フランス人が自国産チーズの強いにおいを誇らしげに自慢するのをスウェーデン人、インド人、ユダヤ人がチーズ小屋の前で聞かされていた。
強烈なにおいの発酵ニシンになれているスウェーデン人が自信満々に小屋のなかへ入ったがにおいに耐えきれずすぐ飛び出してきた。
悪臭は平気なはずのインド人はもっと早かった。
これをみていたユダヤ人が最後におそるおそる小屋に入った。
しばらくするとチーズが逃げ出してきた。
これはエスニック・ジョークだ。
日本人はこの手のジョークの対象にされる側だから、海外でこうしたネタを披露したり、それに大口を開けて笑う気には、一般に、あまりならない。
なぜこれがジョークとしておおっぴらに扱われるのかを簡潔に説明したフレーズ発見。
もともとヨーロッパ諸国には、根深く刷り込まれた白人優位意識がある。例えば米国でオバマ大統領が誕生したとき、イタリアのベルルスコーニ首相(当時)が「オバマは若く、ハンサムで、そして日焼けしている」と発言した。これは米国では明らかに人種差別発言に当たるが、ヨーロッパではジョークとされる。あるいは英国のコメディ「モンティ・パイソン」でも、少数民族をばかにした笑いが多い。その上で融和の対象にしていこうというのがヨーロッパの人権のセンスなのである。
「パリ同時多発テロ イスラム国の標的にされたフランスの"弱み"」/佐藤優
ダイヤモンドレポート/週刊ダイヤモンド 2015/11/28
このあたりの問題についてはドナルド・J・トランプをめぐり、近日中にもふたたび触れなければならない。
* * * * *
中学の家庭科で使った「食品成分表」、とてもよかった。
「ハンバーガー」とか「牛丼」とか結構俗っぽい食べ物が写真もそのまま載ってる(「吉野家やんけ!」)のが不思議に嬉しかったのを覚えている。
大学でひとり暮らしを始めると自炊をしないといけなくなった。
カネをかけずに満足できて、太らずに栄養をバランスよく摂れる食事を追求して「ぼくのかんがえたさいきょうのていしょく」みたいなことをアパートのキッチンでやってたのだが、そのときも参考にしたいからって先輩に食品成分表借りていた。
女子ってこんなもん実家から持ってきてるんや・・・・!って驚愕したけどね。自分のはもうとっくに捨ててたから。
そのひとも女だてらに勇ましい先輩ではあったけど、そういうところはやっぱり今でいう女子力そのものだったのだろう。
ところで過ぎたるは及ばざるがごとしっていうけど、毎日々々10kmずつ走ってると体調が悪化していくのが手に取るようにわかるわけ。
脂肪が落ちるのはいいとして、運動で破壊された筋肉を修復するためのタンパク質が足りてないのが如実にわかるというか、身体が全体的になんとなく壊れていく感じがあるんよね。崩れていくっていうかね。
まぁジムでもあの、ベンチプレスとかやって
「フンッ・・・・・フッ、フッ、フッフォァ-ッ!!」
とかっていう、ちょっと間違った種類の声出してるひとたちいるでしょ。
ああいうひとたちはプロテインとか飲んだりするんでしょ、運動後に。
でもそういうことやってるとなんかスーパーボールみたいな、妙な弾力を感じる見た目の身体になっていくじゃないですか。
そういうの自分、嫌なんですよ。
だからあんまり過剰な栄養補給はしないようにタンパク質を摂ろうということでチーズとかナッツを食べるようにしてる。
家帰ったらヨーグルト食べて風呂入って、昼ご飯食べたあとにおやつ欲しかったら、それはもうチーズかナッツ。
そこで小ラーメンとか作って食うやつは、いいダンナにはなると思うけど一生やせられないよ、絶対。
日本でも15年ぐらい前にちょっとしたチーズブームがきて伊勢丹地下のチーズ売場がやたら意識高いと取りざたされたりもしたが、いろいろ聞きかじったところによるとチーズに造詣が深いのは、ヨーロッパでは大事な属性みたいだ。
フランスのシャルル・ドゴール元大統領はかつて、チーズの種類が246もある国など統治できないと不満をこぼした。しかし、フランスが大統領の懸念をものともせず成長できたのは、チーズにもルールがあるからかもしれない。
しかしチーズだからというわけじゃないが、欧米の記事や論文というのはどうしてこうもクサい書き出しなんだろうか。
ゼミの先生はハーバードで教鞭をとっていたのを外務省が引っ張ったバリバリのアメリカ帰りでロックフェラーが同級生という人だったが「論文は君たちのご両親が読んで分かるように書きなさい」というのが方針だった。
それもきっと、アカデミズムが過度に肩肘をはらず社会と向き合う欧米のカルチャーに倣うべしということだったのであろうが、私がおもちした卒論の草稿を一読した先生のコメントは「しかしキミは文章が書けないね」だった。
それもこれも蓮実重彦にかぶれたせいだと思っている。
いまはもう、頭が悪くなって蓮見先生の本は読むのも苦痛だ。
富良野にあるチーズ工房のギャラリーに、ヨーロッパに伝わるチーズにまつわる言葉がいくつか掛けてあった。
曰く、
デザートにチーズの出ない晩餐は、抱擁のないキスのようなものだ
ということだ。
学生時代に先輩と部屋で酒を飲みながら、「ヨーロッパの格言てのはクサくていいっすねぇ」などと適当な話をしていた。
「こういうのの良いところは、後からでてきたフレーズの方が重要だということだ」と先輩は据わった目でいった。
「チーズではなく、キスの話をしているところがいい」
その後先輩はジョン・リー・フッカーというブルースマンのエピソードを話した。
インタビュアーが「ブルースをやるには黒人に生まれる必要があるとお考えですか?」と愚問をつきつけると、ジョン・リー・フッカーは少し考えたあと、こうこたえたという。
世の中にはインタビュアーを殴るよりもうまい方法があるのだ。
「ブルースをやるには才能が必要さ。
才能のない奴は努力しなきゃいけない。
そうだな...離婚するとか、テキーラをショットで呷るとか」
「離婚よりもテキーラの方が重要だと云っているところがいい」と先輩は云った。
「なるほどっすね」僕は適当に返事して、先輩今日も鮨おごってくれないかなぁなんてことを考えていた。
ほどなく僕も先輩もそれぞれ離婚を経験することになる。
なお、僕は離婚もしているしテキーラをショットで呷るぐらいなんでもないが、いまだにギターが弾けない。
先輩は黒人ではないが立派なブルーズマンになりつつある。
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