ボストンから日本へ帰ってくると時差ボケがどうなるかというと、朝の5時頃目が覚める。
毎日毎晩わざわざ予定を入れて浴びるように酒を飲みながらいろんな話をさせてもらっているが、ふらふらになってホテルのベッドに倒れても、朝5時に目が覚める。
それも割合はっきり目が覚めるので、仕方なしに起き出してできる用事を済ませたら会社へ出たりするのだが、当然夕方にはきつくなる。これは時差ボケ(眠くなる方)と寝不足のツーフィンガーなので、僕はあまり頭痛のしない人だがさすがに4時の方向からキリで突かれているような痛みで目の前がチカチカしたりする。早起きして早寝して、という生活にしてしまえば済む話なのだが今日も飲みの予定が入っており、これを押してまた出かけていくというわけだ。
このまま飲み続けると死ぬ。
* * * * *
ハムスターに勃起不全治療薬「バイアグラ」を注射すると、「時差ぼけ」からの回復が早まることが、アルゼンチンの研究チームの実験で明らかになり、21日付の米国科学アカデミー紀要(PNAS)電子版に発表した。
この研究は2007年にイグ・ノーベル賞を受賞している。
* * * * *
そんなこんなでゆうべも随分飲んだというか久しぶりに帰りの電車で吐き気を催すほどのいい酔いっぷりで、混雑した車内にもかかわらず僕のATフィールドがだんだん拡大して周りに人がいなくなる経験をしたのだが、おかげさまをもって就寝がここ数日では早い方で、すこしゆっくり寝られたと思ったら夢をみていた。
この歳で学生に混じって就職活動をする夢だった。
それもいまどきというか履歴書とエントリーシートを会社までもっていって、窓口に並んで提出するという仕組みの会社ばかりで、しかもリクルートスーツに身を包んだ就活生のなか、なぜか僕だけモンベルを着てきてしまっており、自分の順番が回ってくるまえになんとかごまかせないか(ごまかせない)と年甲斐もなくテンパりまくるという哀しい夢、もっといえばエントリーする先は2社あったがどちらもシステム開発会社という、なんとも夢のない夢であった。
最後に自分の番が回ってきた頃、「あ、俺の場合、就活じゃなくて転職活動せなあかんかったんや」と気付いたのを覚えているが、僕と就職活動というのはやはりなんというか因縁浅からぬものがあるからか、ここしばらくなかったぐらい鮮明な夢ではあった。
こういう云い方をすると嫌われるのであえて云うが、僕は勉強ができたので試験前に苦しんだということはあまりなく、むしろマラソン走者のように堅実で不断の努力によって先々の目標を確実に突破・撃破していくという、こういう受験戦士であって試験前にテンパる夢というのを実はみたことがないが、試験の直前になってなんの準備もできておらず泣きながら机にしがみつくという夢はいくつになっても見るものだと六十を過ぎた先生が云っていた。
つまり僕の場合、かわりに就職活動の夢をみるというのはそれなりの理由があるのだろう。
* * * * *
今年もノーベル賞が発表される時期になった。
残念ながら小保方晴子は今年も受賞を逃したが、「手技の練習に時間がかかるので、実験開始は9月以降になりまぁす」と云っていたその9月が終わったので、STAP細胞で明けた今年を締めくくるべくラストスパートで年内にあと2000個ぐらいSTAP細胞を作って欲しいと、これは本当に期待している。
早稲田生が「チクショー小保方のせいで手書きだよ〜」とか言いながら過去レポ写したって話を無心で聴いた。
— ばっぱ (@bappakirby) 2014, 5月 14
あの、これは本当にわかってほしいのだが、試験で過去問をひたすら暗記したりレポートを書き写したりするのと論文を剽窃するのとは決定的に違うのであって、研究者としてその世界に対してあらたにひとつ貢献したことを証すための論文と、単位をとることが目的の試験やレポートとはその目的が違うので許されることと赦されないことが違う。
いずれも褒められたことではないとのご指摘はごもっともだが、試験やレポートでいえばそもそも褒められたものでないのは毎年毎年きっちり同じ問題を出題し続けて過去問や模擬解答の氾濫を許し、これに目をつぶる教授の方であろう。
大学へ何をしにきているかは学生自身が決めることなのであって、単位をとって卒業するのが目的だという学生が広義の不正行為である模擬解答の入手におよぶのを防ぎたいのであれば、偉そうに嘆いてみせるまえに毎年出題を変えればよい。
ところがこれをしてしまうと、あの講義は模擬解答が存在せず単位取得が困難な「ハマり授業」だという評判がたち受講する者がいなくなってしまうため、講義を維持するためには結局この状況に目をつぶらざるを得ないというのがからくりだから早稲田の闇は深い。
教授も学生も学問に対する情熱や知的欲求とはまったく異質な世界で大学をやっており、これはどちらかというとマーケットに近いというのが実際のところであろう。
目的が目的であれば当然合目的的に最小のコストで最大の効用を得るというのが効率的市場仮説における合理的経済人の想定であって、早稲田大学というのは個人主義的にマーケットから果実を得る訓練に適している。思想とかは、ない。
父はかつて、早稲田大学への入学を志した私を諭していみじくも云った。
「早稲田なんかは大学ではない」
今頃になってその知見には唸らされるところであるが、それにつけても小保方晴子の一件でもらい事故的に露呈した早稲田大学の卒業生製造プロセス。
だが早稲田大学は私立大学であって学費は学生(あるいはその後見人)が負担しているのだし、またなけなしの早稲田ブランドが毀損したからといってキャリアを断たれるも評価を失うも、それだって損をするのは学生とOB自身であるからには第三者がとやかく云うような筋合いがない。
私は第三者ではないが、それでも早稲田のブランド(そんなものが本当にあるならばだが)に恩恵を受けたような記憶はないし、このような冷たい世界で「早稲田です」と云ったら何かいいことがあるだろうと感じたこともない。
そういえば大昔に読んだマンガで、酔っ払って吐いたゲロをなぜかビニール袋に入れて持ち帰る途中、いつもの調子でそれを網棚に載せたらあふれたゲロが下のオヤジにかかってブチ切れられたが、「てめぇ大学はどこだ!」と訊かれ「ワセダです.....」と答えたら「おお!俺もワセダ出身だ!」となって意気投合、最後はオヤジと肩を組んで一緒に都の西北を歌いながら帰った駒澤大学の学生が出てきたが、もしかしたら早稲田のブランドこそ早稲田に関係ない人々に搾取されているのかもしれない。
僕の知人も中国で早稲田という学校を経営している。
まぁ皮肉な話だがそれを批難するというような話でもない。