新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

摂氏30度。戦争が感染する。

そして疫病が拡大する。

徐々に威力を薄めながら日常に同化していく。

我々はそれを恐れるけれども「新型インフルエンザ反対集会」を組織したり、「感染反対」の横断幕をかかげたりはしない。

賛成/反対の意を問わず感染は国境を乗り越えてたやすく人々をとらえ、ときに素早く死をもたらす。

必要とされるのは疫病反対のデモ行進ではなく、感染の拡大を防ぐための具体的な手段と、それを行うことだ。


昔、クラスでアンケートをとったことがある。

「あなたは性病に賛成ですか?反対ですか?」

「賛成」または「反対」とこたえるバカはほとんどおらず僕は喜んだ。

つまり大切なことは高校生にもわかっているのだ。


夏が近づいている。

この国が焦土の風景と腐臭の記憶に思いをいたす敗戦の夏が。

今年も各地で大勢の罪のない市民が平和の祈りを捧げ、戦争反対の思いをひとつにするだろう。

彼らに罪はない。だがいつか戦争は賛成/反対の意を問わず国境を乗り越えてたやすく彼らをとらえ、ときに素早く死をもたらすだろう。

ウイルスが水際の検疫体制を突破するまでにかかった時間を思いだそう。それは一瞬だ。

我々に必要なのはマスクであり、うがい・手洗いであり、いままでだってできたはずの、そうした小さな営みを日々繰り返す強い意志だ。

平和とは祈りでも主張でもなく、戦争に対して戦いを挑み続けることに他ならない。

よって武器を取り、措置を施し、犠牲を払え。

たとえばいま、戦線を拡大するウイルスと戦うように。

祈るのは、夜寝る前にちょっと祈ればそれで充分だ。


一方でメキシコについて語る者の姿が消える。

外国の疫病は外国の戦争とおなじくらい早く忘れ去られる。

その点、悲しみには価値がある。悲しみを忘れるのはひどく難しい作業だからだ。

しばしば祈ることに甘え、意志を見失う者は悲しみを学べばよいだろう。

死地と悟った壕から妻を思いやる兵の手紙を読めば済む。「今日はとても過ごしやすい一日だったよ」と記した手紙を読めばよい。

そのあとにしてなお祈ることしか思いつかない者は、はっきり云って役に立たない。

*  *  *  *  *

夏が近づいている。

気温は摂氏30度を超えた。

長い坂をのぼりきる前の一瞬真っ白な雲がフロントガラスをいっぱいにして僕は視界を失い、この車はまるでこのまま空へ飛び出しそうじゃないかと思う。それは本当に夢のような感覚だ。

*  *  *  *  *

疫病は海を越え、やってきた。まるで悪い夢のようじゃないかと僕たちは思った。

なにかイヤな予感がして、いままでにみた悪い夢のアルバムをひっくり返すと、そこにはある夏の日、鉄の暴風雨が小さな島を襲ったことが記されている。