新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

雄弁な真実、寡黙な嘘。「ダニエル・カーネマンは信用しない」。

天才の話が好きだというひとは多い。

だからといって道を謬らせるような醜い憧れや妬みのない、素直な歓びがそこにはあって好きだ。

きっと子どもが空を指さし、鳥や飛行機に声をあげるのと同じだからだろう。

 

 

我々が天才と出会うためには、少なくともふたつの要素が必要だ。

ひとつは秀でた能力で、もうひとつはその能力が見いだされること。

ギターを持たせれば世界一なのかもしれないが、ギターなど目にすることもなく栄養失調で死んでいく子どもがアフリカにはきっとごまんと居る。

だから我々が天才の登場に胸を躍らせるとき、その半分は天才が日の目を見たという稀なる幸運への感謝であったりする。

 

若い頃に(僕は二年ぐらい前からこういう云い方をするようになった)そういうひとと一緒に仕事をしていたことがある。

きっとその時代の、その場所でしか見いだされることのなかった才能の発露を目にして僕は、自分の夢や望みやフラストレーションをすべていちど脇へおろすことを決めた。

いつの日かこのひとが壁にぶつかって、乗り越えられない日がくるまで、天才もそこまでだったというところをこの目におさめるまではそこにいようと思ったからだ。

そのあとで、もういちど僕は自分の荷物を背負って歩き始めればいい。

そんな日が一生来なければいいという気持ちもあった。だが僕はとにかく道中の小石を掃き、露を払ってよけいな邪魔が入らないよう立ち回る役目を引き受けたのだ。

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ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーはふたりでひとりの天才だった。

タイプライターの前に並んで腰掛け、ふたりで論文を書いているのをみたというひともいる。

「頭脳を共有している」といわれたふたりの論文は「トヴェルスキー&カーネマン」の名で有名になり、心理学の論文であるにもかかわらず幅広い分野に影響を及ぼして、やがて経済学のドグマを激しく挑発するようになる。

「ひとは間違える」ということ。

まるで当たり前のようなふたりの発見は、「人間は合理的である」と強弁する経済学にとり、とてつもなく不都合な真実だった。

ふたりの研究に触発されて行動経済学を生み出し、のちにノーベル経済学賞を受賞するリチャード・セイラーはこう感じたという。

「心理学が詰まったトラックが経済学の内部の聖域に突っ込んで爆発するかもしれない」

かくて行動経済学は生まれり

かくて行動経済学は生まれり

 

お互いにとって誰にも代え難い、いわばもうひとつの自我であったカーネマンとトヴェルスキーは、しかし晩年をともに過ごすことができない。

闊達で魅力的な人物であったトヴェルスキーにめがけて各界の賞や大学のポストがオファーされる一方で、ホロコーストを生き延び「何も信じない」ことを信条とする内向的なカーネマンは陰に隠れるようになり、やがてトヴェルスキーに対する抜きがたい妬みを抱くようになる。

カーネマンの再婚を経て、ふたりはともにイスラエルから米国へ移り住んだにもかかわらず、その仲は険悪なものに変わって共同研究は行われなくなってしまった。

 

知る人ぞ知る、物語の終わりはこうだ。

ある晩、トヴェルスキーとともにニューヨークのアパートに滞在していたカーネマンは夢をみた。

「その夢で、医者がわたしに余命六ヶ月と告げた。それでわたしはこう言った。『それはすばらしい。最後の六ヶ月をこのくだらない研究に費やすことを望む人はいないだろう』翌朝、それをエイモス(トヴェルスキー)に話したんだ」

こうして二人はもう友人ですらないといって、カーネマンはトヴェルスキーのもとを去る。

永遠に、と思われた。

だがその三日後、トヴェルスキーから電話があった。

その日、医師から余命六ヶ月だと告げられたのはトヴェルスキーの方だったのだ。

「彼はこう言っていた。『ぼくらは友だちだ。きみがどう思っていようと』」

エイモス・トヴェルスキーはその年の秋、ノーベル経済学賞を受賞する初めての心理学者になるはずだった。

だがノーベル賞を受賞できるのは、生きている者だけだ。

トヴェルスキーを静かな死が訪れるまで、ふたりはふたたび大切な時間を過ごすが、ついに最後の仕事が完成することはなかった。

そして五年後、いつからかふたりの論文が「カーネマン&トヴェルスキー」の名で呼ばれるようになった頃、カーネマンの自宅へノーベル経済学賞の受賞を知らせる電話が鳴る。

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マイケル・ルイスはノンフィクションを書くのに向いていない。

それは彼がその本に書くべきでないことを長々と書くからだ。

特に今回のようにサイエンスライターの仕事をしようとするなら、この癖は不都合なばかりか不道徳ですらあるが、彼はこれからもそれをやめないだろう。

なぜなら彼が本当に書きたいことは、その冗舌のなかにこそあるからだ。

それはおそらく彼自身をいまの人生に導いた不思議なできごとの数々、つまり人生は偶然に導かれているということなのではないかと思う。

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特等席で天才のその後を見届けたいと願った僕の話には結末がない。

定点観測をしようと思った僕もまた対象とともに歳を重ねたのは誤算だった。

その頃の話をしようとすると、どうしても自分のことを話してしまうのはそのせいだと思う。人間は正確でもなければ公平でもないのだ。

奇妙にこんなことを覚えている。

前置きもなしに職場へ姿を見せなくなって三週間が経ったある日、でっちあげた用事で呼び出すと、彼は換気扇の下でふーっとタバコの煙を吐いてこういった。

「人間は三歩進んで二歩下がる、そうでないといけない」

言い訳だ、とそのときは思った。

いまは分からない。

僕がふたたび自分の道を歩き始めるまでは、それからまだ七年あったことになる。