新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

秘密の記憶/女たち

女は秘密を愛している。

秘密をもった女は幸せそうだ。

女を輝かせたければ、ちいさな秘密を与えてやればいい。

 

女たちは秘密をもっていた。

はじめに気付いたのは妻だ。

バスで一緒になった女が近付いてきて、自分たちが秘密をもっていることを打ち明けたのだ。

「すごいだろう」と妻が知らせてきた。

「すごい」と僕は返事をした。

 

僕たちは多くの秘密を抱えすぎた。

秘密は子を産み、いたるところに居座ってやがて僕たちの背骨を圧するようになった。

何人もが理由を告げずに姿を消して、多くの金が使われた。

秘密は日常を覆い尽くし、僕たちの言葉を奪い、やがて僕たちは秘密に仕えるようになった。

僕たちは秘密をあらたな言葉として、もっと高度な秘密を発明し、秘密のために働いた。

秘密は産業となり、政治が生じ、秘密が法律となった。

これが男たちの秘密だった。

 

親戚の男が死んだ。自殺だった。親はもういなかった。

五十代だった男は離婚しており、再婚した妻とのあいだにまだ幼い子があった。

死のわずか前に、僕は男に会った。

僕の育った田舎の屋敷へ、男は法事に訪れたのだった。もう何十年かなかったことだった。

歓迎した僕たちに、男は破顔して冗舌になった。

その同じ部屋に昔、まだ三十になる前の彼が妻を伴ってやってきたときのことを僕は思い出していた。

この国は当時好景気に沸いており、男はその花形ともいえる証券会社で務めていた。明るく、話がうまくて成功したこの男のことを、親戚たちがみな感心した口ぶりで話していたのを覚えている。

いちどここでお目にかかったきりでしたね、と僕が云うと、そうだねと男は感に堪えない口調で云った。男の話はやはりうまく、僕たちはおおいに笑いあった。

駅まで車で送りましょう、法事が無事に調い日も暮れかけた頃に叔父が云うと、男はいやいやと固辞した。

「いませっかくここの家へ何十年ぶりかに来たんだ。子どもの頃から何度も通ったこのあたりを見て、歩いて駅まで行かせてくれ。いまそれがしたいんだ」

そのとき僕は男の死を予感した。

 

彼の心には小さな傷口があったのだ、男の死を知らせる父からの便りにはそうあった。

過去、家族、小さな嘘、思いがけない出来事。

そこで生まれた傷を彼はずっと抱えて生きていた。小さな、小さな傷口。その傷口から滲み出た水は長いあいだかけて彼の心に溜まっていき、やがて彼はそこで溺れて死んでしまった。

父は歳の近いこの従兄弟のことを僕よりも知っていた。父は何かを秘密にしているのだ。

だが僕はその秘密が何かをもう知っている。それが僕の秘密だ。

 

毎朝のように、今朝も女たちがいる。

僕が挨拶をして戸口を通ると、女たちはこちらを見ないで挨拶を返す。

だがいつもとは違う。

妻が自分たちの秘密を僕に打ち明けたことを、彼女たちは知っているからだ。

僕は女たちの秘密には立ち入れない。だから僕が彼女たちと秘密について言葉を交わすことはない。

だが僕が秘密を知っていることを、彼女たちは受けいれている。

僕がそこで聞いていることを許しながら、女たちはそっと僕を秘密から閉め出すのだ。

僕は目を伏せ、会釈してそこを通り過ぎる。秘密を誰にも喋らないという空気を背中いっぱいに出しながら、足早にそこを立ち去るのだ。

家に帰ると妻がスマートフォンの画面から目を上げて云う。

「すごいだろう」

「すごい」僕は答える。

野村證券第2事業法人部

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