アメリカは西海岸で武者修行をしている知人。
「会社を辞めたヤツが、次の仕事を見つけるまでのあいだ、個人で請け負った仕事をするためにコワーキングスペースを使っているケースが多いですね。みんな2, 3ヶ月で仕事が決まって、いなくなっちゃいますよ。ここに何年もいるのは僕ぐらいのもんですね。もう古参ですよ、ハハハ」
と笑っていた。その調子で頑張っていただきたい。
サイゴンにはwork Saigonという浮かれた戸建てのコワーキングスペースが存在するが、庭のプールが謎なのと、とはいえベトナムなので、どうしてもデスクに店を広げたままトイレに行ける気がせず、いまひとつだ。特にメンバーにならずとも使えるし、要するにただのカフェとあまり区別がつかない。
■work Saigon
カフェ文化繚乱で、何でも何時間でもカフェでできちゃうベトナムだが、「カフェで荷物を置きっぱなしにしてトイレ行けない問題」は何とか解決していただきたい。警備員は店の前よりも、むしろ店のなかに配備してくれという感じだ。
もっとも、ファーストフード店では東京ももはや荷物を置きっ放しにできなくなりつつあることは話に聞いている。
SeiWhiteMoe ベネズエラ
ここでは5秒おきに後ろを振り返らないと歩いてるだけで所持品を奪われるよ。
ベネズエラ・・・・・・。
しかしだからといって友達と仲良く連れ立ってコワーキングスペースに行くというのは、これは絶対に違う。
「一緒にコワーキングスペース行こ?」とか「ちょっとトイレ行くから荷物みといてね」みたいなことは、全然違うのだ。コワーキングスペースをマックやイタトマと同一視してはいけない。
コワーキングスペースのUXはもっと孤独感に血塗られたものでなければならない。
co-workingであってworking-togetherではないからだ。力をあわせて頑張ろう、みたいなことではないのだ。
まず救いがたい孤独と無限の隔たりがあって、だがみんな同じように仕事しているという伏し目がちな連帯感こそがコワーキングスペースの味わいでありUXだ。
(孤独なのは自分だけではない...)という思いを確認しながら孤独な作業を続けるためのスペースこそがコワーキング・スペース、その孤独感こそがコワーキングスペースのUXなのだ。
ボストンのアパートから徒歩5分の一等地にあたらしくコワーキングスペースの「COVE」がオープンしたと知らされたので面白半分にメンバーになった。
■COVE
1日4時間までの利用で1ヶ月の会費が89USDだから、家で仕事ができないという人には充分お手頃な料金だ。では家で仕事するにも特段の問題がない私の場合はどうかということで先日初めてやってきた。
東京でいえばふつうのコンビニぐらいのスペースに窓際のカウンターとちょっとしたソファセット、大きめのテーブルが数セット。あとは1人用のテーブルが5 - 6台だから、キャパシティはそれほど大きいとはいえない。
UX的に無理のない客の入り方で12人ぐらいまでか。
内装はカネをかけずにオシャレにしてあるという設えで、ベタッと塗った壁、あきらかに「チープさもオシャレのうち」と勘違いした椅子やテーブルには統一感がない。本当に、カネをかけてない。
ひとり暮らしを始めたばかりの若い子がカネもセンスもないのにちょっとお洒落な部屋にしようと頑張ってみました(でもどっちみちこの東京砂漠で家に遊びに来る友達なんかできませんでした)みたいな、ちぐはぐで滑稽な哀しさがある。
ニトリのカーテンがドラマとカブりましたとか、木材の色が明るすぎて目が痛いよとか、せめてコップのシールはがしとけよとか、そういう哀しみがある。
関係ないがニトリといえば今年の6月にリニューアルに失敗して大騒ぎになってたニトリの通販サイト、1週間後にはオープンしていたというが、さぞや現場は荒れたことであろう。戦没者記念碑ぐらいは建てるのだろうか。
で、COVEだが、だからコワーキングスペースといえばクリエイティビティがキモなのに、ここは特になにかクリエイトしようというほど気持ちのアガる空間とはいえない。お値段以上ともいえない。立地がよすぎて地代が高く、これ以上空間にコストをかけられなかったのだろう。立地のいいところにコワーキングスペースを出そうという発想自体、クリエイティブではない。
クリエイティブというのは、裏通りの安いとこにハイセンスな店を作ったら人の流れが変わって、逆に隣にラーメン屋とかハンバーグ屋とかがバンバンできちゃうというようなことを云うのだ。
おっと、イカしたピザ屋の噂はそこまでだ。
店の奥には会議机を備えたミーティングルームがあって、事前に予約すると1時間5USDで使えるという。
また、僕の知る限りコワーキングスペースというのは音楽が流れていないか、流れていてもごくごく小さな音でしかないのでとにかく落ち着かないが、これはきっと、音楽を流すと趣味の問題でクリエイティブな連中といざこざが起きたりという余分なUXが生じるからだろう。ここもそうだ。
一方で完全にありがたいのが、コーヒー・紅茶・ジュース・コーラなんかの類が飲み放題なのと、プリント・スキャン・ファクスのできる複合機が無料で使えるというところ。だが、無料だとか安いだとかいう話題はあまりクリエイティブじゃない。
いいUXにはカネを払うという姿勢こそがクリエイティブなのだから。
僕が初めて訪れたということで、店内をひととおり案内してくれた若いUIも最後に諦め顔でこう云った。
「ご覧の通り、要するにここはproductiveなのさ」
つまりクリエイティブじゃないのにはこいつも気付いてんだなと思った。やべぇとこにバイト決まっちゃったな、っていう感じが漂ってた。コワーキングスペースっていうよりは個別指導塾か自習室みたいな感じだから。
「ところでWi-Fiのパスワードは?」
「“productive”」UIは傷付いた顔で答えた。
だがクリエイティビティよりプロダクティビティに重きをおいて、ひたむきに文字数を水増ししていく当ブログの執筆にはむしろCOVEボストンニューベリー店は相応しいだろう。
人も多くないし、ボストンなので荷物を置きっ放しでトイレに行ったって気にならず、なにせコーヒーが無料だというのが極めてプロダクティブだ。特筆すべきプロダクティビティだ。
従来はスキャンや出力が必要になった際にはFedEX(つまり日本のKinko's)まで出向いて高いカネを払っていたが、これが全部ここで済むというのもありがたい。EMSなら斜向かいにあるUPSから発送できる。ちょっと向こうにトライデントという本屋とダイナーが一緒になったシモキタっぽい店があるのだが、そこから出前もとれる。
クリエイティブじゃないやつにはちょうどいい。そう、僕みたいに。
会員はスマホに表示させたQRコードをスキャンして、入口でサインイン/サインアウトをやる。
だからウェブでポータルサイトにアクセスすれば、いま店内にいる人のプロフィールをリアルタイムに確認できる。
「あそこのテーブルに資料を積み上げてる娘は......学生か」みたいなことが、顔写真付きのプロフィールで照合できるのだ。きっと僕もやられているだろう。「あそこの席にいるチャイニーズは......」もう慣れた。
こうして同じことに興味をもっている人を見付けたら、話しかけてディスカッションしたり、気が合えば一緒にプロジェクトを起ちあげたりセックスをしたりといった多彩なUXが想定されているんだろう。
これは僕の理解ではかなりクリエイティブだが、いまのところ誰かが知らない人に話しかけているところを見たことはない。
僕はといえば、紹介されたって知らない人と話すのは苦手だ。
しかし、ではご参考までにCOVEでともに孤独な時間を過ごした今日のイカしたメンバーをポータルから拾い上げて紹介しよう。
フリーのブランドマネージャーのベン。こいつにないのはブランドだけだ。
学生のニーナ。医大生でミュージシャンのマニ。法学生のクリスティン。おまえらは学校で勉強しろ。
グラフィック・デザイナーのMJ。さっきからずっとFacebookをやってる。つまり仕事が欲しくてここにいるのだろう。
環境問題を専門にするフリーのコンサルタント・シェリル。いちばん近付きたくない手合いだ。
デジタルマーケティングの専門家・ブリトニー。要はウェブ広告屋だろう。クライアントへメールを打つ指に育ちの悪さが出ている。
会計士のブライアン。オフィスのない会計士にカネのことは任せられない。
そして「ITコンサルタント」に身をやつした僕。ずっとブログを書いてる。
どうだろう。
こういう面々が入り江(cove)の堤防に腰掛け、むっつり黙って釣り糸を垂れているというような具合だ。
ときどき誰かが手帳を閉じる小さな音が(パタム.....)と響き渡るような、そういった空間がコワーキングスペース・COVEだ。
僕の席は入って右手のずっと奥、誰にも邪魔にならないいちばん後ろのデスクと決めている。
後部(COVE)座席。
THE COVEといえば太地町のイルカの追い込み漁を撮ったドキュメンタリーだ。
少なくともシェリルとは絶対に、この話をしてはいけないという作品だ。
イルカを食うなとかクジラを食うなとか、あれこれ云われた日本人が「お前らだってフォアグラ食ってんだろ!」「ウシやブタなら食っていいなんて理屈がどこにある!」とやけっぱちな反論をしながら、一方で誰かがイヌやネコを食うという話を聞くとやっぱりどうしても眉をひそめてしまうのは、これは人情というものであって、もとより理屈で解決する問題ではない。
インド人は、牛食ってる僕らのことを「野蛮」とか「牛は聖なるものだから食べるな」とか言わず、「別にいいんじゃね?俺らは食わないけど」って言うから好き。
— 野瀬大樹 (@hirokinose) 2015, 5月 20
だいたい日本人でもイルカなんか食ったことのある人はほとんどいないはずだし、僕ぐらいの年代だとクジラだって禁漁になる以前の昔に給食で食ったぐらいのもんだという人が大半のはずなのに、ただ食文化に干渉されるのが不快だからといって、守る必要のないものを守るがために無理しているのがいまの日本だという気がする。
たとえばマグロやウナギを禁止されるのに比べれば、イルカやクジラを一生食べられないことぐらい僕はなんでもない。
許されたってどうせ行使しない自由を守るために、シーシェパードみたいな連中とドンパチやる気にはならないが、みなさんそうでもないらしい。
ただノルウェーあたりになると、クジラにかけてはそれはもう切実な思いがあるようで、ときに味わい深いエピソードが聞こえてくるため、このへんはシェリルもちょっと覚えておいた方が身のためというものだろう。
『ノルウェー海軍がグリーンピースの乞食船にブチ切れて、
捕鯨船にこれ以上接近すると射撃するぞと警告したがゆうに20kmは離れてたので
「打てるもんなら撃てや!田舎海軍なんぼのもんじゃ焼き!」
してタカをくくってガン無視して更に接近したら、正確無比なレーダー射撃で至近距離に
76mm砲弾がバンバン叩き込まれ
「本気で頭おかしい国は相手にしたくないから見逃してやる」と、捨て台詞を残した事件』以来、
グリーンピースはノルウェーの捕鯨船には手を出してない
こういうことを云うとまたいろいろ怒られそうだが、僕は法によってお縄になったり命を落としたりというリスクを取っている以上、この手の団体を止めるいわれもないなと思ってる。
捨て身の相手を牽制するというのはそもそも無理な話でもある。
彼らだって死ぬときは死ぬのだ。フォアグラにせよ核にせよ、人にとやかく云われるのには我慢のならないフランスなんかを相手にした日にはこれだから。
フランスの工作員がニュージーランドで作戦行動、死者1名って、これ絶対ダメだから。場合によってはテロ以上にヤバいからね。
まぁでも、僕は核はともかくフォアグラは好きなので、この点についてはフランス国民の肩を持たざるを得ない。
ガチョウのこともたまに、フォアグラを食べてないときには「かわいそうだなー」って思ったりもするけど、ブタの屠殺だって、一度見るとなかなかつらくてブタ食えなくなるっていうじゃない。人間は真実を知りつつ、それに目をつぶって生きていかないといけないこともある。知ること、覚えておくことは大事。考えることはもっと大事。でもそれに従っては生きていけない自分を恥じつつフォアグラをいただくということも大事なんよ。まっさらなまま、綺麗に生きていくなんてことはできないんだから。
最近も、動物を殺して食べるのはよくないということで突如ビーガンになったKが、フォー・ガー(鶏肉のフォー)を鶏肉抜きで食ってるから、「でもおまえそれ、スープ鶏じゃん」って云ったら「ま、スープはもうしょうがないかなと思って」って云ってたよ。
「鶏を殺さずスープをとるがよい」とか、「ヴェニスの商人」かよって思ったね。
ま、こんな話をしてもシェリルは笑ってくれないと思うけど。
ただ、僕も自分のプロフィールの “ I'm interested in....” (私の心をひきつけるもの)っていう欄に“ Whale ”(クジラ)って書いて彼女の出方を見たいなとは思ってる。
何か動きがあったら連絡するね。