新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

"Sicario"という映画を観てきた件。

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「素人なりに映画の良さを語ることができる人生」というのが私の生涯のベンチマークのひとつだ。

「最近おもしろかった映画あります?」という愚問は今日も街のそこここで聞かれるところだが、これがなぜ愚問かといえば映画などそもそもみんな面白いに決まっているからだ。

年に1本しか映画を観ないひとがいるとしたら、そのひとにとってその映画は必ずや面白いものになるだろう。

我々が数を観たときだけ、「とても面白い映画」と「それに比べれば面白くなかった映画」との出会いが生じるだけであって、ごく稀にしか観もしないひと同士の「あの映画面白かった」談義ほど面白くないものはない。

蓮実重彦東京大学で自分の講座に出席した学生に云い放ったという。

「年に100本以上の映画を観る情熱のない者に私の講義を受講する資格はない」

だから「なかでもこの映画は特に面白かったです」と自分に胸を張って云えるだけの数、映画を観ていたいというのが私の願いだ。

映画狂人日記

映画狂人日記

 

東京ではもう映画館といえばイコール、シネコンみたいなものになりつつあって、これも善し悪しはあれど大小のスクリーンで同時にいろんな映画を上映できるようになったことや座席を事前に予約できるようになったこと(並んで待って妙な席になるというリスクがないから映画を観に行くようになったというひともいるはずだ。その動員増加がまた多くの映画を生み出す原動力になることは云うまでもない)の効能はいずれも日本の映画状況にとって非常に重要なインパクトをもっていた。

これは制作に限らず、海外作品の買い付けというシーンにおいても同様ではないかと思う。

他方完全入替制のシネコンでは、ヒマだからとりあえず映画館で1日涼んでましたとか、衝撃で幕が降りても(幕自体いまはないが)容易に起ち上がることができず、そのままもう1回観てしまいましたとかいうことがなくて、やや寂しい思いもするが、それは単にもう1回チケットを買いに出ればよいだけの話だから完全に非合理なノスタルジーだということはここにはっきりと認める。

 

さてそんな私のコンプレックスを救いあげてくれるホーチミンシティのシネマ・コンプレックスである。

東京にいる間は極端に過密なスケジュールなのでとても映画など観てはいられないと焦燥をつよめていたところ、ホーチミンシティにいくつかあるシネコンはいずれも意外にに便利で安く(400円弱)、快適(ただしエアコンの寒さだけは猛烈)かつベトナム映画にも英語の字幕がつくとあって、すわベトナムにおける新しい時間の過ごし方だとばかり出かけて観たのが「カンフー・フォー」。


アニメ以外の映画を劇場で観たのは久しぶりだったのだから、冒頭に述べた観点からは「面白かった」と断言するほかない。

メゲずに今度の土曜日はみんなで一緒に何か観に行きましょうという相談をしていたら飛び込んできたのが "Sicario" という日本未公開のハリウッド映画。

ブレードランナー2」に起用されているドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、ベニチオ・デル・トロ出演でアメリカ - メキシコ国境を舞台にした麻薬戦争の話というが、ロードショーの期間が2週間程度と極端に短いベトナムのこと、早くも今日、明日であいついで上映が終了してしまうというので、その日のその日で駆け込んだ。

結果は見事に引き込まれて、終映後ふたたびチケットを購入して最終回も続けて観るという学生時代以来の体験(そのときは入替がなかった)をした。

ちなみに学生時代、最後に2回続けてみたのは「フィフス・エレメント」だったことを思い出した。

時の流れというやつは恐ろしい。

さて、ベニチオ・デル・トロが麻薬戦争と聞くとすぐに思い浮かぶのがスティーブン・ソダーバーグの「トラフィック」だ(アスミック・エースの面接で「最近観た映画はなんですか?」と尋ねられて僕が答えたのが「トラフィック」だった。ああ)。

この作品はアメリカの大統領(マイケル・ダグラス)からアメリカ・メキシコの捜査官(ドン・チードルベニチオ・デル・トロ)、さらには突然逮捕されてしまったアメリカ人の麻薬成金の妻(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)それぞれの視点から、アメリカの社会や家族が、あるいは途方もない貧困をかかえるメキシコもまた、麻薬相手の絶望的な戦いをいかに戦っているかを多面的に描いた群像劇であった。

なお、この作品でアカデミー最優秀監督賞を受賞し、作中で描かれる数々の勇敢な戦いになぞらえたものか「このオスカーを、日々の一部を芸術に捧げているすべてのひとびろに捧げる」と語ったソダーバーグの受賞スピーチは私の記憶に強く残る名演説である。

トラフィック [DVD]

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このたび公開された"Sicario"もまたアメリカとメキシコの国境地帯を舞台にした麻薬戦争を描きながら、しかし今度はその戦争のごく一幕、数日間の出来事に的を絞り込み、あたかもその一点に鉄の棒でもねじ込んでくるかのような残酷な筆致でこの戦争の非人間性を訴えてくる作品になっている。

道脇の高架からマフィアに破壊された死体がいくつもぶら下がっていて、夜になると曳光弾が飛び交い建物が爆破されるメキシコ側の街の様子や、圧倒的な暴力の予感が高まる緊張感はリドリー・スコットの「悪の法則」に似ている。

「キリストはなぜメキシコに生まれなかった?」

「なぜだ?」

「処女と賢者がいなかったからさ」

(「悪の法則」)

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押し寄せる一方の脅威に対抗すべくなりふりかまわず非合法化していくアメリカの「戦争」を文民の女性が体験するという意味では「ゼロ・ダーク・サーティ」にも似ているといっていいだろう。エミリー・ブラントの抑制された演技も「ゼロ・ダーク・サーティ」で好演したジェシカ・チャスティンのそれを思わせた。ベニチオ・デル・トロとの二枚看板でなければ、もっと深く観る者の心に刻まれたかもしれない。

少しストーリーに触れておく。

 

FBIで人質奪還を任務とする女性捜査官のケイトはアリゾナで突入したアジトで麻薬カルテルの凄惨な暴力に触れ衝撃をうける。

そのさなかに上司から持ちかけられたのは国防省のチームとの「連絡役」としてメキシコ国境の町・エルパソでの作戦行動に参加するという任務。

義憤に駆られて任務を引き受けたケイトだったが、不穏な空気をまとったメキシコ人の男やデルタフォースの兵士達とともに侵入したのはエルパソではなく、国境の向こう側、メキシコの街だった。

私達はいったい何をしているのか、私の役目はなんなのかとチームリーダーのマットに詰め寄るケイトだったが、マットは真実を口にしようとしない。

そんなうちにもチームと行動をともにするメキシコ人・アレファンドロの何かに取り憑かれたかのような暴力がほとばしり始める。

 

アメリカにおいて麻薬の問題というのは極めて多面的・多層的で複雑化している。

メキシコやコロンビアからあらゆる手段で持ち込まれる麻薬の量は爆発的に増加したが、それはとりもなおさずアメリカ国内に「需要」があるからに他ならない。

アメリカ国内には、貧困層が売人になりエリートの白人層に麻薬を売りつけるのを生活の糧にしているという貧困問題との根深いリンクも存在する。

本作で描かれるように、もはや軍事組織化したメキシコ・麻薬カルテルに対してFBIはもちろんのことCIAのような情報機関、軍が封じ込めを行おうとするが、そもそもカルテルの資金源は巨大なアメリカ市場であるという根本的な矛盾が存在する。

その一方、NAFTA北米自由貿易協定)発効以来メキシコは製造業を中心に、アメリカ経済の不可欠な一部分ともなっている。

さらにメキシコから国境を越えて流れ込む不法移民は今回の大統領選でも最大の論点のひとつになることが確実視されるビッグイシューである。

 

大統領予備選で共和党候補者のトップを走るドナルド・トランプは対メキシコ強硬論を唱え、万里の長城をたとえに引いて長大な壁をアメリカ・メキシコ国境に建設すると豪語している(しかも費用はメキシコに負担させると云っている)。

だが不法移民を減少させるための根本的な処方箋はメキシコ経済の浮上と治安の改善である。

そのためには何よりもまずアメリカ国内のドラッグマーケットを取り締まり、カルテルの資金源を絶つことが必要であり、これは実は純然たるアメリカの内政問題だ。

古くはイギリスが政策的に一国をアヘン漬けにしたことに業を煮やした清が反旗を翻したことに始まるアヘン戦争の例もあるが、健康被害といったミクロ問題をはるかに超え、麻薬はかくも社会や国家を追い込みうるということには注意が必要だろう。

人間ドラマというには物足りない "Sicario" だが、幸いなことに深刻な薬物問題にはいまだ直面していない日本でも、断固たる対策が必要な領域だということに思いをいたすきっかけとしては充分すぎる衝撃を与えてくれる。

トラフィック」のラストシーンと重なるようなベニチオ・デル・トロの退場とメキシコの空に響く子どもたちの声には、人間の気高さを殺戮のなかに貶めてはいけないという思いを強めたものである。

お世辞にも「大作」とは云えないが、観て損のない、重みをもった作品だ。

アマニタ・パンセリナ (集英社文庫)

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