空港からダッカ市内へと続く道は渋滞していた。
乗用車とバス、その間を埋めるオートリキシャが片側三車線はありそうな立派な道路に敷き詰められている。
もともと平日は渋滞がひどいからという理由でこちらの週末にあたる金曜日、土曜日にあわせた日程だったが、それでもその週末を控えた夜の10時過ぎ、いまだに道はひどいときの首都高を上回る渋滞だった。
「これはまだマシな方です。明日からは週末ですから」さきほどから助手席でそわそわとこちらの様子を気にしているバングラデシュ人のAさんが振り向いて英語で教えてくれた。
「マシな方」と云っても、さきほどから20mも進んでいない。これ以上混んでいたら1時間待ったって少しも進めやしないだろう。僕は感心してまた車外へ視線を向けた。
「ナーバスになっているのか」隣のシートに腰掛けたT氏がAさんに声をかけた。
「野良パスタさんはバングラデシュにくるのはこれが初めてだし、ツアーを滞りなく進めなければならないと思っています」Aさんは正直に答えた。
「リラックスしろ、A」Tさんの英語はとても静かで、知的だ。「失敗から学ぶんだ。わかるか」
Aさんはフロントガラス越しに巨大なバスを見つめたまま、イエスとつぶやいた。
空港はまるで夜の闇に浮かんだ城砦のように見えたが、このあたりになると道路の両側にならぶ商店は裸の照明を煌々と照らしている。橙色の街灯とあいまって、うっかりすると夕暮れ時と勘違いするぐらいの明るさだ。
歩道を埋め尽くして行き交う人々は、さすがに帰路を行くのだろう。この時間だ。ここは歌舞伎町ではないし、イスラム圏に徒党を組んで飲み屋をはしごする輩はいない。
しかしどこから現れてどこへ行くのか。エキストラかと思うほどきりもなく現れては消えていく人々は、まるで無目的に見えるほど別々の方向を目指している。
それにしても騒々しいことだ。視界を覆うような車の列は途切れる様子もなく、それぞれが1分に20回ぐらいのペースでクラクションを鳴らしながらじりじりと進んでいた。
その間を縫ってビニール袋に詰まったポップコーンを売る少年たちが窓からこちらをのぞき込む。
施しだと思って購ってみたくもあったが、僕はまだバングラデシュ・タカを持っていないし、日本人が道ばたで買ったものを口にするのは自殺行為だと聞かされている。限られた日程を下痢腹を抱えてこなすのはまさに地獄にほかならない。目をそらすと少年は後ろの車へと移っていった。
自分が身体の芯で、少し緊張していることに気付く。
南アジア然とした活気と喧噪、ステップまで人の溢れた乗り合いバス、飛び交うハチのようなオートリキシャ、渋滞。
これは違う。これはまだ、僕が見にやってきたバングラデシュとは違う。すべてはこれからだ。まだ始まってすらいないんだ。
ようやく追いついた仲間の日本車が前方でハザードを出し、後続車がいることを周囲に伝えている。
またポップコーンを振り上げながら子供が近づいてきた。
一瞬たりとも見逃したくないと思い、僕は車外の風景に目をこらし続けていた。
* * * * *
パンパシフィック・ショナルガオン・ダッカホテルは調べによるとダッカでも指折りの高級ホテルだそうだが、それはどうやらビル街と云えそうになってきた市中心部に堂々として、あった。
我々を乗せた三台の車が相変わらずプープーとクラクションを鳴らしながら開かれた門扉を通過すると、ヘッドライトに制服警官と軍服を着た兵士が現れ、車内の様子をうかがうと身振りで行けと命じた。兵士の背中からはライフルの銃口が飛び出していた。
テロが頻発する国だとは聞いていないが、何を警戒しているのか。
都心のホテルに武装した兵士が立っているとは、とにかく穏やかではないではないか。
車寄せでおろされた我々の荷物は、Aさんたちの手によって素早く入口の脇へ運ばれ、X線検査装置を通っている。我々自身もやはり金属探知機のフレームを通れと云われたが、突然だったのでなんの準備もしていない。当然のこと「ビー」とブザーが鳴るが、不思議とセキュリティはそのままスルーで客をみなホテル内へと送り込んでいた。
「な、なんだあれ。意味あるんですか、あの探知機」
さぁ・・・とT氏は苦笑いしている。
兵士の提げていた真性の小火器と、ホテルの入口にまで設けられたX線検査、金属探知。そして引っかかったのに何もとがめられずにそのまま通されるというルーズな運用。
厳重に警備されたホテルへ入ったにもかかわらず、逆に何かとてつもなく恐ろしい怪談の題名だけを聞かされたような不安を感じた。そこまで警備しなければならない理由があるなら、ちゃんと警備してほしかった。
車寄せから総ガラスのエントランスを通り抜けるとそこは広大な吹き抜けのロビーで、左手に並んだテーブルの向こうには巨大なプールを備えたパティオが屋外照明に照らし出されている。どこかで聞いたようなポップミュージックがピアノにアレンジされてどこからか控えめに流れていた。
漆喰だかコンクリートだかでしつらえたトタン葺きのバラックと、裸電球の下でなにやらけたたましく言葉を交わす人々を小一時間も眺めてきた僕の目に、それはあたかも租界の光景だった。
東京のホテルのようにツルッツルでもピッカピカでもないが、しかし東京のホテルにこんな馬鹿みたいに贅沢な空間のとりかたはできない。
決して新しくはないけれども磨き込まれて「使われてきた」ダッカの応接間とも云うべきホテルなのだろう。天井までのガラスでプールと隔てられたラウンジでは、チャンギ空港以来しばらく見かけなかった欧米人ばかりが腰を掛け、談笑している。
密林のなかにまるでそこだけ西欧の一角を切り取ってきたかのような「ホテル・ルワンダ
」か、「地獄の黙示録
」に出てくるフランス人入植者の館を反射的に思い出す。
僕だってまだバングラデシュにはほんのわずかしか触れてはいないが、これがあまりに場違いな光景であることは容易に知れた。惚けたフランス人入植者がベトナム戦争のただなかで茶会をやっていたように、それら宿泊客もまた、見慣れたホテルの風景画のなかにいて、ここがダッカであることを不自然なほど忘れているように見えた。
長旅のあと、これでヤサはゆっくりできそうだという過剰な安心感とあまりにも不思議な光景とにアテられて、僕は支配人のまくしたてる英語もよくわからないまま部屋へ通され、T氏やAさんと翌日の待ち合わせを約束し、別れた。
1日に3リッターの水を飲む僕にとって、「生水を飲んだら即死」のアジアを旅することは決して楽なことではないが、T氏が前もってホテルに伝えておいてくれたようで、部屋には滑稽なほど大量にミネラルウォーターが用意されている。
冷蔵庫を検分したが、ビールはない。
ミニバーの伝票には「BEER」の欄があるが、赤いボールペンで「N/A」として消されていた。
"Non Alcohol"か。ルームサービスに電話しようかとも思ったが、英語で宗教論争はできないと思いとどめてミネラルウォーターのキャップを捻り、タバコに火を付けた。
厚いカーテンをおろした窓の向こうからは、先ほどまでのあの、クラクションの嵐が遠く聞こえている。
低い天井に圧された空港。迎えの花束。磨き上げられた日本車。夜中まで続く渋滞と、ドライバーにポップコーンを売りつけて食い扶持を稼ぐ少年。ドアのないバスにしがみついて家路をたどる浅黒い肌の男たち。ごみごみした町でくり広げられる日給数ドルの営み。かたちばかりの警備で守られる租界。ラウンジに流れる瀟洒なポップミュージック。
経済大国の座を滑り落ちたと嘆く彼の国の姿をはるかにしのぐ、アンバランスな世界。
言葉と現実が、あるいは言葉と言葉がかみあわないのではなく、現実と現実がうまくかみあわず、隙間が生まれているような感覚があった。
完成したパズルのように、隙間なく現実がこの世界を覆っているものだと信じていた僕は、ここへきてその繋ぎ目に気付いた奇妙なズレに不安を感じ始めていた。
灰皿が見あたらず、キッチンにあったソープディッシュでタバコを消すと、バスタブに湯を張った。
明日がどんな一日になるのか、知る手だてはまったくなかった。