私はマーチン・ルーサー・キングJr.を尊敬している。
“I have a dream.”と語りかけ、現代アメリカのもっとも暗い歴史の中に斃れたあのキング牧師だ。
私にも夢がある。
いつの日か顔のところに丸い穴のあいたマッサージ用のベッドを家に買って、夜はそこでうつ伏せになって寝るという夢だ。
本当はマッサージ師を兼ねたベトナム人のメイドをまぁまぁな給金で雇いたいというのもあるが、これはビザが難しそうだし、そもそもベトナム人のメイドが国を離れ日本で暮らすことを幸せだと感じるか分からないのでやめた方がいいと思っている。
これが私の夢だ。
つまりキング牧師を尊敬しているというのは嘘。
私はリベラルだからひとのことを崇拝したりはしない。それはまさにキング牧師が払おうとした人類の闇へと繋がる道に他ならないからだ。
リベラルは普通こういうことが分からずにすぐひとを祀りあげようとするのだが、私の方がもっとリベラルだから、そういうことは分かっているのだ。
最近はいろいろ事情もあってベトナムへ出張する機会に乏しくなっている。
だがいまもホーチミンシティへ行けば正確に1日1度、訪れるのがMoc Huong Spa。急速な発展もあって変化の激しいこの街で、現在も堅調に良質なサービスを提供し続けている。
7年前にホーチミンシティへやってくるまでの私の仕事ぶりを説明するのは難しい。
ただそれなりに大きな組織で仕事をするということは自分の仕事だけに集中しておればあとはそれぞれに他の人がやってくれるということでもあり、いま思えば僕はやはり仕事をなめていたというか、経営者の端くれであって使えるリソースは目がくらむほどあったにもかかわらず、自分の仕事で自分を忙殺するのを楽しんでいたと、こういう誹りを免れないと思う。
だがそれでも結果的に生来の肩こりを悪化させ、おまけにひどい不眠を抱えていたあの頃の私は、ホーチミンシティへ来て日本より安価なマッサージへ入り浸り、昼の日なかに暗がりで横たわっているあいだだけ、静かで深い眠りを味わうことができたのだ。
初めの頃は日本人社会では顔役であるさる方の営む店へ通ったが、ここは正確にはフットマッサージ店だった。
今考えると簡素なしつらえの店だったが、ここは1階でベトナム式の耳かきがサービスされていて、このベトナムの耳かきというのが本当に凄いのでベトナムへ訪れた方はぜひどこかで試していただきたいといまも思っている。
それは簡単にいうと歯医者の治療に似ている。この店でもマッサージをする娘はそこそこ入れ替わりがあったが、この耳かきだけは高度な技術を要するため基本的に同じ女性が担当で、彼女が10種類ぐらいある金属製の器具を駆使してまさに歯医者かあるいは錠前屋の案配でひとの耳を掃除していく様は圧巻であった。
私は初めてこの店へ連れていかれて以来この耳かきにやみつきとなり、毎日のようにマッサージへ通っては、そのあと耳かきをしてもらってからやっと仕事へ戻るという生活を繰り返していた。
ただ、おそらく耳かきはそんなに頻繁にやるものでもないのだろう。数ヶ月後が経つと夜寝ているあいだに耳の穴から出血をするようになり、日本の医者へかかったら「お前はとにかくそのベトナム式の耳かきとやらを即刻やめろ」と警告を受け、それからはあまりやってもらうことができなくなった。
たぶん担当の女性も「そろそろやばいなぁ」と思いながらやってくれてはいたのだろう、ぱたりと耳かきをしなくなった僕の顔を見ると気の毒そうな笑顔を浮かべて手を振っていた。
たとえ客のためにならないとしても、金を払った客が望めば応えるのがベトナム人のホスピタリティだ。道端の靴磨きなどはスニーカーも磨く。本当だ。
「あなたのためにならない」などはそう、しゃらくさい話なのだ。
ところで先の店は当時の私の職場からは少し離れていて、1年ぐらいは通ったと思うがやがて炎天下を歩いていくのに飽いた私は手近な店へ入るようになり、そこでボディマッサージのベッドへうつ伏せになると異常に深い眠りが得られることに気付く。
ここから私がマッサージへかける時間は膨大なものになる。毎日行くのは当たり前、60分や90分ではもはや話にならず、行けば必ず120分の施術を受けるし、「今日は90分しかできない」と云われたら、そのあと他の店でさらに90分の都合180分をハシゴするという、これが日常だった。
私は毎日マッサージベッドの上で睡眠をとり、うつ伏せになる時間が長すぎて膝の関節を故障していた。
それがちょうどホーチミンシティではマッサージ・ルネサンスともいうべき新店ラッシュの頃であって、トンドゥクタンにできたMoc Huong Spaは初めから私の本拠地になった。
そんな具合だからオープンから1年が経った頃、毎日会っているMoc Huongのマネージャーが紫色のカードを取り出し「VIPカードができました」と云ったとき、その番号が002だったことに特段の驚きはなかった。
ただし、まだこの上に001の客がいることには少し驚いたと認めなければならない。
私の知る限り、世界最高のスパは伊豆北川温泉・望水に入っているHeavenly Spa GECCAだが、最高のセラピストはMoc Huong Spaのスタッフナンバー13番だ。名前は知らない。技術と気配りに優れていて、男女を問わずホーチミンシティを訪ねるお客さまにもお薦めしているが、だいたいの人が次の日も行きたいという。
ただこういうことを云うとインターネットでは
「最高と聞いて訪ねてみましたが、正直『どこが?』という印象(笑)」
「タオルの温度がおかし~い」
「スタッフ同士がお喋りするのが気になって休めませんでした」
「リピートはないです」
みたいなことを云うひとが現れるわけだが、だいたい日本人の客というのは馬鹿で、ホテルのレビューサイトなんかへ行くと
「コンセントの位置がおかしいと思いました」
などと書いて海外のホテルからは「モンスター」と呼ばれているのだ。
Moc Huong Spaも新興国なりの物価上昇のなかで2時間3,500円ぐらいには値上がりしたが、それでも日本でてもみんの椅子に着衣で30分も座れば3,000円。
10倍だぞ、10倍!
ベトナムのマッサージをめぐる思い出のひとつに、「米ドル払い」と「チップ制」がある。
米ドル払いは別にマッサージ屋に限ったことではないが、インフレの激しかった頃はまだどの店へ行ってもベトナムドン価格と米ドル価格の二重表記が多かったのだ。
これは当局の通貨防衛策によっていまはほとんどなくなった(だが米ドルを出せば受け取る店はいまも多いと思う)。
マッサージ屋のチップ制もまた外国人向けの店ではいまやめずらしくなったカルチャーで、たぶんMoc Huong Spaが開店直後に取り止めた頃から急速に姿を消していった。
マッサージ屋のチップ制というのはおそらくスタッフのインセンティブというよりも所得税や社会保険料を負担したくないという労使の一致した利害から維持されていたシステムなのだと思うが、これが面倒なのは別に日本人に限らない。
アメリカ人だって国では何も考えず決まった料率のチップを書き込んでいるだけなのだから、ベトナムでマッサージにチップを払ってくださいといわれたら困るだろう。
だいたいベトナムには特にいくら払えと決まったチップ制度がない。
「チップはどうすればいいんですか?」とお客さまがお尋ねになると、私の答えはこうだ。
「特に必要ではありません。ただし渡せば効果は絶大です。コストパフォーマンスの伸びそうな奴には20,000VNDから50,000VND(100円から250円)ぐらいを渡してみてください。あり得ないレベルでパフォーマンスの出るのがいます」
ベトナムは「ほほえみの国」ではないが、ベトナム人は気持ちで動くひとたちだ。
悪いひとたちももちろんいるにはいるが、そんなものはどこの国だって同じ話で、それを突っ込みたくなったらあなたはインターネットのやり過ぎだ。
ベトナムのひとびとを「カネにきたない」「裏切り者」と呼ぶひとの半分は高齢のアメリカ人で、これはベトナムにはアメリカに冷たくあたる理由があったということを思い出してもらわなくてはならないだろう。
それもいまではそうではない。
残りの半分は言葉のわかるベトナム人を雇っては「おまえ」などと呼ばわり横柄に顎で使って怒鳴りつけるタイプで、こういう手合いというのは国へ帰れば結局そこでも嫌われていて、つまるところそれでいられなくなってベトナムへ来ただけの人間が、ここには自分より弱い立場の人間が多いものだからそういうことを云って自分を真人間に見せようとしている。
たしかにベトナム人というのは日本人よりも縁を大切にするだろうし、身内とそれ以外で扱いが大きく変わるところもあるけれど、身内以外の人間に何かしてやろうという気持ちはそもそも日本人より大きいはずだ。
助け合いの精神からするのでもないし、「ベトナムのことを好きなってもらいたい」という「ようこそニッポン」的なマインドでやるのでもない。
たぶん、自分にとってそれがなんでもないことで、相手が喜ぶと思えば彼らは自然にそういうことをするのではないかと思う。
これは「サービス精神」とか「職業倫理」とかいうタームで捉えてしまうとそれはそれで大きな間違いを犯すことになるので注意が必要なのだが、まぁたしかにそうしたところはある。
そして日本人ともっとも違うのは、「ちょっとしたこと」がお金で報いられるのを彼らは決して拒まないというところだ。
「お金が欲しくてやったことではありません」
「お金をいただくほどのことでもありません」
どちらもその通りなのだろうが、日本人なら固辞するところ、ベトナム人はありがたく受け取るだろうし、そうして示された感謝の気持ちに対し、彼らはなお一層の奉仕でこたえてくれるだろう。
あるいは簡単にいえば、感謝の気持ちは金を払わなくても伝わっているが、金を払ってもやはり伝わるということだ。
あなたに払える金があるなら迷う必要はないだろう。
だから私は別に荷物を部屋へ運んでもらうような身分でもないが、ベトナムではベルが手を出せば断らないし、済めば100円渡している。
すると何が起こるかというと、夜中に水がなくなってベルデスクへ電話すると1分後に彼が水を5本ぐらい持って現れ、すべてがタダになる。
あるいは私は出張中、夜中に散々メシを食う怪しからん人物だが、おかげで掃除も大変だろうとまたいくらかベッドの上へ心付けをしておく。
そうして部屋へ帰ってくるとメイドは他にできることがないのでMacBookの電源コードをきつく巻いたり、すごい量の歯ブラシを置いていったりしているのだ。
恥ずかしながら、私はその歯ブラシを全部持ち帰る。
おかげでホテルの経営はさぞ大変だろうと思うけれども。
そんなわけで私はお客さまに対し、伸び代のありそうなスタッフには迷わずチップを渡すようお薦めしているのだ。
なかには「あまり高額なチップを与えると慣れてしまってダメになる」というひともいるようだが、私に云わせると「お前は何をいっているんだ」ということにしかならない。
なおこうした報酬や報恩によるコミュニケーションは、たまにホテルの部屋から貴重品が失われるといったような事象とはあくまで独立である。チップの多寡にかかわらず貴重品は持ち歩くか金庫のなかへ保管いただくよう、ご注意願いたい。
そこで本稿もいよいよ最後のところへ来たが、Moc Huong Spaのスタッフナンバー13番もオープンからもう5年目、6年目に入り、歳も30歳に近付いてきている。
なぜ歳を知っているかというと「バオニュートイ!」(「歳はいくつですか」)以外に私はベトナム語ができないからで、「名前はなんですか」が云えないため、彼女の名前はいまも分からないのだ。
ベトナム人の人生観もある世代を境に大きく変わったのであろうと思われるが、それでもやはり、女性にとって30歳は物思うことこれ避けがたい年齢、またはその水準をすでに超えている。
本人にもいろいろとあるだろうが、私としては天職であるところのマッサージをトンドゥクタンの名店・Moc Huong Spaでいつまでも続けてほしいし、その背中にやりがいという穏やかな追い風を受けこれからも励んでもらいたいという願いから、皆さまにはどうかスタッフナンバー13番のご指名と、それからもし彼女の施術と気配りがわずかでも疲れを癒してくれたなら、是非にもその感謝の気持ちをお金で示していただきたいとお願いするものだ。
私自身もさることながらいろいろなものがめまぐるしく移り変わるあの街で変わらぬものが私に必要だとすれば、それはMoc Huong Spaとスタッフナンバー13番のマッサージに他ならないからだ。
そうしてマッサージが終わったら、ロビーにあるソファへ深く腰かけ、フレッシュなオレンジジュースと温かいお茶で一息ついていただこう。
天井から吊るされた鳥かごにお気づきだろうか。ベトナムでは鳥かごは富を象徴する縁起物だ。こんなところにもあなたをお迎えする気持ちが感じられる。
外は雨だろうか。夕方ならそうかもしれない。そろそろ目も覚めてきたころなら私へお電話をいただこう。
すぐにお迎えにあがる。サイゴンの夜が始まるのはこれからだ。
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