ロスト・イン・トランスポーテーション。この街がまだデジタルだった頃。
英会話教室と銘打った、非道な割賦ビジネス。
あるときグループレッスンで、英語がうまいだけのアメリカ人講師が「あなたはこの夏休み、何をしていましたか?」と尋ねたところ、OL風の若い女性が答えたという。
“I was tripping in London.”(私はロンドンでキマりまくってました)
ここで講師は爆笑したというから赦せぬ。
まぁこうやって聞けば笑えるけどノン・ネイティブはやりがちな失敗だし、しかもこれぐらいのレベルの間違いはノン・ネイティブ同士だと意味だけ伝わる英会話として問題なかったりするから、その町場の英会話教室にくる初級レベルの学習者のことをそんな風に笑うのは、生まれたときから英語をしゃべってきただけの講師の無配慮というものだ。
だけど、アメリカ人っていうのは、そもそもそういうところがある。
英語が話せないとみると「やれやれ何しにアメリカきたの?」っていう態度になるようなところが。
これは世界中から集まった移民の国だからという社会背景があるんで、溶け込みたいと願うならやはり郷に入れば郷に従えということで、そこそこ話せるようになるしかない。
服装よりもこっちの方が大事なのがアメリカだと思う。
逆にヨーロッパだとみんな英語が下手だから割合しっかり聞いてはくれるけど、我々アジアンは多少身なりの方に気をつけると入り口有利に入れるかなと、なんとなく感じている。
* * * * *
ベトナム語は話せるのか、と年に50回ぐらい訊かれる。
「じゃあ、ベトナム語しゃべれるんですか?」って。「ベトナムで仕事してるんですよ」「じゃあ、ベトナム語しゃべれるんですか?」って。「じゃあ、」って。
たぶんみんな訊かれているのだろう。
「数字と、あとは名の知れた通りの名前がなんとか通じます。タクシーでは」僕の場合はこれだけを5年ぐらいずっと答え続けてる。
こう聞かされた相手の顔に浮かぶ深い失望の色。
それはつまり単に話の糸口を失ったことにとどまらず、目の前でいま「ベトナムで仕事をしている」と云いきった男が一気にうさんくさい存在にかわったことを告げており、僕はこれを見るのがいろんな意味でとてもつらい。
だからそのあと、ベトナム語がいかに学習困難な言語かというポジショントークで相手を楽しませるのがうまくなった。実際のところは5年かけて身につかないような言語なんかあるわけないのであって、これは完全に私が怠惰であるだけです。
ちなみに弊社にいる四年制大学卒業者ども、僕をふくめて英語からカラッきしダメで、第二外国語に至っては「ドイツ語」「インドネシア語」「フランス語」などなど何の役にも立たないばかりか、全員が綺麗に全部忘れてしまっている始末だ。
僕はドイツ語で“Hier, kommt ein politzman.”(ほら、警察官がきます)しか云うことができない。
しかもこれは大学に入るもっと前に、叔父から教えてもらったフレーズだ。
* * * * *
ホーチミンシティに出入りしはじめた頃というのはタクシーに乗るのも非常にデジタル的というか、乗ったところと行きたいところしか分からないので精神的な負担はかなり大きかった。
当時はまだいまよりもだいぶタクシー事情が悪くて、街中で何の気なしに拾うと運転席の背中に日本語で
「ボッタクリタクシー!!」
とダイイングメッセージがあったりした。
「ターボメーター」って云うひとはいまもいるのだろうか。「あ、そこそこ、そこ止めてくれ。OK、OK」って云ってると、なんかカチカチカチ...っていう音がして急に5段階ぐらい料金があがるやつ、最近はみなくなったように思う。
そもそも値頃感が分からなかったのもあり、サンキュー、サンキューっつって、さらにチップをはずんだりもしていた。悲しい。
しかし行き先を告げるにせよ揉めるにせよ、結局こちらに言葉ができないのが何よりも問題なんであって、「あ、やべぇな、こいつ場所間違えてるな」と思ってもなんと云っていいか分からないし、(遠回りされている・・・)と気付いても、いまどこにいるのか分からず、果たして途中で降りて他のタクシーが捕まるかどうかも定かでないので憤懣やるかたなし。ぶすッとして勘定を済ませる以外になかった。
そんな、まだホーチミンシティにアパートを借りてから1年も経たないころ、少し離れたところで知人の夫妻と食事をしたあと、通りかかったタクシーを拾った。
“Saigon Pearl.”(サイゴンベァー)
どや顔のベトナム語なまりでアパートの名前を告げるが、ドライバーが返事をしない。
ちらちらとルームミラーでこちらの顔をうかがっているが、どうやら困っているようだ。
(出たな・・・)と思って通りの名と番地をベトナム語で告げたが、ドライバーはまだゴニョゴニョ云って頭の周りで手を振り回している。
これは久しぶりに手強いやつに当たったぞと思ったが、それでもクルマはもう通りへ出てしまっていた。
「おい、わかんないのか、グエン、フー、カンだよ。グエン、フー、カン、ビンタン!」
簡単な英語で(僕は簡単な英語しか話せない)含めるように繰り返しているうちにもドライバーは適当にハンドルを切ってクルマの流れに合流していく。
ベトナム語ができないのだから、英語が通じない(往々にして通じない)ドライバーなら、もうお手上げだ。
まだ店からさして離れないうちに降りちまおうと、道の脇を指さして「ストップ、ストップ」と云ったとき、ドライバーが汚い紙片とペンを突きだして云った。
「ビッテ、シュライベン」(どうか、書いてください)
「ダ、ダス・イスト・ドイチュ!」(ド、ドイツ語じゃねぇか!)
「ヤー、ヤー」
思いがけず僕から飛び出したドイツ語のフレーズに相好を崩して、ドライバーは僕の差し出した住所を受け取った。
「なるほど、これ住所ね。やっぱわかんねぇわ」
(ここからはドイツ語混じりなので、だいたい想像した内容でお届けします)
「お、おうそうか。じゃあI tell you the way. I tell you. レヒト、レヒト(右、右)」
「おうrechtsか、あんちゃんドイツ語できんのか」
「ナイン、カイン・ドイチュ」(いや、全然)
「ここrechtsか」
「ニヒト・レヒト、ニヒト・レヒト!」(レヒトじゃない、レヒトじゃない!)
「じゃlinksか」
「リンクス、リンクス」
だいぶん危ない道行きだったがどうにかタクシーがまともに走り出した頃、ドライバーが自分語りを始めた。
俺はドイツ生まれのベトナム人で、最近こっちへやってきたんだ。
ドイツではいろんなところにいたよ。
ハンブルグ、デュッセルドルフ、フランクフルトにもいた。なんせ向こうで大人になったんだからな。
だからドイツ語はペラッペラ。だけど英語もベトナム語もご覧の通り、まるでできないのさ。
だったらタクシー無理なのでは。
伝えられなかった。僕と彼の間には、共通の言語がなかったからだ。
ドイツ語はマイナー言語というわけではないが、決して誰にでも心得のあるものでもない。
今夜、僕の次に客を送り届けることができるのはいつだろう。それまでに、何人に(もちろんベトナム人にも)怒鳴られ、料金を踏み倒されるのだろうか。
丁寧に、丁寧にドライバーはクルマをアパートの車寄せへ着けた。
「ダンケ」と僕が紙幣を差し出すと、ドライバーは身体をこちらに向けて「ダンケ・シェーン、ダンケ・シェーン」と繰り返した。
「アウフ・ヴィーダーゼーン」
ビナサン・タクシーのマネージャーめ、社員がこんなやつにクルマを貸してると知ったらひっくり返るだろうな。
アパートの敷地を出て行くタクシーを見送りながら、なんだか僕は感心していた。
大学を卒業して15年が経ったが、ほかにドイツ語が役に立った覚えはない。
ドイツで仕事したこともあるのに、だ。
後日、ドイツで過ごしたこともある友人にこの話をしたら、彼の感想は、
「ドイツで生まれ育ってまでして、ベトナムでタクシードライバーですか。厳しい人生ですね」
であった。
ああ。
フルローンで自宅を購った不動産屋は云った。「借金も財産ですから」。
コンビニで煙草を買おうとしたら年齢を確認されて「俺が19歳に見えるのか!」と云ってキレたとか、マクドナルドでハンバーガー40個をオーダーしたら「店内でお召しあがりですか?」と訊かれて「状況判断できないのか!」とキレたとか、ほんと世の中にはいろんな人がいる。
「状況判断できないのか!」って、おまえがマクドにいるという状況を把握してください。
お店にはそれぞれ最適なやり方と、それからこれは忘れがちだけど大切なこととして「スタイル」っていうものがあるから、客とはいえアウトサイダーに過ぎない僕たちにはいろいろと不思議に思えることもある。
僕は一応ジェントルマンでありたいと常々思ってるから、スティングの云うところの Gentleman will walk but never run. どんなにおかしなことがあったとしても、アプセったりしないように気をつけてる。
その点Twitterなんかは匿名でボコボコに云えるから便利でよさそうだ。「殺す」とか「爆破する」とかだけ云わないように気をつけて、TLに向かって罵詈雑言をぶつけていきたい。もしTwitterをやってたら。
とはいえ僕もかねがね気になっていたことはあって、それは最近なくなったみたいだけど、以前はデニ○ーズあたりで一人で食事をしてカードで払おうとしたら必ず、
「お支払いは一括でよろしいですか?」
って訊かれてたこと。
当然だろ、と。
おたく、ジャンバラヤを分割で食うようなヤツにカード使わせてんのか、と。
いや、状況を判断しろということではなく、与信的なことと、あとはちょっとした倫理観の問題で。
まず、ジャンバラヤ食って「2回払いでお願いします」っていうヤツいたら、そいつは次の決済日まで待ってもやっと半バラヤしかキャッシュに余裕がないわけだから、はっきり云ってデフォルト寸前、というかマザー・テレサも塩撒いて追い返すレベルの債務者なんであって、これカード通ればそれでOKですかね?という話。
あとはこれでデフォルトが繰り返されてもね、JCBが損すればいいというだけにとどまらず、やはりこれは消費者庁事案かと思います。
「カード破産予備軍か 全国で数万人規模 ジャンバラヤ割賦販売で」
ジャンバラヤ割賦販売。
やめた方がいいと思いますよ。僕はやはりファミレスで分割・リボを使わせるのはやめた方がいいと思います。
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さて、世間では奨学金の返済ができない人に対して「強引な取り立て」が行われているとか、返済苦がたたって結婚に差し障る(31.6%)とか、いろいろなことが云われているようだ。
4割が「返済苦しい」 深刻化する“奨学金地獄”の実態 | 日刊ゲンダイDIGITAL
奨学金「取り立て」ビジネスの残酷 - 三万人のための総合情報誌『選択』
ひとつのアドバイスとしては、やはり「闇金ウシジマくん」を読んでみるということが挙げられる。
肩の力がスッと抜けて気が楽になると思う。
マンガを買うカネを返済に回すのもいい。
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教育機会の平等というのは民主主義社会の根幹をなすものであるから、これは大切なことだ。
しかし自分の権利と義務を理解して政治参加するのに必要な最低限度の教育レベル(義務教育修了レベル)は中学校卒業程度とされているわけで、仮にこれが高卒レベルであるべきだといったところで、大学卒業までを公費でまかなえというのはちょっと無理があるのではないかと思う。
大学というのは専門教育の場であって、すべて国民が等しく得るべき教育というのは最大限その手前まででなければ理屈が通らないからだ。
だから、大学へ行きたいという人を、みんな無料で無条件に行かせてあげるというわけにはいかないのだろう。
もちろん日本の財政に余裕があれば大学教育の無償化というのは国策としてとても有効だと思うが、現実の財政はただでさえ崖っぷちだから、いまそれを云ってもどうにもならない。
資産課税しろとか社会保障を見直せとか、公共事業の無駄をなくせという議論には賛成するが、これは誰かがもらうはずだったカネを教育へ回せという話なので、純然たる政治闘争の果てにしか実現せず、時間がかかる。
時間をかけること自体が、政治プロセスの大切な機能だからだ。
では限られた予算のなかで給付奨学金を拡充しろというのが今のところ検討可能なラインだとして、これを果たしてどのように実現するかということを考えてみる。
するとそこにどうしても「選別」が生まれてくることは、それこそ義務教育修了レベルで理解可能なのではないかと思う。
つまり一部の学生(それが少数か多数かにかかわらず、全員でないという意味で、一部の学生)に対する給付奨学金を拡充しましょうということを考えた場合、次はその「一部」というのは誰ですかねという話になるわけだ。
ここに納得できない人は、中学校を卒業してからもう一度読んでみてほしい。
大学というのは専門教育の場なので、給付によって大学へ行きやすくなるのは専門性を身につけて社会で活躍する見込みのより高い人から順番でなければならない。
大学だけは出たけれど、4年遅れで高校の同級生と同じ仕事をしていますというのでは、給付奨学金制度を支える社会は果実を得ない。
そうすると、この選別に漏れるひとというのは「専門性を活かして活躍する見込みが比較的低いとみなされた人」であるにもかかわらず、貸与奨学金を得るしかなくなってしまう。
結果として、将来比較的高い賃金を得ると見込まれる人に返済義務がなく(給付奨学金)、それほど高い賃金を得られないとみなされた人が返済義務を負う(貸与奨学金)という不合理な状況が、やはり生まれることになる。
しかも、このように「それほど高い賃金を期待できないと見なされた人」にばかり貸し込まれた貸与奨学金というのはデフォルト率が現在の貸与奨学金よりも高まるので、金利を引き上げなければ制度を維持できない。
回収するカネと貸し付けるカネは最低限バランスしていなければならないからだ。
要するに、状況は悪化する。
面倒なので言葉を換えると、我々のいま生きる不完全な現実のなかでは、優秀な人と同じ制度のなかで貸与奨学金を利用するのが、それほど優秀でない人とってはもっとも有利な選択だということだ。
完全なる給付奨学金制度が実現不可能なうちは、返済力の高い優秀な学生を貸与奨学金制度のなかにひきとめなければならない。彼らがより恵まれた制度へ移行してしまうと、残された制度はただちに崩壊するだろう。
つまり、これは本当に残念だが、奨学金に関していうと大学へ行かないという選択肢をのぞけば現状がもっともマシな状況なのだ。
このへんはジョージ・アカロフやジョゼフ・スティグリッツの仕事に関係するんじゃないかと思うので、経済学を勉強した人は教えてください。桶いっぱいサーモンをおごります。
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借金の話。
この低金利下、もっとも低い2年ローンの固定金利が最低で年利0.75%とされている。
20年借りるとすると、いまでも1.60%の金利がかかる。
だがここで金利以上に重要なのは、住宅ローンは土地や建物が担保に入っているということだ。
仮に借り主がデフォルトした場合、銀行は担保を差し押さえて売却し、貸付金の一部または全部を回収することができる。これがなければ、この金利はもっと高くなるはずだ。
なお三菱UFJフィナンシャルグループ傘下のアコムさんが公開されている「返済早見表」に適用されている金利は年利18.00%です。
本当にありがとうございます。
何がいいたいかというと、世の中、担保があって借りるのとそうでないのとではこれぐらいの差があるということだ。
そのうえ住宅ローンや消費者金融になると、そもそも融資を断られるひともいる。
一方で、JASSO(学生支援機構)が提供する貸与奨学金の金利を確認してみた。
平成19年4月以降に奨学生に採用された方の利率 - JASSO
詳しくないので誤解があればお知らせいただきたいのだが、奨学金には、振り込まれた月ごとに変動する金利がその後固定で課されるということになるようだが、この3月に卒業された方は、最後に振り込まれた奨学金にかかる金利が年利0.63%と読める。
年利0.63%だ。
いまはもっとも金利の低い時期だが、過去4年間をみわたしても、平成23年7月に振り込まれた奨学金に対して1.37%の金利が付されている程度である。
この低金利が、無担保どころか貸付けた時点では充分な給与所得もない学生に対して提供されているのは、すでに市場原理では説明できない領域の話だ。
だからJASSOは独立行政法人となったいまでも公的セクターとしての役割を少なからず果たしているというのが僕の考えだ。
これでさらに返済の遅延やデフォルトが起こり、訴訟の費用もかかっているというなかで、なお誰かが暴利をむさぼっているのだとしたら、僕は全財産をつぎ込んで明日からJASSOを始める。
もちろんたたくのは自由なのだが、JASSOは絶対に民営化できない事業を営んでおり、それを考えればあまり彼らの立場を苦しいものにしない方がいいのではないかということをささやかなご提案としたい。
ところで「こんなことになると分かっていれば貸与奨学金を利用することはなかった」という人は、まさかクレジットカードの分割払い(「手数料」年率15.00%〜)やリボ払い(最大「手数料」年率18.00%)を利用したりはしていないことと祈りたいが、それ以上に住宅ローンや自動車ローンをご利用になる予定はないだろうか。
「奨学金の返済が結婚に差し障る」とおっしゃるが、むしろ結婚したらなんらかローン組もうというお考えはないか。そのローンはほぼ間違いなく、貸与奨学金より巨額かつ高利であることをお忘れのなきようお願いしたい。
最後になりましたが、僕は大学を出るまで生活費も含めて全部、親に世話してもらったラッキーボーイです。
それでも酒代でショートした資金をご融資いただいたJCB、各種学生ローン、わけても長らくお世話になったフレンド○高田馬場店といった金融機関からの借入がかなったことには、いまでも深く感謝しております。
こうした金融企業ならびに最後までお読みいただきました皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたしまして、結びの言葉とかえさせていただきます。
本日はまことにおめでとうございます。
嘘と、沈黙。
あなたのなかでNetflixをめぐる熱狂はもう落ち着いただろうか。
米Netflixでは、完全に滑ったシーズン3の後を追う“House of Cards” シーズン4が公開中だ。世は実際に米大統領予備選のクライマックスだから、まことショービズのお上手なことと舌を巻くほかないが、ドラマの方はちょっと観たところあまり期待できそうもない。
物語が始まったときには副大統領ですらなかったのに、一度の選挙も経ずついに大統領の座に就いた権力マニアのフランク・アンダーウッド(ケビン・スペイシー)は、彼を憲法の敵と看破した検察官ヘザー・ダンバーの立候補により劇中「2016年の選挙戦」では目下追い詰められている(エピソード1)。
権力を手に入れるためには文字通り手段を選ばないフランク・アンダーウッド(ここまですでに2名を自らの手にかけ、殺害している)が、あらゆる障害を実力で取り除いてのしあがる姿はファンを虜にしたが、理念なくして権力を手にしたがため、大統領に就任してのちの彼は迷走する。
民主主義の総本山を自認する米国がたったひとりの圧倒的な悪の手中に転がり落ちていく様を固唾を吞んで見守っていた視聴者は、悪が悪ゆえに自壊するというきわめて21世紀的な展開に興ざめしたとみるべきだろう。
そしてもうひとつ、シーズン4を仕込んだ製作者の目論見を突き崩したのは、フランク以上に異形の政治的怪物が実際の大統領本選に進出しようという現今の状況、すなわちドナルド・J・トランプという現象にほかならない。
CNNは報道チャンネルの面目躍如とばかりに日がな一日(アンソニー・ボーデンの“Parts Unknown”をやってるとき以外は)大統領予備選の報道をつないでいる。
アメリカとアメリカを取り巻く世界にあふれる“issues”(政治テーマ)が論じられるべきまさにそのとき、警官によるアフロアメリカンの殺害も、ニューエコノミーだと思われていたシェール産業のつまづきも、1%による富の独占も、すべてがテレビからは押し流されて、そこにただ権力をめぐる争いだけが映し出されているというのはブラックジョークとしてもあまりに過ぎる。
要するに、フランク・アンダーウッドはいまにもこの国に生まれうるという危機感こそがアメリカの視聴者を“House of Cards”へ釘付けにしたのだとすれば、まっすぐその延長線上に、トランプは現れたわけだ。ドラマでも許されなかった、ほとんど無限にもおもえる巨万の富を携えて。
当初出馬は売名行為にも劣るジョークだと思われたトランプが、やがてジョーカーとみなされ、いまや議会共和党の重鎮(「エスタブリッシュメント」)までをも震え上がらせる快進撃を続けている理由については日本でも多くのひとびとが解説を試みているので、ここで僕ごときがいびつな私見をご披露するのにためらう理由はない。
ドナルド・トランプの台頭を説明する背景は、僕にいわせればひとつしかない。
2009年に議会共和党がオバマ政権つぶしに利用したティーパーティーを、あっさりと見放したことだ。
党からハシゴをはずされた若手議員たちは国民の支持を失い、この8年間にオバマ - ヒラリーに対抗できるだけの政治資本を蓄えることができなかった。共和党支持者がそれを一番わかっている。だから彼らは、どうせ勝てない本戦でヒラリーにぶつける候補は誰でも同じだと思っているのだ。さらに8年のあいだ民主党に政権を譲るならば、せめて自分たちの鬱憤をより派手なかたちでぶちまけてくれる人物にマイクを握らせればいい。
これが共和党支持者のセンチメントだ。
何が起きたかについての説明を試みる。
オバマ政権がスタートしたのは、リーマン・ブラザーズが史上最高額の負債とともにこの世からバシュッと退場したわずか4ヶ月後のことであった。そこから先は転落する景気を下支えするために拡大する一方の政府支出や、CDSという腐れた泥をのみこんだAIGの救済、さらにそのうえ皆保険制度・オバマケアの導入など、ほとんどすべての政策テーマが金融、経済そして財政規律に集中していくことになる。
ここにおいて厚顔な議会共和党は、80年代以降の証券バブルを膨らませたのには自分たちに少なくとも半分の責任があるにもかかわらず、景気対策の手を縛ることでオバマ政権に対する政治的圧力を強めようとした。
バラク・オバマが政権を引き継ぐまでに米大統領を二期務めたジョージ・W・ブッシュは強硬なキリスト教保守派層を動員して、9.11テロ後の政権運営に利用したが、政権を失った共和党が2009年からこれに代わって利用したのが「ティーパーティー」と呼ばれる党内勢力であった。
「ティーパーティー」のPartyは、文字通り「パーティー」と「政党」の意味を兼ねたネーミングで、前者は世界史中のエポックであるボストン茶会(tea party)事件を引いている。植民地だったアメリカが、イギリスからの課税にブチ切れて紅茶をボストン湾にアボーンして独立戦争が始まったという、あのエピソードだ。
つまりティーパーティーとは、政府による課税の強化、すなわち政府支出の拡大(「大きな政府」)に反対する極端な保守勢力だ。政府はなるべく国民の生活に介入せず、経済社会は市場の手に委ねるべしというのがその、ほとんど唯一の政治的信条である。
共和党指導部にあおられたティーパーティーの議員たちは、政府による金融機関の救済や財政支出の拡大は増税を通じて国民の自由を奪うという子どもにもわかる理屈を旗印に、オバマ政権を締め上げた。法で定められた予算上限というロープ際に追い詰められたオバマ政権は、世界恐慌の際にありながら政府部門の一部閉鎖(シャットダウン)という憂き目をみるに至り、アメリカのみならず、世界経済は黙示録的な破綻の縁に立たされることになる。
このときアメリカ全土では恐ろしいペースで自己破産者が生まれていた。要するに彼らはローンで住宅を手に入れた人たちだから、破産は即ち住処を失うことを意味する。さりとて景気のどん底にあるアメリカのどこを探しても職などは見当たらず、世界の富の半分を有するこの国で、政府支出がそのまま人の生き死ににかかわる事態にあった。
そんなときにアラスカ州知事のサラ・ペイリンなんかが甲高い声で「自己責任がこの国の原則だ」と叫んでいた。金融機関など潰してしまえ、増税は許さない、財政規律を守れ、我々こそは独立以来のイズムを守るティーパーティーだと。
我々が神に感謝すべきことがひとつあるとすれば、それがどんな神であれ、アメリカ人にスプーン一杯の良識をお与えになるのを忘れなかったことだ。しかもアメリカのスプーンは(ティースプーンだが)やや大ぶりだから、幸いなことにこのとき、これが利いた。
ある種、ひとつの敗戦に匹敵するダメージを受けたアメリカは経済的な焦土と化した。そんなとき、ワシントンD.C.では共和党の強硬派が気弱な新米大統領をしめあげるパワーゲームをやっている。自分たちは未曾有の危機のなかで、新しい大統領を選んだばかりなのだ。ヤツに仕事をさせろ、話はそれからだとアメリカ国民が気づいたわけだ。
あまりにも非妥協的で政治プロセスを破壊した議会内ティーパーティーに手を焼きつつあった共和党のエスタブリッシュメントは、こうした世論の変化を感じ、手のひらを返したようにティーパーティーを切り捨てた。「あのガキどもは、やりすぎた」というわけだ。かくて政府を攻め立てる急先鋒だった若手の議員たちは、気がつけばしんがりにいて、国民の罵声を一身に浴びるはめになった。
こうして彼らとティーパーティーのムーブメントは時宜をわきまえない迷惑な存在として世間の関心の外へ追いやられ、わずかにオバマケアや移民問題といった各論において存在感を示すことができるにとどまることになる。
ビル・クリントン以来、アメリカのリーダーシップには若返りの風が吹いていた。
「オバマの8年」を経て、我こそは共和党の、そしてアメリカのニューリーダーだと勢いづいていたのが、いまトランプの両脇に立つ2名のキッズであり、とうにステージから去ったランド・ポールだ。
だがこのようなダイナミズムのなかで、彼らの政治センスは共和党支持者からでさえ強い疑いの目を向けられるようになり、民主党からヒラリー・クリントンが立つことが明らかになる頃には、共和党支持者は民主党の「さらなる8年」を自明のものと受け入れつつあったというのが僕の考えだ。
彼らはいわば、政権選択の機会を奪った議会共和党の拙劣な党運営と人材不足に憎悪を燃やし、誰かがせめて本戦で一暴れしてくれることを願っていた。これがトランプのアンチ・エスタブリッシュメント路線と軌を一にしたというわけだ。
息も絶え絶えにリーマンショック後の混乱を乗り越えてきた世界経済は、いままさに、最後の後始末という段階にかかっている。オバマ政権下で始まった中央銀行による大規模な金融緩和の潮流は先進国すべてにおよび、そのバランスシートはパンパンに膨れあがっている。人類はこれから、この空気を少しずつ、少しずつ抜いていかなければならない。あれから7年かかってやっと、我々は来た道を戻り始めたところなのだ。
冷戦終結後、規制緩和とテクノロジーの発展を両輪として拡大した世界経済のなかで、最大の受益者たるアメリカが果たすべき責任について共和党はまだ理解できていないというのがアメリカ国民が共有している認識だと僕はみている。世界でも例外的にプレッシャーと不安感に弱い国民性が、それを支えている。
だから、「こいつはいつ云うんだろうか」とみなさんがお考えの答えを云えば、いまはドナルド・トランプのようなアマチュアが、この国の舵を握るときではないと、多くのアメリカ国民はすでに心を決めている。共和党候補には勝てない大統領選だからこそ、トランプは指名を受けようとしているに過ぎない。
ドナルド・トランプが米大統領の座に就く確率は、正確にゼロだ。
このゲームはジョーカーではあがれない。
* * * * *
今日僕は、本当はこの動画について物を云いたかったのだが、いつものように大事なことは云えずに終わることになる。
CNNで流れはじめた反トランプキャンペーンのCMでは、いままでにトランプが公然と口にしてきた女性蔑視の発言を、女性たちが読み上げる。
「これがわたしたちの母親に、わたしたちに、わたしたちの娘について、ドナルド・トランプが云ってきたことです」
このCMがCNNで流れること、すなわち報道チャンネルが政治資金を受け取っていることと、日本でとやかくされている「報道の公平性」について、ここでは論じるつもりだったのだが、どうやらそれはかなわない。
小論文の下手なやつは、いつも大切なことを書き残したまま試験終了のベルを聞く。
ドゥ・ザ・ライト・シング。丸山議員の発言に触れて思うこと。
あまりにもブログを更新していないので、さすがにヤバいと考えてキャラクター外の記事を書く。
ボストン生活が好調だ。
東京から台北・那覇・大阪と出張を重ねたあげく、広島で最終の新幹線を逃して駅前のホテルに宿泊、翌日5時の始発で大阪のホテルを引き払い、さらに伊丹から羽田、羽田から成田、成田からシカゴで、ボストンという鬼の乗り継ぎを繰り返してたどり着いたわりに、次の日からは何事もなかったかのように一日三度の食事を作り、1時間10kmのジョギングをし、掃除して買い物して、仕事をすればここ数年なかったぐらいの高い集中力で仕事ができている。
ただブログだけが書けない。
1日30分の勉強タイムと、1時間の英書講読を優先しているからだ。
フミコフミオさんと違い、私は短時間でブログを書くことができない。残念だ。
自民党の丸山議員が自身の暴言を謝罪。
すばやい謝罪は評価できるが、何をどう謝っているのかが分からないのはいつもの日本の国会議員だ。
「信じられない」とか「文意自体に誤りはない」とか「そもそも事実誤認」だとか、いろんな切り口でのコメントがSNSにあふれている。
もちろん記事のなかにもあるように、バラク・オバマ大統領はケニア出身のエリートと米国人女性との間に生まれた子なので黒人奴隷とは何の関係もない。
だが、この問題の本質はそこではない。
丸山議員と、彼の発言に違和感をおぼえることのない人々の問題は、この世界の根本的な多様性を理解していないということにある。
こういう人たちは、均質な社会に生きているという幻想に慣れているため、米国社会が多様性を維持し、抱え込んでいくために、いまもどれほどの努力を払っているかということを理解できないのだ。
だが、米国において過剰に表現されている多様性こそが、人間社会の本質的な姿だと僕は思う。
まず「黒人」という表現が論点になる。
ひとが誰かのことを「黒人」だというとき、彼/彼女は、「自分はひとを肌の色で区別する人間だ」ということを明らかにしている。
もちろん人はいろいろなかたちで形容されることがある。
男だとか女だとか、ハゲだとか背が低いとか、いろいろなことをいわれるわけだが、しかし肌の色でひとを区別することは、まさに肌の色による熾烈な差別がおこなわれてきた米国の歴史に鑑みれば許されないことだ。
こういうことをいうと、
「男と女の区別はいいのに、なぜ白人/黒人の区別はいけないのか?肌の違いは科学的な事実ではないのか?」
というひとがいるのだが、ここで大切なのは科学ではなく、人類社会を統合しておくための倫理だ。
「政治的正しさ」というのは、もともとはそういうことをいう。
政治的正しさを擁護するひとびとは決してバカでも目が悪いのでもなく、社会に安定をもたらしているものは、しばしば目に見えないということを認めているだけだ。
日本の場合は、単一民族国家だとか、天皇が国民を統合しているとかいうよくわからないことを云って多様性を圧殺することで社会が成り立っているわけで、その精神的コストがしばしばラッシュ時に電車を止めたりしているわけだが、米国社会は人間は多様であって、自由であるという、この倫理・理念によって統合を維持している。
だから、オバマが大統領の座に就いたことの衝撃を、丸山議員がまさにそれを衝撃として受け止めたのであれば、彼は米国社会の成り立ちを正しく理解していることを示すためにも「非白人の大統領」または「ながらく差別を受けてきたアフリカ系アメリカ人の大統領」と表現することが必要だった。
差別する側であった白人がマイノリティ化していき、あるいはアフリカ系アメリカ人やヒスパニック、アジア系移民と混じり合っていくダイナミズムこそが、米国社会の驚くべき一端を示しているのは間違いないからだ。
それを「黒人奴隷の子孫が大統領になったのはすごいことだ」と表現すると、それはそのまま、丸山議員が米国の本当のすごさを理解もしていないし、大切にも思っていないということが明らかになってしまう。バカのシグナルがあがってしまうのだ。
次に「奴隷ですよ」という部分。
米国で奴隷解放宣言がなされたのは1862年で、65年には南北戦争が終結して名目上の奴隷制度が廃止された。
定義上、このときから米国には奴隷は存在しない。
だがその後1964年に公民権法が制定されるまで、実に100年のながきにわたり、アフリカ系アメリカ人はさまざまなかたちで差別の対象にされ続けたのだ。
当然のこと、彼らはすでに奴隷ではなかった。
なかにはそれこそバラク・オバマのように奴隷の子孫ですらないものもいた。
にもかかわらず、彼らはまさにその肌の色ゆえに差別され続けてきたのだ。
これは2016年のいま繰り広げられている米大統領選においてなお "Black Life Matters"(黒人の命を守れ)という強烈なメッセージが取りざたされるほどに深刻な、米国社会の抱える問題だ。
※なお"Black Life Matters"というスローガンはBlackという単語を含むが、これ自体アフリカ系アメリカ人にしか口にすることを許されない表現だ。
いまも米国の街角で、検挙にあたって謎の死を遂げたり、警官による違法な発砲によって殺害されるアフリカ系アメリカ人たちは、「奴隷の子孫」だから殺されるのかと考えてみれば、答えはノーだろう。
奴隷制度はすでにはるか過去のものとなり、公民権運動が多大な犠牲のもとにその成果を勝ち取ってから半世紀を経てなお、アフリカ系アメリカ人社会にとっては文字通り生命にかかわる問題であるこの差別を、「黒人 = 奴隷の子孫」というグロテスクな図式にあてはめて口にした丸山議員の、これは見識の問題だ。
アフリカ系アメリカ人は奴隷ではないし、奴隷の子孫だから差別されているのでもない。
もっといえば、仮に「科学的事実としては」奴隷の子孫がいたとしても、そのひとは、自身名前のある一個人であって、その人生は奴隷であった祖先とは何の関係もない。
それが、現代的な意味において人間が「自由である」ということだ。
しかし、それにもかかわらず肌の色をめぐる差別が根強く続き、社会のなかで構造化されてきた様は米国の恥部である。
そして同時にこれは、「差別は、何を理由にして、どのようにでも起こりうる。そして一度生まれた差別は容易に固定化し、多くの場合、ひとの命を奪うことすら正当化する」という人間社会の忌むべきひとつの側面を我々に示し、戒める教訓なのだ。
公民権運動を戦った「黒人」たちは、奴隷ではなかった。
彼らが奴隷の子孫であることすらもすでに問題ではなかった。
それでも彼らは「差別される者たち」だったのであって、彼らはただ「差別される者たち」として、その差別にあらがい、人間の醜い方の本性と戦ったのだ。
だから、「黒人はかつて奴隷だった」「その黒人が大統領になるのはすごいことだ」という表現は、たとえ論理として大きく間違っていなかったとしても、発言者が歴史を軽視する、人類愛に乏しい人物であることを明らかにしてあまりある。
これは端的にいえば、発言者の精神構造はうえに述べたような米国の歴史をまだ経験しておらず、自分の発言が、それ自体差別の尻尾を生やしていることに気づいていないということを意味している。
ましてやこういう人間が憲法審査会に出席するというのは、完全に間違いだというのが僕の考えだ。
なお、ここまで云っておいてなんだが、「こんな人物が日本の国会議員だなんて、世界に恥ずかしい」という方は、そこまで気にしなくてOKだ。
米国は世界でももっとも多様性を尊ぶ社会を有し、ゆえにそうした意味ではもっとも進歩的だが、それでも丸山議員と同じようなことを云うひとはいるし、大統領選にまで出ていたりもする。
また、同じ先進国でも欧州へ行けば、差別ではないにせよ階級社会が隠然と維持されていたりすると聞くから、そういった人からすれば丸山議員も「マナーがなってないな」というレベルで、特段おかしなことだと思われることもないだろう。それこそ奴隷制度とは関係なく、彼らは非白人を単に差別し続けているからだ。
だから、そうしたひとびとの目を気にしてどうこうするということではなく、日本にもより多様性に寛容で柔軟な社会を築いてみんな楽に生きるために、こういう議員の首はやはりすげ替えろというのが僕の結論だ。
HCMC RUN 2016反省会。
世界を憂うファッション系ブログにはふさわしくない話題になるが、「HCMC RUN 2016」(俗称:ホーチミンシティマラソン、ただし少なくとも今年までフルマラソンは設定されていない)を振り返る。
後述のとおり、蓋をあければ多くの日本人が参加していたわけだが、その割に事前の情報が少なくてドキドキしたため、どなたかのお役に立てばと思い、身を切る思いで、やる。
暑い
「気付けよ」と云われるのだろう。
暑かった。
「フルマラソン完走」を目標に掲げながら、当日まで一度も路上へ出たことのなかったインドア派、空調のきくジムのなかとはワケが違うことを思い知った。
特にホーチミンシティ、数年前なら12月から1月あたりはもう少し過ごしやすい気候だったと思うのだが、いまや普通の夏である。
主催者の発表では25℃から27℃になるということだった。要するに夏日だ。
スタートは6時の予定だったが、日の出を待ったのか15分ほど押した。
ちょうど曙光が差したあたりでのスタートになるが20分も経てば気温はぐんぐん上がるし、基本的に陽射しをさえぎる要素は何もないので、帽子、日焼け止めは必須だと思った。
あと、今回はむかしユニクロで買ったヱヴァンゲリヲンのTシャツを着て参加したのだが、通気性のよい、ちゃんとしたランニングウェアで走りたかった。こういう細かいところをちゃんとしないと、これ以上の距離は走れそうもない。
なお2016年の場合、5kmと10kmはお仕着せのシャツを着用することが求められており、21km(ハーフマラソン)の参加者は自由な服装で参加、Tシャツは完走後に配られるという仕組み。
運営はしっかりしている
初めて参加するのでほかと比べようがないのだが、ベトナムをご存じの方なら誰もが共有している「なんとなく、不安」な感じは当たらなかったので、運営はしっかりしていたのだと思う。
ウェブサイトはスマホにも対応しており、情報発信にも過不足がない。ベトナム語/英語の2言語対応だが、英語からして運営慣れが伝わってくる安心感があった。
当初ミドルネームを入力しないとエントリーが完了しないという仕様(「仕様です」)がみられたが、すぐに修正された(「仕様変更です」)。
また今回は前日にゼッケンをもらいにいかないといけないのを知らず、ギリギリセーフな感じだったが、運営は告知のメールをくれており、見ていない僕が悪いだけだった。
レース中、給水所も21kmで6箇所ぐらいは用意されていて、回数としては充分。
配られるのはLa Vieのボトルで、よく冷やされていて助かった。スポドリ的なものを受け取れるところも2箇所ぐらいあったと思う。
何より各給水所に充分な人数のボランティアがいて、このあたりはベトナムのいいところなわけだが、みんながとても一生懸命サポートしてくれているのがわかって嬉しかった。
コースの誘導と安全確保をやるマーシャルもあちこちに立っていて声援を送ってくれたりと、このあたりは文句のつけようのない体制。
ゴール地点のクールダウンエリアでは水とポカリスエットがエンドレスで配布されていたり、マッサージを受けられるブースがあったりバナナが食えたりと、いくらか忘れたけど、払ったエントリーフィーでは申し訳ないほどの至れり尽くせり。
前日のRace Kit Pickupとか、今回は利用しなかったけど手荷物を預かってもらうところとかも混乱はまったく見られず。
なにかと大変なベトナムで、ここまでしっかりやってくれた運営には感謝しないといけない。
コースがぐう畜
高級住宅街のなかを抜ける7区が会場ということもあり、道路は綺麗で走りやすかった。交通規制もちゃんとされていて、車線の少ない橋の上をのぞけば不便に感じることはない。
ただ10kmと21kmのコースに設定されているPhu My橋は想像以上にハードなポイントで、半分近くまで走ったときに、前方へせり上がる橋が見えてきたときには正直震えた。
Public-Private-Partnership formula fails to lure investors — Talk Vietnam
登りきったところが折り返し地点だから、登りはじめたときと降りてきたときでは人相が変わるぐらい削りきられていた。どんなコースにもアップダウンはあるんだろうけど、この橋を降りてきてからまだ7kmとかは、ちょっとNGだと思う。
雰囲気はゆるい
スタート地点では、欧米人を含め結構ガチな出で立ちのひとがいてビビったけど、実際には楽しみましょうという空気の強いイベントでよかった。
具体的には21kmにエントリーしてるのに3km地点ですでに歩いてる人とか、着ぐるみ・コスプレで21kmを走っている無数の日本人とかがいる、ファン・イベントという感じ。このあたりも、初めて走るにはちょうどよかったと思っている。
僕の反省1: 装備
前述のTシャツや、よくわからんKaepaのバッタモンとか前日に購ったキャップとかいう適当な装備は、今回でもうやめにする。
初めてでもちゃんと走り切れたので、次以降に向け、このあたりはちゃんとした、走るのに適したものを買う。
iPhone + Nikeアプリによるタイム/ペースコントロールは今回、本番で初めて使った(なぜなら、いつもはトレッドミルがやってくれるから)けど、すごくありがたいのでアームバンドかポーチも用意しよう。
あと、今回は途中までCNNを聴きながら走っていたのだが、トレッドミルでのワークアウトはまだしも本気で走ってるときにニュース聴くのは精神的に厳しいので、このあたりも考え直す。
僕の反省2: コンディション
マラソンはどうしても朝早くのスタートになるようなので、前日早く休めるように気をつけないといけない。
今回は結局、3時起床の予定に対して眠りに落ちたのが1時過ぎだったから、このへんが終盤体力的にかなり効いてきてた可能性がある。
それから当日の朝食。
胃腸が弱っているのがデフォなので、流動食的なもので済ませるのが吉と思っていたけど、土壇場で怖くなってラ王担々麺とかいう狙いのはっきりしないものを食ってしまった。おかげで5kmあたりから消化不良による胃もたれ・吐き気で辛い思いをした。
当日の朝は、やはり食べる。ただ、袋麺とかいう乱暴なものは避ける。
ところでゴール後に簡易トイレで吐いたら、なぜか洗面器のなかで金魚が死んでた。
このあたりの謎はベトナムっぽいと思った。
僕の反省3: 距離が足りない
通常のトレーニングは、「ウォームアップ10分、ジョグ50分、クールダウン5分」の65分で、クールダウンをのぞき8km。
これが全然足りてない。
トレッドミルでの「8km / h」(アメリカだと「5mile / h」)でトレーニングしていると、実際にロード(道路)へ出た際には12km / hで走れることが分かったので、ペースはとりあえず、これでいい。
今回は終盤に暑さと体力、アップダウンの問題でペースが大幅にダウンすることが分かっていたので、前半にこれぐらいのペースで距離を稼げたのはよかった。
しかしゴールした時点では完全にバテており、自覚症状として死の寸前だったのであり、タイム云々のまえに、現状でこれ以上長い距離を走ることは不可能だと判断している。
また、長距離になると歩いたり休んだりして体力を回復しながらゴールを目指すことが必要になってくるはずだが、トレーニングではずっと走り続けているので、止まるのが怖いというのが正直なところだ。
「休んで、また走り始める」ことに慣れるため、今後は「ウォームアップ10分、ジョグ50分、クールダウン5分、ジョグ30分、クールダウン5分」という100分コースを取り入れる。
(フルマラソン出場に向けて)切り替えていく。
僕の反省4: ランナーズ・ハイはこない
今回一番キツかったのが終盤、バテと吐き気を相手にしながら這うようにしてゴールを目指した最後の4kmだった。
だが、これは事前の想定ではフルマラソン経験者のGさんがいう「ランナーズ・ハイ」がやってきて、急に楽になってくるはずの区間であった。
「実際走るとランナーズ・ハイっていう、すげぇ楽になってくるタイミングがあるんで、ハーフマラソンなんかは気合いで余裕っすよ」という口調でお気づきかと思うが、Gさんもまたウェブ広告業界出身の浅薄な人間だ。
どうして信じてしまったのだろう。いまかいまかと思いながら待っていたが、結局楽になるタイミングなんかなく、スタートからゴールまで、ずーっとしんどくなっていく一方だった。
理屈でいうとランナーズ・ハイというのは、体力が限界に達したときに無意識のリミッターがはずれて、普段は使わないようセーブされている邪気眼みたいな力が解放されるということらしいのだが、どうやらその「普段は使われないようセーブされている」力というのが、僕にはないらしい。
みんなが八割の力で生きている世界を、僕だけ十割で生きているのだろう。悲しい。
歳のせいかもしれないが、歳のせいにして新しいことに手を出さないのでは、あまりにも残念ということで始めたジョギングが今回こうしてハーフマラソン完走という結果に繋がったわけなので、今後も地道にトレーニングを積み、健康とやりがいの両方を手に入れていこうと思う。
【後編】Mike Hearnのビットコインお別れブログを邦訳してみる。
思いがけずシェアしていただいて、ブクマがついたことに勢いづいて、後半まで訳し終わった。
事実関係については明るくありませんので評価を控えますが、なかなかショッキングなコミュニティ内部の分裂の模様が報告されています。
最後のパラグラフに込められたMike Hearnの思いと希望の言葉には、ただ精神的に感動。
前編は以下のエントリーで公開しています。
ご注意というか拙訳の云い訳なども挙げてあるので、お読みいただいていない方は、どうぞご一読くださいませ。
以下、承前。
原文は以下のエントリー:Mike Hearn「The resolution of the Bitcoin experiment - medium」
Maxwellにいわせれば、ビットコインが拡大することによる分散化にまつわる問題は、いずれにせよ解決しない。「ネットワーク上のトランザクションに関していえば、規模と分散化はそもそもトレードオフの関係にあるんだ」
問題は、と彼はいう。ビットコイン取引の量が拡大するにつれて、大規模な企業しかノードを運営できなくなるということなんだ。どうしてもコストがかかるからね。
ビットコインの運命は決している、なぜならユーザーが増えるほど分散化ができなくなるからだという、この考え方は非常に問題だ。なぜならば、一連の熱狂ぶりにもかかわらず、実際の利用はまだまだ進まず、成長はゆっくりしたものである一方、技術は時と共によくなっているからだ。Gavinと僕は多くの時間をかけて、こうした信念を誤りだと指摘してきた。こんな風に考えていると、やがて自明だがおかしな結論にたどり着くことなるのだ。それは即ち、分散化がビットコインの利点であるにもかかわらず、成長が分散化を脅かすならば、「ビットコインは成長しない方がいい」というものだ。
だがMaxwellはこう結論づけていた。ビットコインは、まだ開発されていない、非ブロックチェーンシステムシステムのための決済レイヤーを担っていくべきだと。
デス・スパイラルの始まり
会社において、組織の目標を共有しようとしない人をどうすればよいかは簡単だ。クビにすればいい。
だがBitcoin Coreはオープンソースプロジェクトであって、会社ではない。選ばれた5人の開発者がコードをコミットする権限をもち、Gavinがリーダーをやらないと決めた以上は、誰かを辞めさせることは手続き上できない。それに、彼らが本当にプロジェクトのゴールに納得しているかどうかを確認するための面接やスクリーニングも行われないわけだ。
ビットコインがより知られるようになり、トラフィックが1MBの上限に近付くにつれて、開発者の間ではブロックサイズの上限の話題がたまに持ち上がるようになった。だが、この話題は感情的な批難にさらされるようになったんだ。その理由というのは、上限の引き上げは危険過ぎるとか、分散化に反するとか、そういったようなことだ。小さなグループはどこもそうだが、みんな争い事は望まないもんだ。だからその話はいつも棚上げされることになった。
ことをよりややこしくしたのは、Maxwellが会社を設立し、ほかの数名の開発者(訳注:コミッターのことだと思われる)を雇ったことだった。当然のことながら、これらの開発者は新しいボスの見方にならうようになった。
ソフトウェアのアップグレードをまとめげるのには時間がかかる。だから2015年の5月に、Gavinはこの問題に取り組み、片を付けると決めた。まだ8ヶ月の余裕があるうちにだ。彼は(ブロックサイズの)上限引き上げに反対する記事を一本ずつ順次リリースし始めた。
(訳注:「反対する記事」は訳が悪いかもしれません。
ソースのリンク先エントリーからは、漸進的な上限引き上げに向かうような議論が読み取れます。
このあたり、Gavinの立場と当時の流れをご存じの方がいらっしゃいましたらご教示ください)
だが、Bitcoin Coreの開発者達の意見が噛み合う望みがないことはすぐにわかった。Maxwellと彼が雇った開発者たちは、上限の話なんかはまずまったく考えたくもないということだった。その件については話すのも嫌だというぐらいだ。「コンセンサス」がないうちは、一切の行動を起こすべきではないと彼らは主張した。そして意見を表明するべき開発者たちは、もめ事が起こるのを怖れるあまり、どちらか一方が「勝つ」ような論争にはタッチしないことを決め、巻き込まれるのを拒むばかりだった。
このように、取引所、ユーザー、ウォレット・デベロッパ、採掘者のみんなが上限引き上げを期待して、引き上げがおこなわれるであろうという前提でビジネスを築き上げているにもかかわらず、5人の開発者のうち3人が上限について触れることを拒んだわけだ。
どんづまりだ。
だが、その間も時計は時を刻んでいる。
XTユーザーへの大規模なDDoS攻撃
ニュースが遮断されてしまっていたにもかかわらず、Bitcoin XTがリリースされてから数日のうちに15%ほどのノードがこれを採用した。そして少なくともひとつのマイニング・プールが採掘者に対してBIP101投票を提供し始めていたんだ。
DoS攻撃が始まったのはそのときだった。攻撃はきわめて大規模で、一部の地域がインターネットへ接続できなくなってしまうほどだった。
「DDoS攻撃をくらった。大規模なDDoSで、こちらの(ローカルの)ISPが丸ごとダウンしてしまった。この犯罪者どものおかげで、この夏、5つの町の住民が数時間にわたってインターネットを使えなくなったんだ。これでノードをホスティングしようという気が完全に失せてしまったよ」
また別のケースでは、たった一個のXTノードを止めるために、データセンター丸ごとのネット接続が落とされたこともあった。XTノードの三分の一は、こうした攻撃を受け、インターネットから遮断されてしまうことになった。
もっとひどいのは、BIP101を提供していたマイニング・プールが攻撃を受けて停止してしまったことだ。メッセージは明確だった。ブロックサイズの引き上げを支持するもの、あるいは「他の人々に投票を促した」だけのものも、すべてが攻撃を受けるのだ。
攻撃者はまだ機会を狙っている。リリースの一ヶ月後、ついにCoreに対して我慢できなくなったCoinbaseがXTを採用すると発表したとき、彼らもまたネットに接続できない状況に追い込まれた。
見せかけの会議
Dos攻撃や検閲にもかかわらずXTは勢いを得つつあった。このことに怖れをなしたCoreの開発者たちは「Scaling Bitcoin」という名で一連の会議を催すことを決めた。8月と、それから12月にだ。会議の目的は、と彼らは発表した。何をなすべきかについての「コンセンサス」を得ることだと。専門家による「コンセンサス」が嫌いなひとはいない。そうだろう?
上限について話そうともしない人達が、会議に出たからといって心変わりするはずがないことは明らかだった。しかも冬の上昇期に入ればネットワークをアップグレードするのに残された時間は数ヶ月しかないというのにだ。その期間を、会議を待ちながら無駄に過ごすことはネットワーク全体を不安定化するリスクを冒すことになる。最初の会議が具体的な提案について「議論することを事実上禁じた」こともある。
それが、僕が会議に参加しなかった理由だ。
残念ながら、会議のとった戦術は破壊的に効果があった。コミュニティは完全にだまされたんだ。採掘者やスタートアップにXTの採用を拒む理由について話すとき、みんなが「Coreが12月に上限を引き上げてくれるのを待ってるのさ」というようになった。コミュニティが分裂していると知れてビットコインの価格が下がり、彼ら自身の稼ぎが減ることを怖れて、メディアに記事が載ることをみなが怖れていたんだ。
さて、このあいだの会議が終わったにもかかわらず、上限引き上げについてはノープランだということにより、いくつかの会社(CoinbaseやBTCCだ)はダマされていたことに気づいた。だが遅すぎる。コミュニティが時間を潰していたあいだも、毎日250,000の自然増がトランザクションには加わっていたからだ。
ロードマップなきロードマップ(a non-roadmap)
Jeff GarzikとGavin Andresenは5人のBitcoin Coreコミッターのうちの2人で、ブロックサイズ引き上げに賛成してきた(2人は最も古参でもある)が、コミュニティにおける輝かしい評価を受けている人物でもある。彼らは最近共同で記事を発表した。その名は“Bitcoin is Being Hot-Wired for Settlement”だ。
JeffとGavinは普段、僕よりも物腰が柔らかい。僕はむしろ「思ったままに口に出す」タイプで、Gavinにいわせると「まやかしを認めない」というわけだ。だから、彼らが共同で発表したレターの強い口調はめずらしいものだ。まったく手加減なしなんだ。
「ビットコイン・コミュニティで提案され、現在も議論されているロードマップは、より多くのトランザクションに対応しようという点ではよい。
だがビットコインユーザーに対してはっきりものをいわないうえ、重要な欠点について明らかにしていない。
コア・ブロックサイズは変更されないことになっている。従来、この点については一切の妥協がみられない。
よりよい、透明で開かれたオープンソースの世界であれば、BIPが生み出されたことであろうが・・・実際にはそうはならなかった。
Scaling Bitcoinワークショップの大切な目的は、混沌としたブロックサイズ議論を通常の意思決定プロセスに収斂させることだったが、そうはならなかった。いまになって思えば、Scaling Bitcoinはブロックサイズにまつわる決定を行き詰まらせてしまったのだ。トランザクションフィーの価格やブロックスペースにかかる負荷はいまも増加し続けているのに、だ」
彼らのいう「はっきりものをいわない」というのは、日に日にありふれたことになっていく。たとえばGavinとJeffが指している“Scaling Bitcoin”会議で発表されたプランはたいして効果的なものでもない。計数上のトリックを使って、わずか60%ほどキャパシティを増加させているだけだ(それぞれのトランザクションから何メガバイトかずつ差し引いて計算している)。そしてそのプランはほとんどすべてのビットコイン関連ソフトウェアに膨大なアップデートを必要とする。ただ単に上限を引き上げればいいのに、そのプランでは信じられないほど複雑なことを、長ければ何ヶ月も、そして膨大なコーディネートの労力をかけて実現しようとしているんだ。
決済フィーによる解決
ネットワークの混雑を解消するために手数料の仕組みを使うことにはひとつ問題がある。承認待ち行列の先頭にならぶために必要なフィーが、支払いを終えた後で変動するかもしれないことだ。Bitcoin Coreがこの問題に対してとった対策には目を見張るものがある。ユーザーが支払いを終えたあと、ブロックチェーンに収まるまでの間に決済額が変更されてもよいというマークを付けられるようにしたんだ。これはフィーにあわせて支払い額をあとから変更できるようにということだったが、結果的にユーザーは、支払いを取り消すことが可能になってしまった。
これにより、あっという間にビットコインは実店舗での支払いに使えなくなってしまった。だって店舗は客のトランザクションがブロックチェーンに収まるまで待たないといけないんだから・・・それも今後は混雑のせいで数分というより数時間かかるかもしれないんだ。
Coreがこれを問題ないとしている理由は以下の通り。本来は、いままでだって新たなブロックができるまで待たなければならなかったはずだろう、だってビットコインがニセモノだったら決済が失敗するリスクがあったんだから。つまり、決済の完了ははじめから100%確実ではなかったんだと。
これはつまり、Coreがこの仕様変更はゼロコストだと考えているということで、つまり彼らはリスクマネジメントの観点を持っていないわけだ。
このプロトコル変更は、Coreの次のバージョン(0.12)としてリリースされ、採掘者たちがアップグレードした時点から有効になる。ビットコイン・コミュニティからは大変な批難を浴びたけど、Bitcoin Coreに残っている開発者たちは、他のひとのいうことなんて気にしない。だからこの仕様変更はおこなわれるだろう。
これを聞いてもビットコインが深刻な問題を抱えていることがわからないなら、ずっとわからないだろう。リアル店舗で使えないなら、誰がビットコインに何百ドルもの値段をつけるっていうんだ?
結論
ビットコインはすでにかつてない危険海域にある。過去の危機は、たとえばマウントゴックスの破綻のように、ビットコイン生態系の周辺にからむサービスや企業に関するものだった。でも今回のは違う。これはコア・システム、ブロックチェーンそのものに迫る危機なんだ。
より原理的には、今回の危機は、世界がひとびとの目にどのように映るかについての深い、哲学的な食い違いにまつわるものだといえる。「専門家のコンセンサス」がすべてを決するべきだと考える人々と、とにかく自分たちで納得できる原則でいこうという普通の人々だ。
Bitcoin Coreを開発する新しいチームが誕生したとしても、Great Firewallのうしろに集中しているマイニング・パワーの問題は残るだろう。10名にも満たない人々にコントロールされている限り、ビットコインに未来はない。そしていまのところ、この問題に解決は見当たらない。アイデアのある人すらいない。ブロックチェーンのことに頭を悩ませてきたコミュニティに代わって、抑圧的な支配が進んでいるからだ。実に皮肉なことだ。
だが、まだすべてが失われたと決まったわけじゃない。こうしたことが起こったにもかかわらず、過去数週間の間に、コミュニティのメンバーたちが僕のやりかけた仕事にふたたび取りかかり始めている。Coreに代わるものをつくるのは重罪だと見なされたにもかかわらず、いままたふたつのforksが注目を競っている(Bitcoin ClassicとBitcoin Unlimitedだ)。いまのところ、これらはXTが直面したのと同じ問題にぶつかっているが、新たな顔ぶれが道を切り開くということもありうるだろう。
ビットコインの世界では多くの、才能にめぐまれた、精力的な人々が働いている。過去5年間に、こうした多くの人々と知り合えたのは大変なよろこびだ。彼らの起業家精神や、マネーの未来、政治・経済についての新たな展望に触れることができたのは素晴らしかった。たとえすべてが駄目になったとしても、ビットコインのプロジェクトにかかわった時間を惜しいとは思わない。今朝起きると、みんなが僕に検閲外のフォーラムでうまくやっていくことを祈ってくれたり、残るようにいってくれたりしていた。残念だけど、僕はもう新しいことへ向かって動き始めている。みんなにはこういいたい。Good luck, stay strong, and I wish you the best.
(原文、ここまで)
ビットコインはどのようにして動いているのか? ビザンチン将軍問題、ハッシュ関数、ブロックチェーン、PoWプロトコル
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