新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

ボブ・ディランの夢。

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中国は福建省の海に突き出た厦門(あもい)という島があって、ここは丸々五大経済特区のひとつに指定されており経済発展著しいのだが、もとは海峡を挟んでのぞむ台湾ともゆかりの深い華僑のふるさとであったり比較的治安もよろしいかったりする温暖な土地である。

縁あってたびたびこの地にとある社長さんを訪ねて行く。

「どうしても見せたいところがある」と云われて「たぶんKTVだろうな」と思ってついていった先は案の定KTVだが規模が尋常じゃない。

「これは完全に劇場ですよね?」という大舞台をそなえたアリーナを望む3階か4階にとってあった個室はカラオケというよりはホテルのスイートルーム(ベッドはない。念のため)といった風情で、何十人かのおねえちゃんがとっかえひっかえ並んだなかから日本語のできないホステスを選んだ。

「仕事はなんですか?」と訊かれたので、

" Office worker. "と答えたのだが通じず、手元のメモ帳に「乞食」と書いたらウケたという話がしたかっただけだ。

 

なおこの「乞食」という言葉は差別用語として現在では放送されない日本語となっている。

だいたいなんだかんだ社会保障の行き届いた(レベルはともかく)現在では「僕の地元には乞食がいました」という話も聞かなくなった。

うちの実家とて最後に乞食が勝手口に現れてばあちゃんが発狂して追い返したのは80年代の頃だ。

なおばあちゃんの名誉のために付け加えると、乞食相手に発狂したのはばあちゃんもまた戦後の大変な時期を生き抜いてきた一人であったからで、何の不幸をかこってもひとに物を乞うなどという卑しきに身を落とさず歯を食いしばって生きていかんかという怒りがあったからだということだ。

ばあちゃんは息子二人に下着だけは綺麗なものを着けさせようとなけなしのカネを持って買い物に出たら麻雀に負けた義弟にそれをせびられて帰ってきたというエピソードを晩年は笑って話すようになっていた。

 

ボストンに限らずアメリカの街角には必ずといってよいほど物乞いをしているひとがいる。

テンションはまちまちで、「私は職を失い、子供ともどもホームレスです」と書いたダンボールを持って憐れを乞うているひともいれば、「今日はゴキゲンいかがで?神のお恵みを!」とゴスペル調で呼びかけながらダンキンドーナツのペーパーカップをチャリンチャリン云わせているのまで様々だがボストンではやはり物を乞うのにもレッドソックスの帽子が必須である。

商売道具と思えば安いものだ。

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ボストンの街角でレッドソックスの帽子をかぶったひと同士がすれ違う。

A: Go, Redsox ! 

B: Oh, yeah!!

こういうやり取りをみて唖然としたことがある。

大阪で云えば、

A: いま阪神何位や?

B: 3位や3位、広島と2ゲーム差。

こういう感じで会話自体成立してはいるがAはだいぶんイカれている。

ボストンの場合は双方ともにピンピンのおっさん同士がお互い名前も知らない相手とこんなことをやっているから、やはり相当あぶない街だと直感する。

が、レッドソックス周辺の報道メディアは何に対しても毒づくので、昨今の毒が新体制を本気で批判するものなのか、フェンウェイ球場を通り抜けようとする無謀な人間に向けて必ず発するいつもの毒なのかは、区別のしようがない。

マネー・ボール[完全版]」/マイケル・ルイス

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ところで街のそこここにいるこういうひとたちは、僕の記憶に残る和製乞食とはだいぶ趣がちがうのだが、立ち位置は同じなのだろうかと考えていた。

なお日本では僕の仮説が正しければ乞食は絶えてしまったため、乞食が差別用語だとしてもこのあとを襲う言葉が見当たらない。ホームレスは別に物乞いをしたりしない。したがって、少し気分は悪いが乞食は乞食と呼ばざるをえない。

と思っていたらWikipediaにこんな写真が載っていた。

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カナダの乞食。2008年、バンクーバー

乞食 - Wikipedia

あー、これこれ、まさにこういうひと。

ということでこういうひとたちはやっぱり日本語では乞食と呼ぶしかないんだなといったん納得した。

要するに英語の "beggar" にそこまで差別的な響きがなく、いまも特にこだわりなく使われているからこういう対応になるのであろう。

なおbeggarもそうだが、アメリカでは道端でなんか演奏しているストリートミュージシャン、こういうひとに関しても道行く通行人が施しを(ミュージシャンに関しては「断じて施しではない」と云いそうだが)していく割合が高い。

理由が特に思いつかないのだが、そういえばベトナム人も酒場にもぐりこんできた宝くじ売りの少女がいると、僕には「買わなくていい」と云いながら、自分はこっそり少し買っていたりしたので、こりゃ日本が特殊なのかなと思ったりもする。

ただアメリカについては教会を寄付で支えるような社会的背景が古くからあるので、そもそもちょっとした喜捨にはこだわりがないということなのかもしれない。

ベトナムについてはサンプルが少なすぎてなんともいえない。

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office workerを乞食と表現したのはもちろん悪い冗談だ。気分を害した方がいたらお詫びする。

僕はoffice workerをもう10年以上やっているが遅刻だけはしても怒られないという特殊な環境だったため、いま一緒に仕事をしている仲間を含め、朝起きて会社にくる、土日祝日以外は基本的に休まないという生活を営み続ける方々には心から敬意と感謝の意をを表するものである。

社畜」なんて言葉でサラリーマンを馬鹿にする向きもあるが、おまえがサラリーマンじゃないなら1ヶ月でもやってみろよ、おまえなんかその間にサラリーマンすらクビだよ、と吐き捨ててやりたい気持ちをもって、今日も出勤はしなかったが仕事はしたのでそろそろ飲みに出ようと思う。

皆さまと私自身に神のお恵み多からんことを祈る。