新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

本年43冊目〜59冊目まとめ vol.3「ワイ、経済学で失業の謎に取り組んでいる間に失業」。

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もちろん今年という年はいまだ継続中だ。

いまだって今年の読書メモは伸びているし、仕事だって少しはしている。

朝起きて朝食を調え、食べて洗い物をしたら換気しながら床にモップ掛けをしたあと仕事。

朝食から3時間が経過し脂肪が燃焼する時間になったらジムへ行って10分のウォーミングアップ後、1時間のラン、5分間のクールダウン、買い物をして帰宅、昼飯を作って食う、入浴、仕事、晩飯の仕度、食って読書して寝る。

毎食リンゴを一個むく。

「いったいどうやって暮らしているの? まるでロビンソン・クルーソーじゃない?」
「それほど楽しくはないよ」

(「風の歌を聴け」/村上春樹

村上春樹の主人公ばりに大学を馬鹿にした学生生活を送っていたくせに、もう一度大学に入りたいと考え始めて5年以上になる。

だが自分の通った大学の講義がトラウマになって踏み切れない。

ある講義はまず1週目と2週目を休講にしたあと、3週目からは教授が教壇に自分の書いた本を広げておもむろに音読し始めた。

これはダメだということでその後2ヶ月授業をボイコットし、試験前だからそろそろ様子を見ようと久方ぶりに出席したら教授はまだその本の続きを読んでいた。


1位ハーバード、東大24位 米誌が世界大学ランキング:朝日新聞デジタル

本年43冊目〜58冊目に呼んだ読書メモからなんらかのくくりで書籍をご紹介する本企画。

第1回は「経済学関連書」などと申したが全然経済学じゃなかった。

今回こそが経済学関連書である。

 

スティグリッツの経済学 「見えざる手」など存在しない

スティグリッツの経済学 「見えざる手」など存在しない

 

54冊目「スティグリッツの経済学『見えざる手』など存在しない」(藪下史郎/東洋経済新報社kindle)。

首相官邸へ招かれて安倍総理増税延期の進言をした(というか、そういうかたちで利用された)ポール・クルーグマンとならび日本で人気のノーベル賞経済学者・ジョゼフ・スティグリッツの功績を一般の読者に分かりやすく解説する。

「分かりやすく」なんだから、分かったことを説明しろよと云われるとこちらの付け焼き刃が露呈するので無謀なことはよす。

要するに作る方が作りたいだけ作るとやがてものが余る、買う方は買いたいだけ買うと値段があがってやがて買えなくなる。このふたつの条件の釣り合うところでものの値段はつねにひとつに決まる。それがすべてのプレイヤーにとって最適な値段(そして生産量)なのだという「神の見えざる手」という考え方についてはどなたもなんとかご理解されていると思う。

「需要曲線と供給曲線」「魚心あれば水心あり」というあれだ。

しかしここにはいくつかの(かなり)無理な前提があって、市場原理というのはまさに神学レベルで机上のモデルに過ぎないのだ。

この前提とはたとえば「すべての商品は同質である(スーパーにリンゴが100個積んであったら、全部同じ。選ぶ必要まったくなし)」「同じ商品の価格はひとつに定まる(マルエツ、ライフ、サミット、どこ行ってもリンゴの値段は必ず同じ)」など理論的なモデルだといってもわりかし無体な条件を含んでおり、そのいずれも現実にはもちろんありえないことなのだがスティグリッツ(たち何人かの経済学者)はなかでも「すべての消費者は商品について完全な情報を持っているものとする」という前提が、市場原理モデルに致命的な欠陥をもたらしていると看破した。

 

同じ年式・走行距離の中古車が極端に違う値段で売られているとする。

安い方の売り手はそのクルマに大きな欠陥があることを知っているが、もちろんそれを買い手には知らせない。

一般の買い手が自分で点検できるほどクルマに詳しくないとすると、知りうる限りの情報を総合した結果、安い方のクルマを買ってしまうかもしれない。

これは「安ければ安いほど売れやすい(たくさん売れる)」という市場原理と矛盾しない。

だが高い方の中古車の売り手はこれを見て自分のクルマも早く売れるようにと値段を下げるだろうか?

自分が売ろうというクルマに大きな欠陥がないことを知っている売り手は値引きをしないばかりか、あまりに市場価格が安いようであればむしろいまはクルマを手放そうとしなくなるであろう。

こうして市場に出回るクルマが欠陥中古車ばかりになってくると、今度はそれを知った買い手が中古車の購入を控えるようになっていく。自分では購入前に充分な情報を得ることができないと知っているからだ。

本来、市場に出回る数が減れば価格があがって自動的に調整されるはずだったのが、こうすると価格はスパイラル的に下落していくことになる。

「神の見えざる手」など存在しないという本書のサブタイトルは、こうした市場の本質的な不完全性こそスティグリッツたちの大発見だったことを示すものだ。

つまり現実の市場においては情報は非対称であり、この市場の不完全性こそが、長年にわたりミクロ経済学マクロ経済学とのシームレスな連結を妨げていたというのである。

 

スティグリッツと同時にノーベル賞を受賞した経済学者たちの突いた市場の不完全性の例としてはほかにも就職市場が挙げられる。

学生を採用する側の企業は学生の本当の質を見抜くことが難しいから、新卒で採用したら全員の給料を一律同額に決めたがる。しかし自分が優秀であることを知っている学生は、それほど優秀でない学生と同じ給料で働かされるのは馬鹿馬鹿しいと考えるため、「自分は優秀だ」ということを企業にわかってもらうためのシグナリングにコストを支払うようになる。

大学や大学院に進学することが必ずしも社会における生産性に影響しないにもかかわらず高給を得るために学歴で「箔を付ける」というわけだ。

完全な市場では優秀な労働者には自動的に高い賃金が支払われるはずであったのに、そうでないがため、逆に優秀な労働者がコストを払ってまで企業側へ情報を発信するケースだというわけだ。

 

そしてこの「私は優秀だ!」ということを世に知らしめたいという欲求、これこそが私をあの大学へと進学させた動機のすべてであった。

そこにシグナリング以外の目的はなかった。極端にいえば、私はそこで何も学ばなかったとしても優秀な成績で卒業をさえすれば、それで目的は達せられたのである。よって上ではちょっとひどいことを云ったが、あの大学の内情についてとやかく云うような筋合いは私にはない。

 

なお卒業した頃には就職氷河期まっただなかで、出身大学程度のシグナルではどの企業もまったく私に食指を動かさなかった模様である。

採用数が減れば賃金が下がり、賃金が下がれば今度は逆に採用数が増えるというのが市場原理のはずであった。

しかし実際には就職難のあおりを受けて殺到する学生達を前に企業はむしろその能力を図りかね(情報の非対称性)、最低限の採用をしたらシャッターをおろしてしまったのである。

スティグリッツ、有能。

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編

 

 55冊目はまさに教科書。

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 ミクロ編」(ティモシー・テイラー/かんき出版/kindle)。

アメリカの頭のいい大学でもこんなにかみ砕いた講義受けてるんやな・・・・と変に感心してしまうほど柔らかい入門書。

日本でいえば高校の現代社会に毛が生えたか生えてないかというレベルなので大抵の大人が自然に読みこなせると考えてよい。

先に挙げたスティグリッツによるミクロ経済学への修正も多分に盛り込まれており、非常に現代的。

なお私が大学にいた当時、受講した「経済学入門」では教科書の1ページ目に「資源は有限であるが人間の欲望は無限である。ここに経済が生まれる」と書かれており、これをもって「エウレカ!」と叫んだ私は授業を抜け出し二度と教室へ戻らなかった。

成績は前後期ともに「優」。

だがおかげで今頃こんな本を読んで経済学をイチからやり直さなければならないハメになっている。

いまさらだが今度大学に行くなら経済学を勉強したいからだ。

今度はシグナリングが目的ではなく、純粋に自分の追いかけている謎を解くためだ。大学選びを間違えてはならない。