新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

脱南チャプチェと不穏な雨。

降るのか降らないのか、よくわからない天気が続いており、気候は不穏である。

そのさなか、ゆえあって韓国料理屋を転々とす。

中野「パッチギ」は駅前から五丁目を早稲田通りまで抜ける夜のメインストリート入口に店を構えるポップな新店。

10坪ほどしかない店内は、ドラム缶を裏返して置いただけのテーブルを6卓もとっており、うちっぱなしの内装とあわせ、あたかもキャンプかバーベキューの様相だが「韓国料理屋」あるいは「焼肉屋」のイメージをかき消すような若者感を出している。なにせ備品・造作にカネがかかっていないのがいいが、その割にちゃんと韓国感を出しているあたり素人ではないとお見受けした。

平日の夜7時を過ぎて店内は満卓。4人のスタッフはやや多めかと思ったがフル回転だ。店長はオーナーか、と問うと、店長は厨房にいる彼、オーナーは私ですと流暢な日本語で答える女性がオーナーだそうだ。半年前に開店。

チャプチェを食う。昨今はやりというサムギョプサルを水晶板で焼き、味噌キャベツ、チジミとなんだかんだでテーブルが溢れた。ビール二杯。

「次へ行くぞ」と店を出ると、ガムの紙を剥きながら追いかけてきた店員が心配そうに訊く。

「ずいぶん残されているんですが、何か気持ちの悪いことでもありましたでしょうか?」

この行き届いた配慮、接客は満点以上のできばえであった。

「いえ、時間がないんです。ごめんなさい。おいしかったですよ、ごちそうさま」

薬師愛ロードを北上、新井薬師へ向かう。

新井薬師は記憶にまさる寂れようで、おちおち酒も飲めなそうな雰囲気であった。

タクシーを拾い、東中野ソナム」へ向かう。

東中野銀座から一本逸れたこれもまた不穏な一帯。あたりは住宅街のはずだが暗がりでよく見えない。どの家のなかでも何か恐ろしいこと、非道なことが行われているような気配がある。

店は思いの外繁盛している。

こちらは二十坪近くの店に、テーブル20席、小上がりがさらに12席ほど。これを三人の店員が世話しているのだからたいしたものだ。

入口から店内にいたるまで、「TOKYO WALKER」ないし某の雑誌に載ったという、その掲載誌が貼り込まれ、歴史と定評を思わせる。

名物は「当店が初」と控えめに謳うカムジャタン。同行したPさんが「韓国焼肉のブームがくる更に前、韓国ではやったカムジャタンをその時代に持ち込んだ店に違いない」と看破した。豚の背骨とジャガイモを辛いスープで煮るカムジャタンは、キャバクラ帰りにアフターで嬢とダラダラつまむものだということであった。腹がいっぱいで食えない。

チャミスルを所望。ダラダラやるが、ほかの客もまた一向に帰る気配を見せない。とはいえ平日でこの入りなら文句はなかろう。歴史がモノを云う、地元の名店という趣で、iPhoneをガシガシ繰りながらたどり着いたような一見さんは明らかに我々だけであった。

ところで韓国料理屋では店内を流れるBGMに必ず韓国のポップスが使われるが、これが注意して聞かないとわからないほど日本のポップスに酷似しており、

「ヒット曲」の構造が両国において共有されていることを改めて思い知る。

「いい曲」を作ることはさほど難しい作業ではないのであろう。

テーブルの向かいでチャミスルをロックでやっていたデビリオンが次の店をヒットする。

東中野駅前「民族村」。ニッポンレンタカーの二階にあって、階段を上がると今度は先の二店舗をさらに倍するかのごとく広大な店内だが韓国感がない。観光地の参道脇などにありがちな、修学旅行生目当てのうどん屋を思わせる非常に無味な内装であった。

夫婦とおぼしき二人が厨房からうろんな目をこちらに向けた。

窓際の席に着き、チャミスルをとる。

「もう食えない」とデビリオンが泣き言を云い、やむなくチャプチェだけを注文した。味はマイルドで悪くない。キャベツの目立つチャプチェを指して、「この作りは本物だ」とPさんが云う。

チャプチェは祝い事があったときに家庭で作られる料理だという。「ちらし寿司みたいなもんか」と訊くと、「おそらくそうだ」ということだ。感心してつまむ。

私にとってチャプチェとは、「モランボン 韓の食彩 チャプチェ」とほぼ同義であって、店主の手になるマイルドな味は不思議な印象だが、Pさんは「これこそがチャプチェだ」と断言した。

あなたは韓国からきたのかと店主に問うた。

「そうです。三年前に」との答えにのけぞる。50がらみのその男はたった三年前に日本に渡ってきて、韓国料理屋を始めたというのだ。

「ご家族もご一緒に?」とさらに尋ねると、嬉しそうにテーブルの脇へきて話をしてくれた。

妹が13年前に韓国から日本に渡っており、彼女に招かれて娘を連れ、南を出たという。妹が東中野で切り盛りしている店が「マッコリハウス」。文字通りの姉妹店というわけだ。

チャミスルの大瓶を二本空け、もうどうにもわけがわからなくなったため本日の業を終える。勘定を済ませると、店主がお土産だと云って、「辛ラーメン」を1人に1包ずつくれた。深く感謝しながら店を降りる。

カムサハムニダ、アンニョンハセヨ、ありがとうございます、カムサハムニダ、おやすみなさい・・・」という店主の声は階段を降りて通りに出るまで続いていた。

雨はまだ、降るか降らぬかという神経戦を1人で続けていた。

さっさと駅へ向かうデビリオンはそこで消えた。Pさんと僕はタクシーをつかまえ、西へ向かう。

車中、Pさんが訊いた。

「夢は何ですか」

僕はハンドルを回してタクシーの窓を開けると、不穏な夜空を見上げながら答えた。

「幸せに生きること」。