新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

タイムパラドクス/当選しなかった大統領の犯罪。

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最近かなりまじめに仕事をしていて、まじめにというかこれはほとんど今までのツケが回ってきただけの話なのだが、それをやってみて思うのは、やはり仕事をするなら社員がいなければダメだということだ。

一人社長とかはもうやはり無理だ。社員がいないとたしかに人事はやらなくていいが、それ以外を全部自分でやらなければならない。

みなさんはいったいいつゲームしてるんです?

しかし日本において雇用関係とは契約というよりも血縁に近く、社員を雇うと会社には責任が生じるから経営者はいつしか社員のために会社を回し、やがて悪事に手を染めることになる。

つまり、なべて会社とは悪事への道なのだ。

会社をしている奴が悪事へと走る。

最近人気の悪事はどれも指示した奴とされた奴との「バディもの」で、どちらがどれだけ相手をかばうか、どっちの方がどれだけ悪いかなどがもっぱら茶の間を賑わしている。
人はその立場ゆえに罪を犯すのだ。

いろいろ意見はあると思うが、 モラルのない非人道的な人間が上司にいる職場として私はホワイトハウスを挙げたいと思う。

ただし同情する余地がないのは、ホワイトハウススタッフというのはだいたいにおいてその方が自分に有利だからそこにいるのであって、辞めたければいつでも辞められるからだ。

もしかしたらもう自棄になって昼間から飲んでいる奴もなかにはいるかもしれんが、それでもまぁアメリカ人は身体もデカくて酔いにくいということもあって責任能力なしとは誰もしないだろう。

いまのホワイトハウスでそうでもないのはおそらく首席補佐官のジョン・ケリーぐらいで、この人はホワイトハウスの激ヤバ状態を見てお国のためにとその中枢へ飛び込んだ訳なので、 気の毒というかこれはおそらく軍人の習性みたいなものだと思う。

たぶん立派なひとなのだろう。

A Higher Loyalty: Truth, Lies, and Leadership

A Higher Loyalty: Truth, Lies, and Leadership

 

ジェームズ・コミーの回顧録 “A HIGHER LOYALY: Truth, Lies and Leadership” (「もっとも忠誠を尽くすべきこと: 真実と嘘、そしてリーダーシップとは」)読了。
誰が自伝にこんな題名をつけるんだろう。最低のタイトルだよ。

著者のジェームズ・コミーは2016年の大統領選にはじまる一年のあいだに四度までその名をとどろかせた、当時のFBI長官。

そのうち三度の騒動はトランプ自らが「コミー・ワン」「コミー・ツー」「コミー・スリー」と呼んだとこの本のなかにある。

 

2016年7月5日(投票4ヶ月前)「コミー・ワン」

ジェームズ・コミー記者会見:ヒラリー・クリントンの「メール疑惑」捜査したけど何もでなかったで。これにて捜査終了な。

世論「なんでお前が記者会見すんだよ!司法省長官の仕事だろ!」

ドナルド・トランプ「FBIは疑惑を隠蔽した。この選挙は完全にインチキで、ジェームズ・コミーはshow boat(目立ちたがり屋)だ」

 

10月28日(投票の11日前)「コミー・ツー」

ジェームズ・コミー議会へのレター:やっぱり捜査再開します。

世論「ファッ!?もう選挙まで二週間ないよなにやってんの!」

ドナルド・トランプ「私はジェームズ・コミーが嫌いだが、今回はヤツもガッツのあるところを見せたようだ」

 

11月6日(投票日の2日前)「コミー・スリー」

ジェームズ・コミー議会へのレター:何も見付からなかったのでもっかい捜査終了します。

両党支持者「何やってんだよ!いい加減にしろ!」

 

11月8日(大統領選)

ドナルド・トランプ大統領(President-elect)爆誕

 

5月9日

ジェームズ・コミーFBI長官更迭

 

6月7日

ジェームズ・コミー前FBI長官、議会公聴会を翌日に控え、「ロシア疑惑で辞任したマイケル・フリン補佐官の捜査を中止するよう大統領から要請を受けた」と爆弾を投下

 

もちろん悪いのはヒラリー・クリントンだ(ただ当選したことをもってトランプを非難することはできない。それはいくらなんでもやりすぎだ。気持ちはわかるが)。

クリントン国務長官時代、規則に違反して自鯖を使いクリントンメール・ドットコムというクソみたいな独自ドメインのアカウントで仕事をしていた。

そのために記録に残らず消えてしまったメールのなかには、彼女の不正や不誠実なふるまいが隠されているのではないかという疑惑が「メール疑惑」だ。

だが結果的に「シロ」と出たこの疑惑が、FBIの捜査を通じて選挙の結果へ直接的に影響した可能性にを完全に否定できるひとはほとんどいない。

公聴会で「FBIの捜査が大統領選の結果に影響を及ぼした可能性についてどう思うか」と質問されたコミーはこう答えた。

「軽く吐き気がします(mildly nauseous)」

問題は、どう影響したかだ。

ジェームズ・コミーと彼のFBIは、トランプの勝利を後押しする役割を果たしたのか。

だとすれば、なぜ彼は当選後のトランプからあんなにも冷酷な仕打ちを受けることになったのだろうか。

 

「コミーは選挙を誘導した。だがどちらに誘導したかがいまも分からない」というツイートを自嘲気味に紹介するコミーの口調には、ほとんど疲弊に近いものがある。

アメリカ国民は長くこのジェームズ・コミーという人物の真の姿を図りかねていた。

「いったいあいつは何がしたかったのか」そして「何をしたのか」あるいは「しくじったのか」。

それにコミー自らが答えようとしたのがこの本だ。

 

要旨は簡単だといっていいと思う。

  1. 司法省は選挙への影響を怖れ、「メール疑惑」幕引きのタイミングを逸していた。このため政治的に中立であることを旨とするFBIが証拠に基づき捜査の終了を宣言することにした。
     →誰もFBIが政治的に中立だとは思っていないので裏目にでた。
  2. 10月末になって、クリントンが「破棄されて見付からない」としていた数十万件のメールがなぜか別件で逮捕された男のノートパソコンから発見された。無視することもできたが、そうするとクリントンが当選した場合、FBIは爆弾を腹に抱え込んでいることになる。
    どちらの道も困難だが、まだマシと判断して投票までに捜査を進めて片を付けてしまうことを選ぶ。
     →何が起きているのかを国民が理解できず、あたかも選挙妨害であるかに映る。

  3. 司法畑にキャリアを捧げたものとして、あるいはそのずっと前からコミーは人の尊厳に対して敬意を払い、内なる誠実さに向き合うことを大切に思ってきた。
    「メール疑惑」をめぐりコミーが下した判断はどれも褒められたものではないかもしれないが、それらは合衆国憲法の精神を護持し、権力から国民の権利を守るためにとらざるをえなかった選択であり、同じ立場にあれば、また同じことをするだろう。
  4. トランプはクソ。

つまりは不器用な人間なのだろう。

ケヴィン・スペイシーがカメラに向かって過ぎた大統領選の内幕と自分の果たした役割を得々としゃべり、“Welcome to Washington.” と締める “House of Cards”のオープニングが私は好きだが、つまりワシントンには何かの価値を本気で奉じている者などおらず、すべてが利己的な党派主義の論理で動いているわけだ。

本書でも多くの人間が表と裏の顔を使い分け、表だっては支援できないが、実は私は君の味方だとささやいてくる。

ここ最近で3冊の回顧録を読んだが、そのすべてに同じことが書かれていた。

そんななかで無骨なまでに「憲法の述べるところ」と「FBIの政治的中立」を求め、あえて困難な道を行ったのがジェームズ・コミーだ。

そしてあわせて4冊になる回顧録のなかで、唯ひとりヒーローになれなかったのもコミーである。

誰が任命したかといえば、バラク・オバマ。さもありなんというところだろう。

「完全にアメリカ生まれと断言できる犯罪組織は議会を除いて皆無である」*1

こうしたワシントン・タイプにはコミーはさぞ愚かで迷惑、ことによっては滑稽に映る人物だったかもしれない。

だがワシントンDCなどは小さな街で、本来アメリカという国で広く敬意を集めるのはこうした人物だと僕は信じている。

アメリカ人の愚かさが多くの場合にその真面目さからくるというのは誰もが認めるところだからだ。

たしかにコミーはFBIが国民の目にどう映っているかを図りかね、勇み足を踏んだ。政治的に中立であろうとするあまり、組織防衛だととられかねない決断もあっただろう。

だが、誰にコミーを非難できよう?

「現実と理想との隔たりに人間の悲惨があり、現実から理想に向かおうとする意思に人間の栄光がある」とはまさに、全国にある自由の女神像を爆破して回る男を描いた「リヴァイアサン」のあとがきに記された言葉だ。*2

自分の臆病さを、卑怯さをかみしめて大人になったジェームズ・コミーが絶対に譲るわけにはいかなかった理由を、そしてドナルド・トランプを許すわけにはいかないと考えている理由を、この本から読み取ることはさほど困難ではない。

ゴールド・コースト〈上〉 (文春文庫)

ゴールド・コースト〈上〉 (文春文庫)

 

 

*1:ネルソン・デミルの小説「ゴールドコースト」の冒頭に紹介されるマーク・トウェインの言葉。

*2:リヴァイアサン」(ポール・オースター作/柴田元幸訳)