新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

「トラフィック」。夢を弔う。

東京を飛び立って時間が経つにつれ、僕の時間とみんなの時間が少しずつ離れていくのがネットを見ていると分かる。

出張で日本へ帰っている一週間のあいだ教室でみんなと一緒に授業を受けていた僕は、また明日から僕だけが保健室へ登校することになる。そんな感じだ。

僕の昼休みには、もうみんなが寝静まっていて誰もいない。夢から覚めればこの世界にタイムシフトは存在ない。


駅で女子高生が電話しながら「お父さんもうツイッター頑張るのやめて!」と叫んでいたという話を聞いたことがある。それもツイッターでの話だ。

ツイッターなんか頑張っても仕方がない。それぐらいのことが分からないと(普通に生きていくこと自体が)難しい。

公式アカウントのフォロワーが増えれば売上が伸びるなんてのも、「ガン、治る!」とかいうのと同じレベルの民間療法で、それを信じたシャープは死んだ。

だけど僕は頑張ってきたんだ。

結局のところ、うさぎ研が始めたプロジェクトのうち最後に残ったのは僕自身なのだ。

すべては僕のブログを売るために。

あれ以来毎日、毎日僕はツイートをしつづけている。

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最近なにか映画は観ましたか、と長机の端から男が訊いた。

「先日はスティーブン・ソダーバーグの『トラフィック』を観ました」

と答えると、三人の面接官はみな「おぉっ」と小さく声をあげた。

「どうでしたか?」と男が問いを重ねた。


ご存知のとおり、ソダーバーグは「トラフィック」で群像劇を撮ったわけですが、ことの大小にかかわらず、いずれもやがてパーソナルな闘いになっていく日々を生きるひとびとの行き着くところは、決してたやすくありません。しかしそれぞれにほんのわずかな希望を残して幕が降ろされます。

この意味するところを私はアカデミー賞の授賞式に見たと思います。

中継を見ておりましたら、監督賞を受賞したソダーバーグはスピーチでたしかにこう云いました。

「このオスカーを、毎日の暮らしを少しずつ芸術のために使っているひとたちに捧げたい」

“Their lives” ではなく “part of their lives” と彼は云ったのです。

つまりソダーバーグは、映画はハリウッドだけによって成るものではないと云っている。

芸術はプロフェッショナルだけのものではない。思うに任せぬ暮らしのなかで生活者として様々に日々を過ごしながら、それでも芸術に毎日の少しを投じることをやめない無数のひとびとのために、自分はいまここに立っていると、そう彼は云ったのだと私は思います。

ひとは、我々はそれぞれにパーソナルな闘いを闘いながら毎日を生きる。でもその小さな闘いは、世界へ、いま自分が立っているこの場所へもたしかに繋がっているというソダーバーグのそうしたメッセージ、芸術を諦めないひとびとへのエールが「トラフィック」という映画なのだと私は理解しています。


自分は英語ができるというアピールを嫌味なく盛り込んだこの長広舌は面接官たちの心に届いた。

若干名の採用枠に対して三百名以上の応募があったと聞いているが、僕は一次面接で「実はすでに大学院を中退しており、そうした意味で新卒採用に応募する資格がない」ことを告白したにもかかわらず、ついに十名にまで絞られた最後の面接へ来るようにと伝えられた。

傾きかけた人生行路は夢にまで見た映画産業、配給会社への就職で建て直せると、僕はほとんど確信していた。

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何から何まで自分の手でやった「厚めの同人誌」とはいえ、うさぎ研以来続けてきたプロジェクトである「新宿メロドラマ」が決して無益な試みではなかったことを確かめるためには、その書籍化においてどうしてもツイッターからの反響が欲しかった。

ほとんど文盲であることが分かっているFacebookユーザーのなかにも心あるひとはいて、あたたかい言葉をかけてくれ、あるいは書籍を受け取りに足を運んでくれたが、何よりもコストをかけて「頑張って」きたツイッターからの評価を僕は必要としていた。何かあれば今回でこのアカウントが潰れてしまってもいいと思っていた。

結果は満足のいくもので、これからも僕は毎日ツイッターを頑張りつづけるだろう。それが無駄でないことははっきりしたからだ。


コミケには出せなかったが、そもそも出さなくてよかったのではないかというひともいる。理由を説明する必要はないだろう。

だが僕はそれでもやはり、いつかコミックマーケットへ出展することを目標に僕なりの小さな闘いをつづけていきたいと思う。

今回はじめてフィジカルを制作した経験は、まさにソダーバーグが言及したひとびとの闘いのいかなるものかを僕に知らしめ、毎日の少しを芸術に捧げている皆さんへの敬意をリアルなものにした。

この敬意をもって、僕は皆さんへの仲間入りを乞おうと思う。風呂は一日二回も入っている。

そうして僕はあの日、好きなことを仕事にしたいがために放った出まかせを回収するのだ。そうすれば引き換えに今度はソダーバーグの言葉を僕のものにすることができるだろう。

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日が暮れそうになり、アルバイトは休みだったから店で売り物になっているのを持って帰った「銀河英雄伝説」の続きを見ながらウイスキーでも飲もうかと考えていたら、先輩から電話があった。

今夜、ブルーノートブルース・ブラザーズ・バンドが出る。何人かで見にいく予定をしていたが、ひとり来られなくなった。代わりにおまえが来ると思うから、いま車でそっちへ向かっている。用意して待っていろ、時間がない。

分かりました、というと電話は切れた。

先輩にしても不躾な電話だが、友達とていない自分にはありがたいお誘いだ。

アパートを出て通りを渡ると、ワンボックスにはほとんど箱乗りといった風情で先輩たちが待っていた。

間違っても面倒なことにはなるまい。

僕が乗り込んでドアが閉まると、タバコを挟んだ指でハンドルを握る女の先輩がこちらへ流し目をくれてニヤリと笑った。


理由は忘れたが、その晩最後は僕のアパートになった。たぶん飲んでいた店が全部閉まったので僕を送っていこうということになり、車で乗り付けてそのまま全員であがり込んだのだと思う。酒だけはあるのをみんな知っていたからかもしれない。

朝になってガラス戸の向こうが白んできたころ、ひとりの先輩が刻を尋ねた。

「五時です」

僕が答えると、先輩は笑って「おまえもよく付き合うよなぁ」と感心したように云った。

その先輩が座っているのが僕のベッドだった。

「今日はバイト?」

「バイトはないです」

「あっ、休みか……何かあんの?」

「十時からアスミックエースの最終面接があります」

先輩は一瞬絶句したあと、馬鹿じゃねぇのかおまえはと怒鳴ってみんなを急き立て、部屋を出ていった。

「がんばってね」ドアが閉まるとき、女の先輩がくわえタバコの隙間から云った。


アスミックエースはその年、僕を採用しなかった。理由は分からない。

そもそも僕は応募資格を満たさないドロップアウトだったのだし、とりたてて世慣れた若者というわけでもない。あるいは酒の匂いをプンプンさせ、真っ赤な眼でわけのわからないことを口走ったからなのかもしれない。

とにかく僕はその選考に漏れた。

落ちる理由の方が多かったのだから、驚きはしなかった。ただ配給会社を経て映画評論家を目指そうと思っていた望みがこれで潰えたことは確実で、またひとつ扉がバタンとしまっていよいよ僕はどうやって金を稼ぐかということだけを考えて生きていかなければならなくなった。

そうやって生きていくには人生は長すぎて、それを思うと暗澹たる気持ちだった。

しばらくして、僕は映画評を書き溜めていた自分のホームページを閉鎖した。


僕はあまりいろいろなことを深く後悔することがない。考えれば考えるほど、人生はもっと悪くなりえたことに思いあたるからだ。

だからあのとき先輩に対して居留守を使わなかったことも、早くに次の日の予定を知らせて中座しなかったことも後悔はしていない。あれはあれで楽しい一夜だったことももちろんある。

ただひとつ惜しまれるのは、僕があのとき映画評をやめてしまったことだ。

夢は必ず叶うわけではない。だが諦めれば死ぬ。


高校生のころに映画雑誌で読んでいた清水節さんの短評が好きだった。そんなことを先日ツイッターでつぶやいたらご本人の目にとまり、返事をいただくことができた。

映画の世界で働くことはとうの昔に諦めたが、インターネットを通して清水さんのお仕事に触れることができて嬉しい、これからも楽しみにしているとお伝えすることができたとき、僕のなかで死んだままずっと埃をかぶっていた夢が、フッと煙になって消えた。

何か大きなことができるわけではないだろう。だがこうやっていても、僕たちは世界と繋がっていることができる。毎日の少しを投じながら芸術をつづけるひとたちの側で生きていくことができればいいと思う。

ありがとう、ツイッター