素直に改行しない。

2. 画像データが移行しておらず、すべての画像タグが殺されたまま。

3. エントリーの日付が正しくインポートされておらず、1日づれたりほかの日付になったり、複数のエントリーが同じ日になったりとまったく要領を得ない。

よく半年も放置したものだが、ここへきて日に5人も訪れなくなったという解析の結果を見て、頃合いと重い腰をあげた。

30ほどのエントリーには酒をやめたくて仕方のないやつに特有の叙情があふれていた。

いままでに出会った誰よりも言い訳のうまい男にして、私はよく努力している。


MacBookAirが損壊する。

初代であるが、それほど長く使ったわけではない。

しかしある日突然、関係はないかもしれないが念のため云っておくとAdobeReaderをアップデートした直後から、HDDのシークタイムが500倍ぐらいかかるようになって、事実上のリタイア状態である。

日によってはFireFoxFlashを再生するだけでもCPUの温度が70℃を超え、動かなくなったりしたのだから名機だったと惜しむわけではないが、仕事には困った。

折しも発売になった新しいMacBookAirを買うと、SSDで統一されたI/O装置は爆速というか、現代の神である。

MacBookAirのメモリ増設は店頭では受け付けておらず、するなら預かりになる店員が云うものだから、あきらめてデフォルトのまま使い始めたが、2GBの「どノーマル」でも体感で以前の5倍以上のエネルギーゲインがある。


しかしもとのマシンが壊れた場合のデータ移行には苦しんだ。

データはなんとか外付けのHDD(私の家に大容量の外部記憶装置があるという件については今日手直ししたばかりのエントリーをご覧いただこう)へ吐き出せたため、そこから新しいマシンへ戻すことができたが、そもそもMacネイティブの移行アシスタントが旧マシン側で起ち上がらないものだから、設定のたぐいはすべて手作業になった。

後々のためとつけておいた「Mac移行メモ」が残っている。

Google Chrome

Macで「Chrome」→「同期の設定」で、移行したい項目を選択して一度GoogleアカウントへBookmarkその他の情報をアップロードする。

Macで同様に「Chrome」→「同期の設定」で、Googleアカウントから情報をダウンロード。

Chrome再起動→同期されたBookmarkその他が反映されている。

Macで「Chrome」→「環境設定...」→同期を切る。


Thunderbird

Macで「ライブラリ」→「Thunderbird」→「Profiles」→「(なんらかのID).default」フォルダ内を取り出す。

Macで同様のフォルダを探し、旧Macから取り出したファイルで上書きする。

MacThunderbirdを起動すると、アカウント、メールデータその他がすべて反映されている。


北朝鮮郡部の暴走と張作霖

最後の一行はまったく意味不明だ。


本当は今日も酒を飲みたかった。

ストレスを感じるというわけではない。

私は自分のことをストレスに強いタイプだと思っていたが、それは不断に飲み続けた酒が痛みを麻痺させていたからに過ぎず、本当は日々、それこそ眠れなくなるほどのストレスを感じながら生活していることを、酒をやめて初めて知った。

だが今日はそうではなく、久しぶりにいいアニメを観て、なにか胸のつかえがとれたような気がしているからだ。

「観てみたい」「観ておかなければならない」と「観たい」とは決定的に違う。

観たいアニメを観て、心のなかから何かを持って行かれたときには、その隙間をすぐに埋めてはいけない。

掃除したパイプのなかへ最後に勢いよく水を流すように、そこは綺麗にしておくことが重要だ。

そうやってブログも更新せずに飲みに行こうとした自分を、うどんを食って抑え込んだのだが、あまりにもアニメが良すぎたため、私はこうして筆を置き、近くの飲み屋に移行する。


最近もっとも反響のあった私のtweet

毎晩毎晩酒を飲んでいると、それだけで何か自分が偉い人間になったような気がする。

ひとには真似できない努力を続けているような気がしてくるのだ。

でも本当は違う。

同じ時間にできるいろんな努力のすべてから逃げて、今日も酒を飲むことしかしなかったという、それだけが真実なのだ。

ゴッホ

せめて自分にゴッホほどの才能があればよかったのにと世をはかなむ、これは私の言葉である。