本年38冊目は「闇に香る嘘」(下村敦史/講談社/Kindle)。
作者の下村敦史は本作により2014年第60回江戸川乱歩賞を受賞してのデビューだが、巻末に付された略歴によれば1981年生まれ、99年に高校二年生で自主退学、2006年から江戸川乱歩賞に毎年応募してこれが9回目というからまぶしいものを感じる。
これまでに最終候補までに残った四作、あるいはそれ以前に落選した作品群というのはどこにいったのだろう。いつもこういうことを不思議に思ってきた。
編集者の手を借りて今後の作品に作り替えられていったりするのだろうか。あるいはそもそもこれだけ強く作家を志してきた人物なのだから、評価されなかった作品などなんでもなくて、前進するのみなのだろうか。
文化的貧乏性というか、浮かばれなかった作品(あるいは作品候補)を「もったいない」と感じてしまうのだが、これを「売れなかったWebサービス」に例えれば、いくら創意と労力、少なからぬ予算を費やしたサービスも評価されなければそれまでであって、あとあと何か「当たった」からといって「いやー、むかしこういうサービスやってたんですけど、いまさらどうっすかね」などと厚かましく出してくるやつはあまりいないし、いても無駄だということは直感的にわかって、さっき初めて納得した。
際限なく「一発」を打ち上げ続ける一発屋だけが真のヒットメーカーなのだ。「こちら箸休めでございます」などといって新作を出してくる作家はいない。
戦後、母親と2人で満州から引き揚げてきた主人公は戦時中の栄養不足からか、40歳を過ぎて失明する。
満州以来の不幸を託ち、世間や家族への恨みを抱いたままひととの交わりを断ってきた主人公は、家族との絆を取り戻そうとたったひとりの孫娘のため生体腎移植を申し出るが、検査の結果移植は不可能だとわかった。残る望みは中国残留孤児として80年代にようやく帰国し、岩手の実家で暮らす実兄のみ。
中国人の養父母に育てられ60代で再び家族にもどった兄に違和感をおぼえ疎遠にしていた主人公は一念発起して実家を訪ね、孫娘のため片方の腎臓を提供してくれないかと頭をさげるがにべもなく断られてしまう。
なぜか。常闇のなかに暮らす盲目の主人公の心に疑念が頭をもたげ始める。「兄」は本当に兄なのか。我が子を満州に置いてきたという母親の罪悪感に乗じ、兄を偽って「帰国」した中国人なのではないか。
白杖を手に、主人公は真実を追いかけ始める。同じ開拓団として満州に入植した人々に自分たち家族と兄のことを尋ね歩くと、やがて主人公を包む闇のなかには微かな香りが漂いはじめ、心を蝕む疑念がかたちをもってうごめき出す。
応募作だからなのか、荒っぽさがめだって辛かった。
視覚障害者の物語を描いたりするのを「映画化不能」とかいう風にとらえるのは「映画差別」だが、それでも小説ならではの表現にこだわって欲しかった。なにせ晴眼者が書いた視覚障害者の生活という感が抜けず、妙に勉強にはなったが驚きはなかった。
そもそも「闇に香る嘘」っていうタイトル、「嘘」って付いてていいのか。
嘘か誠か分からないから嘘なんであって、闇なんじゃないのか。
書評に釣られて読んだが、ジャケ買いなら最初からなかったなといまさら思う。