新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

いまからお前の生存戦略を告げる。

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「社会はどのようにして若者を洗脳するのでしょうか?」

         ー 日本の場合は給料を低く抑えることで。

                         ask.fm

説明が足らなかった。

 

日本の社会が若者の給料を低く抑える狙いは主にふたつあるとにらんでいる。

 

ひとつは、若いうちに充分な対価を与えないことで、「俺は損をしている。いつかそれを取り返さなければならない」という思いを抱くようになった若者は早々に飛び出していくことをしなくなる。

社会(もちろん「会社」と読み替えてもいいが)に「貸し」があるならば、それを回収するためには、ここで頑張って十二分に対価を得られるようにならなければ損だ。

ここを飛び出せば社会に対する不良債権は流れてしまう。

 

「埋没費用」(サンク・コスト)が人間の心理におよぼす影響は、このように経営者ならずともよく理解しておくことが大切だ。

「いまここでやめると返ってこないコスト」は常に存在する。

だがそれは往々にして、「このまま続けても、どうせ返ってこないコスト」だったりする。

これを回収することを念頭に置いていると、ひとも企業も判断を誤ることが多い。

ときとしてその導く結果は致命的だ。

焦げた事業というのは要するに巨額の埋没費用でたたり神になった乙事主様みたいなものであって、本来これは始末するしかない。

だがひとというのはこれに「鎮まりたまえー!鎮まりたまえー!」などと叫び続けてさらに費用と時間を投下する。

あらたな世界のあらたな社会でやり直すあらたな自分に投下すれば、綺麗なキャッシュフローを生んだ可能性もある費用と時間とを、だ。

「若い内に支払われなかった対価」は、若者にとり埋没費用の重量をもって彼らを社会に(またはしつこいようだが会社に)引き留める効果をもっている。

 

日本の社会が若者に充分な対価を支払わないのにはもうひとつ狙いがある。

それが彼らの自尊心を傷つけ、多くの場合完全に剥奪するのに優れた手段だからだ。

*     *     *     *     *

「生存、戦略ーッ」

しばしば唐突に私が叫ぶこのセリフは、アニメ「輪るピングドラム」(マワル・ピングドラム)の決めぜりふである。

2010年代では歴史的な名作だったと私が謳ってはばからないこの物語は、親から「愛している」と云われたことがないために、何者にもなれず社会をさまよう若者たちをめぐる狂騒曲だった。

無条件に愛されることを知らず育ったひとは、自分を愛する術を知らず、自尊心を喪失している。

ピングドラム」ではこうした「きっと何者にもなれない」人々が、16年前に地下鉄丸ノ内線で起きたテロの犠牲者となって消えた少女・荻野目桃果が自分たちのなかに残した甘美な承認から離れることができず、過去を生き続けているところから始まる。

自尊心を獲得できず、「何者にもなれない」と思い込んだ子どもたちのエゴがシュレッダーで裁断されていく屠殺場「こどもブロイラー」へ運ばれた幼い日のヒロイン・陽毬(ヒマリ)が、のちに兄となる晶馬(ショウマ)に救い出されるシーンで、毎回必ず泣く。DVDをそこだけ再生しても泣く。

 

「運命の果実を、一緒に食べよう」

「選んでくれて、ありがとう」

 

・・・・・・・・・・。

 

失礼。

不治の病でついに命の火が尽きた陽毬に憑依し、冠葉(カンバ)と晶馬の双子の兄に「妹の命を救いたければピングドラムを手に入れるのだ」と命じる高飛車なプリンセスは何者か、そして「ピングドラム」とは。

私はネタバレを悪いことだと思っていないので云ってしまえば、ピングドラムとは「誰かに愛されること」に他ならず、「運命の果実を、一緒に食べよう」という魔法の言葉はその象徴だ。

長い物語の果て、これも失われた桃果に心を奪われたままの妹・荻野目苹果(リンゴ)はストーキング対象だった晶馬から「愛してる」という言葉だけを手に入れ、しかしそれによってついに「運命の乗り換え」は果たされる。

それは姉の遺志を継ぎ、登場人物たちに「運命の果実を一緒に食べよう」という言葉を思い出させた苹果に与えられたたったひとつの報償だった。

悲しいが、長い人生を生きていくにはそれで充分だろう。

これ以上は、哀しすぎて語れない。

*     *     *     *     *

かように、人にとって自尊心というのは生きていくうえで掛け替えのないものだ。

わからない人には、それは水や空気ほども不可欠なのだとお伝えしておこう。

だから、自尊心を傷つけられ、奪われた人は、それを何かで代用しようと手を伸ばす。

社会はその手にしっかりと握らせるだろう。

「みんな」にとって都合のいいルールを受け容れるのと引き替えに与えられる「承認」を。

自尊心を剥奪された若者は、こうして社会の下賜する承認を、自己承認と引き替えてしまう。

若きファウストがその後、命のつきるまえにこの取引の本質に気付くことはあまりない。

僕の社会(つまり…)に対する憎悪の根源はここにある。

だから。

 

いまからお前たちに、生存戦略を告げる。

お前たちの若さを誰にも差し出てはいけない。

お前は、お前自身を承認しなければならない。

暗くて長いトンネルは苦しく孤独な旅路になるかもしれない。

だが永遠に続く無明の闇に比べればどうということはない。

何者にもなれない人間なんて、きっといないのだから。

 

俺はいまからおとなブロイラーへ行く。