新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

経営者ブログ。

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弊ブログではすでにご報告とお詫びを申し上げたわけだが、昨年私は50冊読破の目標を達成できなかった。

最終的には49冊目に綿矢りさの「しょうがの味は熱い」という、のんきな小説を読み終わり、50冊目を読んでいる途中で年を越したが、私の読書メモにおける読破計上基準は、あくまでも読了時ということになっているから、結局これは昨年の50冊目ではなく、今年の1冊目ということになった。

本年1冊目となったのは「ジュリアン・アサンジ自伝 ウィキリークス創設者の告白」(ジュリアン・アサンジ/学研出版)。

ウィキリークスについてというよりも、暗号技術によって政府の支配から通信を自由にするサイファーパンクという自分の立場について訴えるもの。

今年はインターネットの本質について、その人類への革新的な影響についてイチから考え直したいと思っているため、これを1冊目としたのは、そうした私の決意表明でもある。

 

前掲の云い訳でも書いたが、昨年から弊社ではWakka Inc. Book Club(W.B.C.)という取り組みを開始した。

これは平たくいえば、課題図書をみんなで読んできて、週に一度の読み合わせ、ディスカッションをしようという会で、社内では「講読会」とかいうように称している。

W.B.C.には「ナード部門」と「ギーク部門」があって、これは「文系」「理系」みたいな分類なのだが、それぞれ並行して別の本を読んでいく(予定である)。

唱道者たる僕が技術者ではないので、文系の「ナード部門」を先行して昨年の終わり頃にスタートさせた。

ナード部門では、経営者の自著や企業研究、マネジメント論などのいわゆる「経営書」一般を読んでいく。自己啓発本宗教的な観点を持った本を読んでみたいという声も社内にはあり、幅はかなり広めに考えている。

どちらの部門も1ヶ月かけて1冊を読み込むというぐらいのペースにしたいと考えているから、毎週準備してくるのは1冊の1/5〜1/4ぐらいの分量になる。

担当者は持ち回りで、簡単なメモやレジュメを用意したり、「どんな切り口で議論してみたいか」を考えてくることになっている。「次はこの本をみんなで読んでみたいです」と提案する人は、すでにその本を通読していることが期待されており、「全体をどのように何分割して、何週間で読了するか」という計画を立てたうえ、第1回目を担当することになる。

 

「知識」や「情報」といえば、いつでも必要なときにすぐ手に入る時代だ。

しかも我々は、インターネットを使って仕事するIT企業である。それがなぜ、いまさら「本」などを読んでいるかというと、それは知識を体系として、「網」として溜め込んでいくことが必要だと(僕が)考えているからだ。

開発者が公開しているブログのエントリーなどを典型として、ウェブ上で提供されている情報源は、それ自体、端的によくまとまっているし、ピンキリとはいえ信頼性の高いものへのアクセスも容易だ。これはこれで充分に活用するノウハウを身につけることが、これからますます「リテラシ」として重要になっていくだろう。

しかし「必要なときに、必要なだけ、過不足なく」切り取ってきた情報は、なかなか他の情報とタテやヨコの関係で繋がっていかないと感じる。特に、切り取ってきた情報をそのうえに並べ、配置していくためのマトリックスがあらかじめ頭のなかにない場合、それは顕著だ。

こうしたとき、情報はいつまでも単体で、孤独で、冷たいままでいる。Aという情報とCという情報があるとき、その間にBが存在することに気付くまでにはだいぶかかるというようなイメージだ。

「検索して判ることは、検索すればよい」という考えに異を唱えるものではなく、それはその通りだと僕も思う。しかしそれだけでは、「検索して判らないことは、存在しない」と思い込んでしまうことになる。

いまでは恋の悩みですら検索すれば無数に答えがヒットするような時代だが、恋に限らず、人生には検索しても答えの見当たらない問題がたくさんある。こうした問題を前にして大切なのが、既知の情報がそれぞれどのような関係にあるかについての相関性であり、「探している答えはAとCの間にあり、おそらくこのふたつを足して2で割ったものに近い姿をしている」と類推する能力だ。

「人生」などと云っているが、もちろん僕は仕事の心配をしている。

 

企業である以上、弊社もまたイノベーションを生み出す義務を負っている。

「義務を負っている」というのは別に社会に対してとかいうことではなく、大なり小なりイノベーションを生み出さなければ生き残れないというだけの話だ。

イノベーションというのは、つまり検索しても出てこないことをやるということだから、これは原理的に、先に述べたリテラシではカバーできない領域になる。

A、B、Cという知識・情報を個別にもっているだけでは、Dを発見することはできない。A→B→Cという体系を理解している者だけが、Cの先にあるはずのDをもっとも効率よく探索することができる。

この体系、個別の知識や情報の「ベッド」となるべきマトリックスを、スプレッドシートを自分のなかに養おうというのがW.B.C.の狙いだ。

1冊の本のなかには、もちろん今すぐ必要ではない無駄がたくさん詰まっている。もっといえば、著者が膨大な知識や経験を編集した結果である本の「外側」には、書かれることのなかった無駄が見渡す限り広がっているはずだ。本を読み込むことにより、書かれていることだけでなく、書かれなかったことに至るまで、「情報」ではなく、その体系を取り込むということだ。

気の長い話になるだろうが、始めなければ、始まらない。

社内とはいえどんな取り組みにも反対勢力というのは生まれるもので、いくぶん冷ややかな視線を感じることもなくはないが、経営者とはいえ立場や権威に物を云わせてなびかせるのは好きじゃないから、こうした勢力に関してはあくまでも実力で取り除いていきたいと思っている。

 

ちなみに、W.B.C.ナード部門が一番はじめに取り上げたのは「人と企業はどこで間違えるのか? 成功と失敗の本質を探る『10の物語』」(ジョン・ブルックス/ダイヤモンド社)。

すでにいろんなところで紹介しているが、名著だ。みんなで読み込み、議論することでまた、その思いを強くした。

タイトル通り10章に別れており、それぞれに様々な企業や人を取り上げているのでW.B.C.では毎週1章ずつ、5章を読んだ。こうした読み方に向いているというのが、最初の1冊に選んだ理由でもある。

人と企業はどこで間違えるのか?---成功と失敗の本質を探る「10の物語」

人と企業はどこで間違えるのか?---成功と失敗の本質を探る「10の物語」

 

先日読み終わった2冊目が、DeNAの創業者である南場智子さんの「不格好経営」(南場智子日本経済新聞出版社)。

僕自身、あまりこういう自伝的な本は読まないのだが、お世話になっている人から薦めていただいた(やべぇ、返してねぇ)ので読んだところ、いまのうちの会社にはちょうどいいテーマがいくつか隠れているように感じ、2冊目の課題図書として提案した。1冊目が研究書だったので、少し柔らかめのものを取り上げてバランスをとりたいという思惑もあったが、「南場さんはブログも面白いので、ぜひ読んでみたいです」という声もあった。

読みやすいので、短めの全3回で読み終わった。

不格好経営

不格好経営

 

ちょうどW.B.C.がこの本を読んでいる途中で、南場さんの後任としてDeNAの会長職にあった春田真さんのインタビューを読む機会があった。

春田さんといえば「不格好経営」の主な登場人物のひとりでもあるので、サイドストーリーとして春田さんのDeNA録である「黒衣の流儀」(春田真/中経出版)も、今年の僕の2冊目として読んでみた。

まえがきに断りがあるとおり、DeNA以前の春田さんの自伝とベイスターズ買収の話がかなりのウェートを占めるので、DeNAの裏話や「不格好経営」との対比に期待して読むと肩すかしにあうかもしれない。

黒子の流儀 (中経出版)

黒子の流儀 (中経出版)

 

ただし冒頭に述べられる以下のくだりは面白かった。

それ(引用者註:DeNA資金が底を尽き、会社が潰れるといった瀬戸際にまで追い込まれる事態)を避けることができたのは、「皆が頑張ったから」というものではないと思っている・・・(引用者略)・・・最終的に生き残れたのは、ひとえに南場さんが初期のタイミングで多くのお金を集めることができたからだ。つまり、南場さんが多くの人から信頼されていたことが最大の要因だったといっていい。まったくもって格好のいい経営者なのだ。

 「黒衣の流儀」(春田真/中経出版

不格好経営」で南場さんは、自分たちはバカな素人集団だったが、素晴らしい仲間の高い目的意識で今日のDeNAを築き上げることができたということを何度も繰り返すのだが、W.B.C.で読み込んでいく際には、「それはちょっと美談に過ぎるんじゃないの?」という見方が参加者から何度も呈されていた。

「黒衣の流儀」と読み合わせることで、これがあながち邪推でもないということが、当時の「上場準備室長」によって裏付けられ、満足した。

不格好経営」と「黒衣の流儀」についてはいくつか指摘したいこともあるのだが、ここではやめておく。「黒衣の流儀」はW.B.C.で取り上げる予定もない。ナード部門は次に、行動経済学について触れていくのがよいと思っている。