今日はちょっと残念なお知らせをするね。
それは世界ランキングNo.1に輝く日本人の平均寿命というのはいいかげん長すぎてもうすでに我々にとってはリスクになってるよねっていう話。
日本は、WHO加盟国の中で世界一の長寿国となっています。日本人女性の平均寿命は世界最長で87.0歳となっており、2位スペイン、3位スイス、4位シンガポールと続いています。日本人男性の平均寿命は世界第8位(80.0歳)で、上位9位の国々において男性の平均寿命は80歳を超えました。
女性はそのうち死ななくなるんじゃないかと云われておりますって渡辺喜美が昔パーティーの挨拶で笑いをとってて、こいつ面白いなと思ってたらあっけなく失脚したけど、その話は今日は関係ないからやめとくわ。
日本人全体ではだいたい84歳ぐらいに達するという平均寿命。
これ「だいたいの人が84歳で死にます」っていうことじゃないから要注意。
「生きる人はもっと生きるんだけど、若くで死ぬのもわんさかいるから平均したら84歳ぐらいかな」ということなんよね。
しかも気をつけないといけないのはこの平均寿命、いまもまだ延びていってるってこと。
なんで延びてるかっていうと、たとえばいま84歳の先輩方っていうのは1930年代生まれだから、これ戦前生まれなわけ。
育ち盛りを戦中戦後の食糧不足のなかで過ごして、高度成長期に鳴らしたバリバリの環境汚染のなかを生きてきた結果として84歳という、ちょうど平均寿命と同じ年齢にいらっしゃるのね。
いまやバッキバキに発達した医学の恩恵もその時なりにしか受けることができなかった、その世代の皆さんがこの平均寿命84歳のさらに向こう側で多数ご存命の結果、平均寿命84歳なんですよ。
その点我々なんか、アレでしょ。
公害訴訟もそこそこ落ちついて水も空気も綺麗、ガンも手術でとれたりしちゃうから本人に告知するのも当たり前みたいな時代にともすればオーガニック野菜とか食べて醤油は減塩、コレステロールも抑えめにしてたりするわけじゃないですか。
そりゃガンガン延びるよ。
平均寿命は延びる。
これからも。
まぁ基本は人間だからアーキテクチャは変わってないけど。
クロック数が多少あがってもコアが2つになったりはしてない。
だから500歳とかになるのは心配しなくていいよね。
「やべぇ、俺100歳のときには貯金7億2千万ないと500歳までもたないよ〜」とかは心配しなくていい。
だけど相当な確率で80歳とか90歳とかまで生きることがありうるとは思っておかないといけないわね。
キミ「俺は太く短く生きる」。
OK。
云うのはいいよ、云うのはいい。
でもまかり間違って長生きしたらどうするのっていうのは深刻な問題だよ。
これは1999年に人類は滅亡するんだから学校行かなくていいのかっていうのと同根の問題。
キミ、学校行ったでしょ、結局。
だから自殺できる自信のない人はやっぱり「60歳からの30年をいかに生き抜くか」みたいなことをある程度真剣に考えておく必要があると思うんだよね。
で結局何かっていうと、それはやっぱり金。
たかが金、されど金なんよ。
人はパンのみによって生きるにあらずとはいえ、パンも食うしね。
身体が弱っていくのは、これは程度の差こそあれ仕方のないことなんよ。
だけどそれで働いて生活費を稼ぐことができなくなってもまだまだ死ねないし、かといって社会保障は陽炎(ところで陽炎と腸炎って似てるよね)のように遠ざかりやがて消えていく未来ですよ。
そのときにはもうパン盗もうったって足腰弱って店長から逃げきれないわけですよ。絶対的に。
55歳で再就職、まぁいいでしょう。
仕事あるなら働きますよ。
でも90歳で死ぬまで働き続けるのはまたちょっと別の話じゃないのと。
僕たちはここに対してやはり目をそらさず、変に強がりもせずに向き合っていくべきだと思う。
老人ばっかり余って仕方ないから、ちょっと余計な仕事つくって回してやるから会社に面倒だけはかけんなよとか云われながら薄っぺらい給料袋もらって生活するとか、ちょっと辛いやん、て。
大事にしてくれとか云う筋合いは別にないですよ。
でもやっぱり自分では尊厳をもってね、生きていきたいじゃないですか。
じゃ、どうするか。
まずジョギング。
「何それ」って思った?
でもやっぱり足腰は大事。まじで重要。
なにせ肉月に「要」と書いて腰だからね。
これは基本。
やっぱり人間足からくるし、動けなくなると気も滅入るって云うからね。
体重の増加が膝への負担にならないようにちゃんとダイエット。
それと関節の柔軟性を維持して、スクワットとかもちゃんと指導受けながら長年続けた方がいいね。
風呂上がりにストレッチする習慣もバカにならないわ。
このへんはほんと後になって取り返しつかないから、いますぐ始めた方がいい。
ちなみにお年寄りにとってはいい姿勢を保つっていうのが意外に重要。
筋肉が弱ってきてちょっと背中が曲がったりすると顎が前に出るんよね。
そうするとものを食べるときに喉につまりやすくなるわけ。
これがいわゆる嚥下(えんげ)障害。
そんで気管支の方へ入ったりして肺炎の原因になると結構ヤバいっていう話を聞いたことある。
まぁただしこの場合は死ぬからセーフやね。
で、ジョギングの次に大事なのは、資産を運用するということ。
働けなくなったあともキャッシュフローをもたらしてくれる資産を形成して、これを運用する能力を身につけようよっていう話だと思うよね。
「え、無理・・・・」って思う人も多いと思うけど、俺に云わせたら70歳過ぎても働いて生きてく方が無理。
冷静に考えたらね、まだ普通に働いて収入を得られる向こう30年ぐらいの間にこのへんの問題を学んで備えておく方がよっぽど現実的だと思うよ。
トマ・ピケティ先生「二十一世紀の資本」っていう本で云ってたでしょ「r > g」って。読んでないけど。
トマ・ピケティ『21世紀の資本論』を30分で理解する!―週刊東洋経済eビジネス新書No.76
- 作者: 週刊東洋経済編集部,池田信夫/平松さわみ,西村豪太,長谷川隆,新藤真実,宮澤由美,川崎聡,筒井幹雄,小林由衣
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2014/10/01
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まぁマクロ経済の話を例えに引いてあまり煙に巻くようなことを云っちゃいかんと思うけどね。
でもあれは何かっていうと「歴史的にはg(経済成長率、いわば賃金上昇)よりもr(資本収益率、いわば投資収益)の方が大きくなるから、富は投資家に集まるんだよね、残念!」っていう話なんよ、まとめると。
本自体は凄い大作だけどほとんどは膨大なデータの分析に費やされてるって聞いてて、まぁ本質はたぶんこんなところで合ってると思う。
こんなクソみたいなブログでも誰が読むか分からないから一応予防線を張っておくとすると厳密には「経済が成長するとき労働者が得られる恩恵よりも資本家が得られる収益の方が効率よく大きくなるよ」ということなので、ひと一人が働くのと投資するのどっちが得かという実際のミクロ行動の選択には役に立たないんだけど、そこは目をつぶってほしい。
読んでないとか目をつぶれとか滅茶苦茶云ってるけど原典にあたるのはやっぱりいいことだから、別に読まなくていいんだけど興味を持った人は山形浩生先生のこのへんのエントリをのぞいてみると何かのきっかけになるかもしれないね。
あと山形浩生といえばこのエピソードがなんか好きでたまに思い出してる。
まぁそれはさておき「r > g」。
労働より投資の方が儲かるって云われちゃったもんだから、世のなか労働者みんな「なんじゃそりゃ、やっとれん」とか「富の再分配よろ」とかそんなことばっかり云ってるわけ。
でも考えてみたらさ、労働より投資が儲かるなら、じゃあ投資しようよってなるよね、普通。
じゃ俺らも投資家の方へ回ろうよ、って。
労働しないで食っていけるほどいまは利益は出なくてと、それでも投資はしとこうよ、ってなんでならないんだろう。
ちなみに銀行に預けてる預金、あれも投資には違いないんだけど、あれじゃちょっとここでいう投資運用にはちょっと弱いんだな。
なんでか云っとこうか。
みんな「利子が安い」って云うでしょ。
じゃなんで銀行の利子は安いの?
これの理由は実はひとつしかなくて、それは「いつでも引き出せるから」っていうことなんよ。
銀行の預金っていうのはいつでも引き出せること、あるいはセブンでも、下手したら海外でも引き出せるっていう便利さと引き替えに利子を値切られとるんよね。
銀行の方は当然そんな低利で金を貸してるわけじゃなくて、銀行はそうやって「いつでも引き出せる、便利な金」をいっぱい集めてまとまった額をドカンと長期で貸し付けるから、その分高い利息を企業からは受け取っとる。
この利ざやを銀行に抜かれとる限り、我々は預金で充分な利回りを得ることはできない。
つまりg(経済成長率)を有意に上回る利回りっていうのは、これはあり得ないんよ。
だから働いて得たお金を銀行に預けてるっていうことは、インフレ率を考えると実際にはほとんど運用益を期待できないっていうことになる。
仕事をやめる日までに貯まる貯金の額を計算したら、あとは仕事をやめた次の日からその貯金を取り崩していくとして何年もつかっていう、それだけの話。
これは預金金利が何%でも、結局同じ。あんま変わんない。残念ながら。
だから銀行を通したお金の流れを「間接金融」っていうわけなんだけど、僕らの生存戦略、90歳まで無事生き延びてしまうかもしれないリスクに向き合う僕たちの生存戦略としての投資運用っていうのはそうじゃなくて、株式や債券なんてものに代表されるような商品に「銀行と横並びの位置で」資金を投じて運用することで、働けなくなった先もこの資産から生まれる利益、まさに「r」(資本収益率)によって食っていける人生設計しようよってことなんよ。
そりゃそうでしょ。
「資本収益 > 経済成長(労働)」って云うんだもん。
「やっぱ資本家汚ぇわw」とか云ってないで、労働なんかどうせ年とったらできなくなるんだから若いときから徐々に資本収益の方へ軸足を動かしていこうよって考えたいよね。
だってさ、「カルロス・ゴーンの年収8億!」とかって云っても、カルロス・ゴーンは、あいつはあくまでも日産の労働者であって資本家ではないからね。
キミが日産自動車の株式を100株(日産の株は100株単位でしか買えないから)買ったら、いまだとだいたい120,000円ぐらいだと思うんだけど、そうするとキミは日産にとっては資本家の一人になるわけだよ。
仮にキミの勤務先が日産だとしても、それでもキミは労働者兼資本家に他ならないわけ。
「r > g」でいうとカルロス・ゴーンの報酬は「g」の方に属するわけだけど、キミが日産自動車の株式から得る収益は「r」(資本収益)であって、ゴーンが頑張った見返りにもらう8億より、キミが投じた120,000円から得る(であろう)利益の方が割がいいはずだってピケティは云ってるんだよ。
正直厳密にはそんなこと云ってないと思うんだけど、個人の資本市場への参加をそういう社会的ポジションの変更だと捉えるきっかけにはなると思うんだよね。
「賃金カット辛すぎワロタwww」って労働者としてのキミが云ってても、その分会社の利益が増えたら「配当アップキタコレwww」って資本家としてのキミが云えるわけ。
これを将来に延ばしていって、「今日で停年退職を迎えたんだが」って労働者のキミが云ったとき、資本家としてのキミが充分な日産株を保有していたら、もしかしたら日産で労働して得ていたよりも有利に収益を得られるかもしれないっていうことだよね。
ただし「有利に」っていうのはいろんな側面があるから、単に得られる金額が多くなるとは考えない方がいいよ。
金額は少なくても働いてないから別にいいや、って思える可能性はあるかもしれないっていう話。
もちろん日産株なんてゴミだし、そうでなくても投資の方法論として個別株に投資するのはお薦めできないから、そのへんの話はそれこそ長い時間かけて学んで身につけていくべきだと思うけど、モデルとしてはこういうことじゃないかなと思うの。
ずいぶん乱暴な喩えを挙げて話してきたけど、要するに、
1. 俺ら結構長生きするリスク高いよ
2. 働けなくなったあと、どうやって食っていくかは真面目に考えた方がいいよね
3. 足腰は大事
4. 若いときから戦略的に、労働収益から資本収益へと長い時間かけて軸足を移していく必要があるんじゃない?
とこういうことを云いたかったんよ。
ところで最後になったけど、90歳だろうが何歳だろうが死ぬまで食っていけるだけの金を稼いでリタイヤできる人はこんな話は気にしなくていいからね。
最初に云わなくてごめん。
きっと何者にもなれない僕たちの、これは生存戦略の話でした。
デスティニー!