「号泣マシーン」という、いい加減なバンドがあった。
曲を作っていたのは、僕。
僕はギターの練習をするのが嫌いなので、ほぼ全曲がスリー・コードの進行で、たまに最初から最後まで全部Aしかないというような曲まであった。
それは曲なのか、という問いを退けるのは難しい。
僕が二十代のはじめから長く仕えた社長のセックス・フレンドは、社長から寝物語に「号泣マシーン」という名前のバンドがあることを聞かされ、涙を流して笑ったあと、「CDがあれば、いくら払ってでも聴いてみたい」と云ったそうだが、音源はなかったし、いまもない。
僕たちの音楽は、“ライブ”だったからだ。
などと格好のいいことを云ってみたいが、もちろん本当の理由はバンド自体あまりちゃんと練習しないので録音に耐えなかったからだ。
ただ、社長から「CD作れば1枚は売れるぞ。私のセックス・フレンドが買う」と云われて普通に嬉しかったのを覚えている。
こういう志の低さが僕の、完成度の低い人生をドライブする根本原理だ。
僕がいちばん思い入れのあったのは「マリア03地域」という曲で、これは03で始まる東京の一般回線のテレクラで「マリア」という女にハマり、「今度会って素敵なダンスを教えてもらう約束なんだ」とうわごとを繰り返す男の唄だった。
いまでも自分のメールアドレスにしているぐらい、いい曲だったという自信がある。
だが、オーディエンスからのウケがいちばん良かったのは「ベンツ」という曲で、結局はこれが号泣マシーンの代表曲であり、短いバンド生命最後の曲になった。
ひどいタイトルだ。
大学の後輩だったギタリストの男は気が弱かった。
ある日、夜中にコンビニへ行ったら買い物をしている間に停めてあった彼の自転車が転倒し、そばに停車していたヤクザのベンツにぶつかり、ドアがへこんだ。
助手席に情婦を搭載しているときのヤクザほど面倒なものはない。
修理代については追って連絡すると云われ、免許証だか学生証だかを没収された彼は泣きながら家に帰り、震える手で遅くまでひとりウイスキーを呷ったが、眠気はなかなか訪れなかった。
おかげで彼は翌日、僕との約束をまるごとすっぽかす。
その約束というのはそもそも彼に頼まれたもので、僕には何のギリもないイベントに参加するというものだった。
待ち合わせに来ないばかりか何度電話しても彼が出ないので、やむなく僕はひとりでカネを払ってイベントへの参加を済ませ、わけのわからない体験をして、中野へ帰った。
サンモールがブロードウェイへ続くあたりで、ようやく彼から電話があった。
「すみません…いま起きました」
何事かをすでに覚悟した声で彼はささやくように云った。
いまもそうだが、こういう目に遭わされたときの僕は甘くない。
とにかく今から鮨をとるからうちへ来い、と僕は云った。
「はい…申し訳ありませんでした…」
彼がやってくると、僕はおもむろに鮨屋へ電話をかけ、二人しかいないのに四人前の鮨をとった。彼は黙って聞いていた。
鮨が届くまでのあいだ、そこへ正座した彼はぽつり、ぽつりと昨夜あったことを僕に話した。
「これが、今朝起きられなかった理由です」
「…そうか」
さすがの僕も同情しかけたときにようやく鮨が届き、彼が支払いをした。
「まぁ、鮨でも食えよ」と僕がすすめると、いただきます、と彼は云って鮨を口に入れ、瞳をとじて、あぁ、おいしい…とつぶやいた。
医者と弁護士には友達を作っておけと昔から云うようだが、たしかに弁護士を知っているとたいていの問題は大事にいたらず解決するというのが僕の経験の告げるところだ。
ただし当時の僕らにはもちろん弁護士の知人などいるわけもないから、ヤクザや空手家の先輩、巨額の借金や就職の不安から身を守る術はひとつしかなかった。
ロックンロールだ。
昨夜、用意していた新曲があった。
僕が「マーガレット」と名付けた七八年生まれのギターを彼に渡して、MTRのスイッチを入れると彼は万感の思いを込めて、リフをかき鳴らした。
いやに長いギターソロのあとで三分五秒の曲が終わって僕がMTRを止めると、彼は力尽きたようにギターをパタリと膝のうえに落とした。
「できたね」曲ができた、という判断が、僕はいつも早い。
「できましたね」彼はうつむいたまま云う。
「タイトル、どうする」
長いため息のあとで、彼は云った。
「…『ベンツ』でお願いします」
こうしてできたのが「ベンツ」だ。
詞は何を云っているのかわからないので、ここでは紹介しない。
この話で僕がいちばん気に入っているのは、後日彼のところへ届いた請求書がたったの七万円だったというところだ。
彼は七万円と四人前の鮨を失い、僕は新曲のタイトルを手に入れた。
結局のところ、若者を根本的に傷つけることなど誰にもできないということなのだろう。