新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

【前編】Mike Hearnのビットコインお別れブログを邦訳してみる。

私のオビ=ワン・ケノービこと大石哲之さんがTwitterでシェアしていたMike Hearnのビットコインお別れブログ。

ちょうど弊社内ではビットコイン勉強会を開催中だったので、ホットなトピックも追いかけようと要約を作っているうち、これ全部邦訳した方が早いんじゃないかという気になってきたので取りかかる。

大石さんも云っているが、このエントリーがやたら長い。

半分ぐらいまで訳したところで「従兄弟が結婚することになり、結納がある」と親から報せが入った。

「えーまじ結納!?キモーイ!キャハハハハハ!結納が許されるのは昭和までだよねー!!」という画像を作ろうと思ってジェネレータを探していたら、なんかウイルスに感染したぽい表示が出た。

Chrome上の表示だから、ははーん、ここからひっかけて何か流し込もうという手口だなと思いつつも、念のためNortonのフィルタをチェックすると、ほんとに何かひっかかってる。

というわけで急遽PCを全スキャン、パフォーマンスがた落ちで続きを翻訳するのは難しくなったので、できたとこまでとりあえず載せておきます。

最後になったけど、従兄弟、結婚おめでとう。

 

以下、おことわり。

  1. 素人が社内向けに翻訳していますので、内容を保証することはできません。正しい情報が必要な方はソースをどうぞ。
  2. 内容についての評価・考察は、今回は意図していません。何か知りたい人は大石さんに相談すると返事があるかもしれないし、ないかも知れない。
    大石さんのビットコインブログはこちら。パダワンにも分かりやすく説明されてます。

  3. いずれにせよ、このエントリーはMike Hearnさんがビットコインプロジェクトから離れるにあたっての「このたび株式会社〇〇を退職いたしました」的エントリーなので、「ビットコインはすでに失敗が運命づけられている」というのは、彼の個人的な感想だということは心に留めておく必要があるでしょう。
    まあ、「DeNAは終わった」というブログを書いて辞めていくひとはあまりいないと思うので、そのへんはたしかにアレです。
  4. 「勝手に訳出・転載してんじゃねぇよ、ハゲ!」という声があった場合、「ハゲ!」の部分には強く抗議しますが、前段には応じ、掲載をとりやめます。
    その場合にはあとから出す予定の要約版を残すかも。

     

以下、途中まで翻訳。

*     *     *     *     *

Mike Hearn

The resolution of the Bitcoin experiment

https://medium.com/@octskyward/the-resolution-of-the-bitcoin-experiment-dabb30201f7#.oukji2law

 

Mike Hearn

ビットコインという実験の結論

 

僕は5年のあいだ、ビットコインの開発者を務めてきた。何百万人のユーザーや、何百という開発者が僕の書いたプログラムを使っているし、いくつか僕の議論からそのまま生まれたスタートアップも存在する。Sky TVBBC Newsビットコインについて話したりもした。Economist誌は僕をビットコインの専門家であり特筆すべき開発者だと何度も紹介している。僕はSECや銀行家達に、また一般のひとびとにはカフェで、ビットコインについて説明してきた。

 

初めから僕は同じことをいっている。「ビットコインとは実験であり、実験は失敗することもある。だからなくなってもいいと思える以上に投資してはいけない」。僕はこれをインタビューでも会議の席上でも、メールのやりとりでもいってきた。これはGavin AndresenJeff Garzikといった、ほかの有名な開発者も同じだ。

 

このように、ビットコインは失敗するかもしれないと思ってきたにもかかわらず、いよいよビットコインは失敗「した」と結論せざるをえない状況にはとても悲しく思う。基本的な条件がゆがんでしまっているし、短期的にも長期的にも、コイン価格は下落傾向をたどることになるだろう。僕はこれ以上ビットコインの開発にはかかわらないし、自分のビットコインもすべて売却してしまった。

 

ビットコインはなぜ失敗したのか?

ビットコインが失敗したのは、ビットコイン・コミュニティがうまくいかなかったからだ。

ビットコインは「中心的な組織」も「大きすぎて潰せない問題」もない新たな、分散型のマネーになるはずだった。だが実際にできあがったのは、それより悪いもの、つまり「一部の人々によって完全にコントロールされている仕組み」だ。もっといえば、ビットコイン・ネットワークは技術的に崩壊する瀬戸際にいる。これを防ぐはずだったメカニズムはうまく動かず、結果としてビットコインが従来の金融システムより優れたものになるという望みは絶たれてしまった。

 

考えてみてほしい。もしきみがビットコインのことを知らなかったとして、こんな決済ネットワークに興味をもつだろうか?

 

  • いまあるお金を動かすことができない
  • 手数料は高く、かつ急激に上昇し、予想がつかない
  • 客は店を出ていったあと、ワンボタンで支払いをキャンセルできる(きみはこの「特徴」に気づいていないかもしれないが、ビットコインはそういう風に改修されたんだ)
  • 巨大な履歴データとflaky paymentsに悩みを抱えている
  • 中国にコントロールされている
  • 取り巻く会社や人々が公然と揉めている

 

答えはノーだといっていいだろう。

 

ブロックの限界(Deadlock

ビットコインの現状をよくわかっていない人のために、20161月現在のビットコイン・ネットワークの状況を紹介しよう。

 

ブロックチェーンは満杯(full)だ。ブロックチェーンの本質は連続したファイルだから、「満杯」になるなんてことはありえないと思うかもしれない。それはこういうことだ。ずいぶん昔に、1ブロックあたり1ガバイトという容量制限が、急場しのぎの仕様として盛りこまれていて、いまも残っている。その結果、ネットワークの容量がほとんど限界に達しているということだ。

 

ブロックサイズのグラフは以下の通りだ。

【図】

 

7月に最高値を記録したのは、「ストレステスト」と称して何者かがDoS攻撃を仕掛け、ネットワークに大量のトランザクションを流してシステムを破壊しようとしたことによるものだ。だからこの700キロバイトトランザクション(いいかえれば1秒あたり3回の決済)あたりがビットコインの限界なんだろう。

 

注:

これでは限界は1秒あたり7回の決済だと思う人もいるかもしれない。それは2011年頃の古い数字によるもので、現在のビットコイントランザクションはもっと複雑になっているから、実際の数字はもっと小さくなるんだ。

 

理論上は1,000のはずなのに、実際には700キロバイトが限界になっている理由は、採掘者が、必要とされているより小さなサイズのブロックや、場合によっては空っぽのブロックを作るからだ。たくさんのトランザクションがまだ承認を待っているというのにね。これをもっともよく引き起こすのは、中国のGreat Firewallと呼ばれる検閲システムの起こす干渉だと見られている。これについてはすぐあとで詳しく。

 

より詳しくみると、2015年の夏の終わり頃からトラフィックが増加してきたことがわかる。ビットコインの成長に季節変動があることは、僕が3月に書いた。

 

以下は、週ごとにみたブロックサイズの平均値だ。

【図】

 

平均値が限界に近付いていることがわかるだろう。それも不思議はない。ビットコイントランザクション負荷についていけず、ほとんどすべてのブロックが最大値に達して、それでもまだたくさんのトランザクションが承認を待っているということがよくあるんだ。サイズの列をみてほしい(訳者注:“the 750kb blocks come from miners that haven’t properly adjusted their software” を翻訳できず

【図】

 

ネットワークが限界に達すると、信頼性は大きく損なわれる。だからオンライン攻撃をかけるときは、単に標的に向かって大量のトラフィックを流すだけでいいんだ。もちろんクリスマス前には決済不全が多くなるし、集中する時間帯に遅れが生じるのは当たり前になってきている。

 

ProHashingが投稿したニュースを引用しよう。ビットコインを使ったビジネスについてだ。

 

「今日、何人かの顧客からクリスに問い合わせがあった。なぜビットコインによる支払いが反映されないのかと・・・

 

 問題は、いまやビットコインのネットワークを使っている限り、いつ支払いが完了するかとか、そもそも完了するのかといったことがわからなくなっているということだ。ネットワークの混雑はあまりにひどく、ほんの少し取引が増えただけで状況は劇的に悪化してしまうのだ。60分後か14時間後かわからないなんて状況に、我慢できるだろうか?

 redditビットコインは危機的状況になんかないと書いている人がいるのはバカバカしい話だ。昨日は私が問題をおおげさにしていると批難された。こういうひとたちは果たして、本当に毎日ビットコインで送金をしているのだろうか?」

 

ProHashingはクリスマスと新年の間にもまた危機的な状況を経験した。このときは、取引所からビットコインを送るのが遅延した。

 

ビットコインはこういう状況に際して、手数料を自動的に引き上げることで取引をおこなう人を減らすようできている。ところがこの仕組みはうまく機能しているとはいいがたく、むしろビットコイン・ネットワークを利用する手数料の方が急激に跳ね上がっている。今は昔、ビットコインは強烈な優位性をもっていた。それは手数料が低く、ときにはかからないということだ。だけどいまはクレジットカードの手数料以上のフィーを採掘者に支払うこともめずらしくなくなっている。

 

なぜネットワークの限界は引き上げられなかったのか?

中国の採掘者によってブロックチェーンが支配されているからだ。たった「2人」の採掘者がハッシュパワー全体の50%を担っている。最近の会議でステージにあがった数人が、95%以上のハッシュパワーをもっているんだ。そして彼らがブロックチェーンの発展を望んでいないというわけだ。

 

どうして彼らはブロックチェーンの発展を望まないの?

理由はいくつかある。ひとつは、彼らが使っている「Bitocoin Core」ソフトウェアのデベロッパたちが必要な仕様変更に応じようとしないからだ。もうひとつの理由は彼らがほかのソフトウェアに乗り換えようとしないことにある。採掘者たちは、ソフトウェアの乗り換えを「裏切り」だと感じているようで、自分たちが仲違いをしているという情報が流れ、投資家達がパニックに陥るのを怖れているみたいだ。その代わりに、彼らはただ問題に気づかないふりをして、なんとかなるよう祈っているだけなんだ。

 

そして最後の理由は、中国のインターネットが政府のファイアーウォールによって機能不全に陥っており、国境を越えて通信することすらあまりうまくいかないし、しばしばモバイル通信よりも遅いということにある。ある国全体が、しょぼいホテルのWi-Fiで世界と繋がっているところを想像すれば分かるだろう。さあ、いま中国にいる採掘者がインターネットに接続して1ブロックあたり25BTC11,000USD)の報酬をもらおうとする。けれどもビットコインのネットワークがより一般的になるにつれ、彼らが活躍することは難しくなっていくだろう。こうしたことから、中国の採掘者には「ビットコインが普及するのを止める」という、いびつなインセンティブが働くわけだ。

 

多くのビットコイン・ユーザーや、その周辺は最近まで、こうした問題はおのずと解決するだろうと考えており、ブロックチェーンのサイズ上限は当然引き上げられるものと思っていた。だって結局のところ、ビットコイン・コミュニティ・・・ブロックチェーンを金融の未来だと擁護してきたコミュニティ・・・が、うまれたてのブロックチェーンを自らの手で絞め殺そうとするなどということがありうるだろうか?だが、それこそが実際に起こっていることなんだ。

 

内輪もめの結果、Coinbaseー米国でもっとも大きく、有名なビットコイン・スタートアップーは、「間違った方に味方した」としてビットコインのオフィシャルウェブサイトから名前を削除され、コミュニティ・フォーラムから追放されてしまった。何百人ものユーザーにビットコインを紹介してきた人々をコミュニティが意地悪く叩いたら、大変なことになるのは目に見えている。

 

何がなんだかわからない

そんなことは初耳だというのは、きみだけじゃない。2015年を通して起こったことのなかで最大きな問題は、投資家やユーザーに対する情報の流れがストップしてしまったことなんだ。

 

透明で開かれたコミュニティだったビットコインは、たった8ヶ月の間に、厳しい検閲とbitcoiner同士の争いに支配されるようになってしまった。この変化は僕がいままでにみたなかでも最も醜悪で、だから僕はもうビットコイン・コミュニティに関係しようとは思わなくなった。

 

ビットコインはいい投資商品とはいえないし、だから常に以下のように宣伝されてきたのは正しかった。「実験的な通貨であって、なくなってもいいと思える以上に買ってはいけない」。これは分かりにくいけれども、僕はあまり心配してこなかった。なぜなら投資家にとって必要な情報はどこにでもあるし、個人事業者による本や会議、動画やウェブサイトが理解を助けてくれたからだ。

 

いまはそうじゃない。

 

ビットコインを持っている人の多くは、大手のメディアから情報を得ている。大手メディアが何かを報じるたびにビットコインの価格は跳ね上がり、それがまたニュースになって価格を押し上げるというバブルが生じている。

 

ビットコインに関するニュースが新聞や雑誌に載るまでのプロセスは簡単だ。

ニュースはまずコミュニティ・フォーラムから始まって、より専門的なコミュニティから、テック系ニュースサイトに取り上げられる。それに目を留めた一般メディアの記者たちが、自分なりのアレンジを加えて記事を書くというわけだ。僕はこれを何度も何度も見てきたし、記者達と記事について議論することもしばしばだった。

 

2015年の夏に大変な不始末があって、P2PネットワークのプログラムをメンテナンスしているBitcoin Coreプロジェクトがブロックサイズの上限を引き上げるためのバージョンをリリースできないことがわかった。理由は複雑で、のちに詳しくのべる。でもコミュニティが、引き続き増加するユーザーに対応しなければならないことは明らかだった。そこで古くからいる開発者(僕自身をふくむ)は協力して、上限を引き上げるためのコードを開発したんだ。このコードはBIP101といって、修正バージョンがBitcoinXTとしてリリースされた。BitcoinXTを導入することで、採掘者たちは上限引き上げに賛成票を投じることになるんだ。75%以上のブロックが引き上げに賛成となったら新しいルールが採用となり、より大きなブロックが認められるようになるはずだった。

 

なぜか数人の人間が、BitcoinXTがリリースされたことに対して極めて感情的な反応を示した。そのひとりは、bitcoin.orgのサイトと上位のディスカッション・フォーラムを運営しているやつだ。それまで彼の運営するフォーラムでは、言論の自由の見地から、犯罪行為についてのディスカッションすら許されることがよくあったんだ。でもXTがリリースされたときには彼は驚くべき決定をした。XTは、と彼は主張した。「デベロッパのコンセンサスを得ていない」から、ビットコインとはいえないと。投票は忌まわしい行為だと彼はいった。なぜなら、

 

「民主主義的でないことこそ、ビットコインの最大の美点だからだ」

 

そして彼はXTを完全に抹殺するためにあらゆる手を尽くすことを決め、ビットコインに関する主要なコミュニケーション手段を検閲し始めた。つまり、彼が運営するフォーラム上で「Bitcoin XT」に触れたポストは削除され、XTの話もできなければ、bitcoin.orgの公式サイトからはXTへのリンクも張れなくなった。検閲されていない他のフォーラムへ誰かを誘導しようとした人はbanされた。膨大な数のユーザーがフォーラムから追放され、自分の意見を表明することができなくなったんだ。

 

これがみんなを怒らせたのはご想像の通りだ。どれぐらいのものかはこちらのコメントを読んでほしい。

 

なんとかして、新しい検閲のないフォーラムへたどりついた人もいる。読むだけで悲しくなってくる。何ヶ月もの間、そこでは検閲に対する怒りの声や、検閲を打ち負かそうという誓いの声が毎日みられた。

 

だが、XTや検閲そのものについてのニュースをユーザーに届けられないことは、やっかいな効果をもたらした。

 

はじめのうち、投資家達は何が起きているのかについてはっきり分からなかった。異議を唱える声はシステムによって抑えられてしまっていたからだ。Bitcoin Coreがやっていることに対する技術的な批判は禁止され、その代わり、ごまかすためによくわからないことがバラ撒かれていた。熱狂が渦巻くなかで、多くの人が自然にビットコインを買いながらも、ビットコインのシステムが技術的な限界にぶつかることを知らないのは明らかだった。

 

これは僕にとって大変なことだった。政府は何年にもわたり、証券や投資商品に関する膨大な数の法律を作ってきた。ビットコインは有価証券ではないので、こうした法律は適用されないだろう。しかし法律の「精神」はわかっている。「投資家が充分な情報をもっているのを確認すること」。だいたいにおいて、投資家たちが損失を出したら、政府が注目することになる。

 

Bitcoin Coreは、なぜ上限を維持しているの?

人間関係の問題だ。

 

Satoshiはいなくなるときに、Bitcoin Coreと呼ばれるプログラムの制御を、初期から貢献していたGavin Andresenに委ねた。Gavinは信頼に足る、経験豊かなリーダーで、将来を見渡すことができる人物だった。彼の技術に対する目利きが安心できるものだったからこそ、僕はGoogle8年近く働いた)を辞め、フルタイムでBitcoinに携わっても大丈夫だと思ったんだといってもいい。ひとつだけ、小さな問題があった。SatoshiはGavinに、その役目を引き受けたいかとは訊かなかったんだ。本当のところ、Gavinにはそのつもりがなかった。だからGavinが最初にやったのは、自分と同じコードへのアクセス権を、4人の開発者に対して与えることだった。この開発者たちは迅速に選ばれた。Gavinになにかあってもプロジェクトが滞ることのないようにだ。だから基本的に、この4人というのは、その辺にいる、使えそうな人たちだった。

 

そのうちのひとり、Gregory Maxwellは、変わったものの考え方をした。彼はかつてビットコインは成立し得ないことを数学的に証明したと主張したことがある。もっとまずいことに、彼はSatoshiのオリジナルバージョンに信用をおかなかったんだ。

 

はじめにプロジェクトが公表されたとき、ブロックチェーンはどれぐらいの数の決済にまで対応できるかとSatoshiは質問を受けた。このアイデアが実現したら、ダウンロードしなければならないデータの量はとんでもないものになっていくだろう?これはビットコインの起ち上げ期において、とてもよくあった批判で、サトシには充分備えがあった。彼はこういったものだ。

 

「帯域を使用するのは、それほど高くつかないかもしれませんよ・・・ネットワークが(VISAほどに大きく)なるまでに数年はかかるでしょう。そしてその頃までには、2本のHD動画(と同じ規模のファイル)をインターネット経由で送ることも、それほど大変ではなくなっているかもしれません」

 

いっていることは簡単だ。従来の決済ネットワークが扱っている規模と、ビットコインがそれに代わったときに必要になる規模を比べてみてくれ、そしてそんな成長は、一夜にしては起こらないと指摘しているだけだ。未来のネットワークとコンピュータは現在のものよりも優れているはずだ。だから、単に帯域の問題に限らずとも、ビットコインのネットワークが「頭打ちになることはあり得ない」ということが簡単な計算で分かるんだと彼は僕にいった。

(後編へ続く)

 

総統閣下は当時、凋落の途上にあったようです。

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ヒトラーは、どのようにして政権を手に入れたかについての典型的な誤りは、「熱狂的な大衆に支持され、普通選挙で勝利した」というものだ。

以下のエピソードが世界的に問題化したことも記憶に新しい。

二〇一三年七月、麻生太郎元首相が、ヒトラーは一九三三年一月に「選挙で選ばれた」結果首相になった、また共和国憲法は誰も気づかないうちにナチ憲法に取って代わったという趣旨の発言をした。

「独裁者は30日で生まれた ヒトラー政権誕生の真相」訳者あとがき

(H・A・ターナー・ジュニア/白水社

だが、実際にはそうではない。

ヒトラーの率いるナチ党は、反ユダヤ主義的綱領や、共和主義と憲法の破壊を宣言するヒトラーの「我が闘争」、野蛮で暴力的な半軍事組織である突撃隊などが左右を問わず多くのドイツ国民から嫌われており、危険視される存在であった。

また党自体も、あいつぐ国政選挙のために財政が逼迫、資金調達の途は絶たれ、組織は末端から崩壊の途上にあったという。

そのうえ、1932年11月におこなわれた国政選挙では、前回選挙での支持を失い、議席を全体の3分の1以下にまで減少させている。これはヒトラーが首相に就任する、わずか2ヶ月前である。

圧倒的な党勢のもとに政権を奪取し、憲法改正に突き進んだというのは歴史的事実に照らし、謝った認識だといわなければならない。

 

本年5冊目の読了は「独裁者は30日で生まれた ヒトラー政権誕生の真相」(H・A・ターナー・ジュニア/白水社)。

怪しいものではない。フルブライト奨学生としてアメリカからドイツへ留学し、プリンストン大学Ph.D.を取得、イェール大学で教鞭をとった現代ドイツ史家による1996年の論文だ。

独裁者は30日で生まれた ヒトラー政権誕生の真相

独裁者は30日で生まれた ヒトラー政権誕生の真相

 

ヒトラーとナチ党の台頭は、莫大な戦後賠償と非武装化を含む屈辱的なベルサイユ条約にくわえ、経済を襲ったハイパーインフレ大恐慌により民衆の不満と民族意識が高まったことによると一般的には解釈されている。

これらは必要条件ではあるが、十分条件ではないと筆者は説く。

このような決定論的解釈は、ともすれば「ヒトラーは歴史の必然であった」という結論を導くことになる。これはヒトラーを免罪することこそなくても、無能な政治家達による多くの失敗、ひいては国民の責任問題を覆い隠すことになる。

ヒトラーは決して避けがたい災厄であったわけではない。

当時のヨーロッパ、特にドイツに多くの選択肢があったわけでないのは確かだ。シュライヒャーのクーデターによる軍事政権の方が、まだ少なく悪だったという著者の主張にも簡単には頷けない。

しかし、それでも数名の政治家が政治的資質によりすぐれていれば、共和主義的政党が日和見に甘んじなければ、国民を含む彼らすべてが「我が闘争」にあからさまなヒトラーの世界観を理解していれば、彼と彼の政党を政権から遠ざけておくことは充分に可能であったことを、著者は記録と証言によって論証していく。

 一九三三年一月一日、苦境に立たされていたドイツ・ヴァイマール共和国の擁護者たちから安堵と歓喜の合唱が起こった。この若い国家は三年のあいだ反民主主義諸勢力の激しい攻勢にさらされてきたが、とりわけ最大かつ最強の脅威となっていた勢力が、アドルフ・ヒトラーの民族社会主義ドイツ労働者党だった。しかし、その時流もいまや変化したように思われた。有力なフランクフルト新聞の社説は「民主的国家に対するナチ党の強烈な攻撃は撃退された」と宣言し、由緒あるベルリンの日刊紙、フォス新聞の主筆は「共和国は救われた」と謳い上げた。十四年前の共和国の成立にあたって重責を担った社会民主党の機関紙、前進は、その論説の見出しを「ヒトラーの台頭と没落」とした。ケルンで重きをなすカトリック系のケルン国民新聞は、一年前に同紙が予測した「ヒトラーが権力に達することは決してないだろう」という当時は大胆に思われた見解もいまでは陳腐なものになったと指摘した。自分の生きた時代について、将来の孫たちに何を語るべきか思いをめぐらせたある作家は、ベルリン日刊新聞にこう語った。「世界中どこでもある男の話でもちきりだった。その男の名前?そうアダルベルト・ヒトラーとかいったかな。で、その後その男はどうなったって?姿を消してしまったよ!」

 それから一ヶ月もしないうちに、ヒトラーが合法的にドイツ首相に就任したということを考えれば、これら共和主義者たちの楽観的な見解は、いまから振り返ると集団妄想のように思われる。しかし、それ以前の出来事を検証して見ると、ナチズムの敵対者たちの期待が、当時は決して根拠のないものではなかったことが判明するのだ。 

本書はタイトルの通り、1933年1月のたった30日間にごく限られた数名の政治家達によって繰り広げられた、極めて政治的な、つまり純然たる権力闘争のプロセスを描き出し、そのなかでひとりだけ完全に非妥協的な「一か八かの戦術」に頼ったヒトラーが、1月30日、ついに首相の座に就いたメカニズムを明らかにしている。

 

そもそもは、社会状況を反映して多数派を形成できなくなった議会が大統領の専横を許したという、ワイマール憲法上の欠陥にことの発端があったというべきなのだろうと思う。

だがそれにしても、自分を首相の座から追い落とした友人に復讐し、ふたたび権力を手にしようと執念を燃やすフランツ・フォン・パーペンの節操のなさには愕然とさせられる。

かつてこのパーペンが首相に就任した際の反応を、フランス大使アンドレ・フランソワ=ポンセは以下のように回想録につづったという。

「誰も信じようとはしなかった。ニュースが事実であると確認されると、誰もが大笑いするかこっそり笑った」。直接パーペンを知る大使は彼のことを印象的に描いている。「特徴的なのは、彼は敵からも見方からも、その言動が全く真面目に受け取られることがないということである。彼の顔は、自分では決して拭い去れない、骨の髄まで染み込んだ軽薄さを示している。その他の点に関しては、彼は第一級の人格者ではない。・・・・・・見かけ倒しで、人の仲をさき、裏切りやすく、野心的で虚栄心が強くて、ずる賢く、ややもすれば陰謀にふけりがちな人物と考えられている。誰もが認める資質ー本人は気づいていないーは図々しさと厚かましさ、それも愛すべき厚かましさである。彼は、敢えて危険な事業を企ててはならない人間のひとりである。というのも、そうした人間はあらゆる挑戦を受けて立ち、賭に出るからである。成功すれば歓喜の涙を流し、失敗すればくるりと背を向けて逃げ出す」。

これがのちに人類最大の悲劇へと発展するヒトラー政権誕生にあたり、助産師の役割を果たしたと本書で一貫して述べられる人物の姿である。

狡猾なだけで一切の大局観をもたないこの小人物は、その狡猾さゆえ、利用しようとしたヒトラーにより逆に要求を徐々にのまされ、最終的には自身の保護者であったヒンデンブルク大統領をも欺き、憲法違反の疑いが濃い手続きのもとにヒトラーを首相に就任させたのだ。

また、パーペンの口車にのり、入閣と引き替えに自党によるヒトラー政権支持を約束したアルフレード・フーゲンベルクは、その

わずか一日後、友人にこう語ったと言われる。「私は昨日、人生最大の愚行を犯してしまった。史上最大の扇動家と同盟を結んでしまった」

このように、悪趣味なコメディの登場人物のように滑稽で愚かしい政治家達が、社会にとってもっとも大きな危険は何かを顧みることなく、虚言と駆け引きによる権力闘争を続けるうちに、いつしかヒトラーがもっとも優位なポジションに立っていたというのが本書の筋立てだ。

 

ではおそらくそうだとして、国民の立場から何を考えていくべきかということを読後感として挙げれば、

「行政と立法(と、司法)のチェック・アンド・バランスが正しく機能していることを確認し、機能していないときには声をあげ、行動を起こすこと」

言論の自由に対する制限を、全面的に退けること」(選挙妨害を通じた権力の独占に繋がるため)

「非常大権のように、国民の権利を全面的に制限する条項が憲法に盛りこまれるのを妨げること」

と、結局は「原理主義的民主主義」の正道を守っていくことしかない。

ただ、選挙民として政治家をみるとき、その本質を見抜く目を養うために、本書を通してヒトラー政権誕生の歴史を振り返ることの意義は大きいかもしれない。

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経営者ブログ。

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弊ブログではすでにご報告とお詫びを申し上げたわけだが、昨年私は50冊読破の目標を達成できなかった。

最終的には49冊目に綿矢りさの「しょうがの味は熱い」という、のんきな小説を読み終わり、50冊目を読んでいる途中で年を越したが、私の読書メモにおける読破計上基準は、あくまでも読了時ということになっているから、結局これは昨年の50冊目ではなく、今年の1冊目ということになった。

本年1冊目となったのは「ジュリアン・アサンジ自伝 ウィキリークス創設者の告白」(ジュリアン・アサンジ/学研出版)。

ウィキリークスについてというよりも、暗号技術によって政府の支配から通信を自由にするサイファーパンクという自分の立場について訴えるもの。

今年はインターネットの本質について、その人類への革新的な影響についてイチから考え直したいと思っているため、これを1冊目としたのは、そうした私の決意表明でもある。

 

前掲の云い訳でも書いたが、昨年から弊社ではWakka Inc. Book Club(W.B.C.)という取り組みを開始した。

これは平たくいえば、課題図書をみんなで読んできて、週に一度の読み合わせ、ディスカッションをしようという会で、社内では「講読会」とかいうように称している。

W.B.C.には「ナード部門」と「ギーク部門」があって、これは「文系」「理系」みたいな分類なのだが、それぞれ並行して別の本を読んでいく(予定である)。

唱道者たる僕が技術者ではないので、文系の「ナード部門」を先行して昨年の終わり頃にスタートさせた。

ナード部門では、経営者の自著や企業研究、マネジメント論などのいわゆる「経営書」一般を読んでいく。自己啓発本宗教的な観点を持った本を読んでみたいという声も社内にはあり、幅はかなり広めに考えている。

どちらの部門も1ヶ月かけて1冊を読み込むというぐらいのペースにしたいと考えているから、毎週準備してくるのは1冊の1/5〜1/4ぐらいの分量になる。

担当者は持ち回りで、簡単なメモやレジュメを用意したり、「どんな切り口で議論してみたいか」を考えてくることになっている。「次はこの本をみんなで読んでみたいです」と提案する人は、すでにその本を通読していることが期待されており、「全体をどのように何分割して、何週間で読了するか」という計画を立てたうえ、第1回目を担当することになる。

 

「知識」や「情報」といえば、いつでも必要なときにすぐ手に入る時代だ。

しかも我々は、インターネットを使って仕事するIT企業である。それがなぜ、いまさら「本」などを読んでいるかというと、それは知識を体系として、「網」として溜め込んでいくことが必要だと(僕が)考えているからだ。

開発者が公開しているブログのエントリーなどを典型として、ウェブ上で提供されている情報源は、それ自体、端的によくまとまっているし、ピンキリとはいえ信頼性の高いものへのアクセスも容易だ。これはこれで充分に活用するノウハウを身につけることが、これからますます「リテラシ」として重要になっていくだろう。

しかし「必要なときに、必要なだけ、過不足なく」切り取ってきた情報は、なかなか他の情報とタテやヨコの関係で繋がっていかないと感じる。特に、切り取ってきた情報をそのうえに並べ、配置していくためのマトリックスがあらかじめ頭のなかにない場合、それは顕著だ。

こうしたとき、情報はいつまでも単体で、孤独で、冷たいままでいる。Aという情報とCという情報があるとき、その間にBが存在することに気付くまでにはだいぶかかるというようなイメージだ。

「検索して判ることは、検索すればよい」という考えに異を唱えるものではなく、それはその通りだと僕も思う。しかしそれだけでは、「検索して判らないことは、存在しない」と思い込んでしまうことになる。

いまでは恋の悩みですら検索すれば無数に答えがヒットするような時代だが、恋に限らず、人生には検索しても答えの見当たらない問題がたくさんある。こうした問題を前にして大切なのが、既知の情報がそれぞれどのような関係にあるかについての相関性であり、「探している答えはAとCの間にあり、おそらくこのふたつを足して2で割ったものに近い姿をしている」と類推する能力だ。

「人生」などと云っているが、もちろん僕は仕事の心配をしている。

 

企業である以上、弊社もまたイノベーションを生み出す義務を負っている。

「義務を負っている」というのは別に社会に対してとかいうことではなく、大なり小なりイノベーションを生み出さなければ生き残れないというだけの話だ。

イノベーションというのは、つまり検索しても出てこないことをやるということだから、これは原理的に、先に述べたリテラシではカバーできない領域になる。

A、B、Cという知識・情報を個別にもっているだけでは、Dを発見することはできない。A→B→Cという体系を理解している者だけが、Cの先にあるはずのDをもっとも効率よく探索することができる。

この体系、個別の知識や情報の「ベッド」となるべきマトリックスを、スプレッドシートを自分のなかに養おうというのがW.B.C.の狙いだ。

1冊の本のなかには、もちろん今すぐ必要ではない無駄がたくさん詰まっている。もっといえば、著者が膨大な知識や経験を編集した結果である本の「外側」には、書かれることのなかった無駄が見渡す限り広がっているはずだ。本を読み込むことにより、書かれていることだけでなく、書かれなかったことに至るまで、「情報」ではなく、その体系を取り込むということだ。

気の長い話になるだろうが、始めなければ、始まらない。

社内とはいえどんな取り組みにも反対勢力というのは生まれるもので、いくぶん冷ややかな視線を感じることもなくはないが、経営者とはいえ立場や権威に物を云わせてなびかせるのは好きじゃないから、こうした勢力に関してはあくまでも実力で取り除いていきたいと思っている。

 

ちなみに、W.B.C.ナード部門が一番はじめに取り上げたのは「人と企業はどこで間違えるのか? 成功と失敗の本質を探る『10の物語』」(ジョン・ブルックス/ダイヤモンド社)。

すでにいろんなところで紹介しているが、名著だ。みんなで読み込み、議論することでまた、その思いを強くした。

タイトル通り10章に別れており、それぞれに様々な企業や人を取り上げているのでW.B.C.では毎週1章ずつ、5章を読んだ。こうした読み方に向いているというのが、最初の1冊に選んだ理由でもある。

人と企業はどこで間違えるのか?---成功と失敗の本質を探る「10の物語」

人と企業はどこで間違えるのか?---成功と失敗の本質を探る「10の物語」

 

先日読み終わった2冊目が、DeNAの創業者である南場智子さんの「不格好経営」(南場智子日本経済新聞出版社)。

僕自身、あまりこういう自伝的な本は読まないのだが、お世話になっている人から薦めていただいた(やべぇ、返してねぇ)ので読んだところ、いまのうちの会社にはちょうどいいテーマがいくつか隠れているように感じ、2冊目の課題図書として提案した。1冊目が研究書だったので、少し柔らかめのものを取り上げてバランスをとりたいという思惑もあったが、「南場さんはブログも面白いので、ぜひ読んでみたいです」という声もあった。

読みやすいので、短めの全3回で読み終わった。

不格好経営

不格好経営

 

ちょうどW.B.C.がこの本を読んでいる途中で、南場さんの後任としてDeNAの会長職にあった春田真さんのインタビューを読む機会があった。

春田さんといえば「不格好経営」の主な登場人物のひとりでもあるので、サイドストーリーとして春田さんのDeNA録である「黒衣の流儀」(春田真/中経出版)も、今年の僕の2冊目として読んでみた。

まえがきに断りがあるとおり、DeNA以前の春田さんの自伝とベイスターズ買収の話がかなりのウェートを占めるので、DeNAの裏話や「不格好経営」との対比に期待して読むと肩すかしにあうかもしれない。

黒子の流儀 (中経出版)

黒子の流儀 (中経出版)

 

ただし冒頭に述べられる以下のくだりは面白かった。

それ(引用者註:DeNA資金が底を尽き、会社が潰れるといった瀬戸際にまで追い込まれる事態)を避けることができたのは、「皆が頑張ったから」というものではないと思っている・・・(引用者略)・・・最終的に生き残れたのは、ひとえに南場さんが初期のタイミングで多くのお金を集めることができたからだ。つまり、南場さんが多くの人から信頼されていたことが最大の要因だったといっていい。まったくもって格好のいい経営者なのだ。

 「黒衣の流儀」(春田真/中経出版

不格好経営」で南場さんは、自分たちはバカな素人集団だったが、素晴らしい仲間の高い目的意識で今日のDeNAを築き上げることができたということを何度も繰り返すのだが、W.B.C.で読み込んでいく際には、「それはちょっと美談に過ぎるんじゃないの?」という見方が参加者から何度も呈されていた。

「黒衣の流儀」と読み合わせることで、これがあながち邪推でもないということが、当時の「上場準備室長」によって裏付けられ、満足した。

不格好経営」と「黒衣の流儀」についてはいくつか指摘したいこともあるのだが、ここではやめておく。「黒衣の流儀」はW.B.C.で取り上げる予定もない。ナード部門は次に、行動経済学について触れていくのがよいと思っている。

 

2015年ぼく「中国景気は最後の上り坂。世界経済は米国景気の回復に伴い...」→2016年ぼく「ぷいきゅあがんばえー!」

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はじめに

投資家(俺)の皆さま、新年明けましておめでとうございます。

いまだ霧の晴れぬ世界経済、9.11後をうわまわる規模に発展しつつある「テロとの戦い」や各国にみられる排外主義の高まりなど、不安の尽きぬ年明けとなりましたが、皆さまには今年も大過なく、幸せな1年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

下半期に原油/金融株/マリオ・ドラギの三点コンボで未曾有の犠牲を出した2015年の当ファンドですが、2016年に向けたファンドマネージャーたる私の心境を一言で表現しますと以下のようになります。

 

「ぷいきゅあがんばえー!」

 

以下、詳細にご説明してまいります。

 

2015年の当ファンドは、中国市場のうねりや、各国地域中央銀行と市場の駆け引きのただなかに揉まれ少なからぬ損失を生じましたが、年末に含み損を解消した時点で年間を通した利益計上という最低限の責任を果たすことができました。2015年の投資ハイライトは以下の通りです。

 

投資ハイライト1: 中国株ファンドの6月急落前、および初期における売却

2014年末より投資しておりました中国株のポジションを、6月の急落前にほぼ半分、急落初期にもう半分と全量売却し、利益を確定できたのは大きな収穫でした。

上海指数のオーバーシュートを感じ取っての動きでしたが、短期間に大きく売却していった決断は評価できます。

上海のKTVにいた小姐には誠に気の毒な結果となりましたが、当ファンドはここで確定した利益がなければ秋口に頓死していた可能性があり、上海出張も含め、情報感度の高さと決断力の大切さをあらためて思い知る一幕でした。

 

投資ハイライト2: 8月世界同時株安における日経平均でのリバウンド取り

のちに反省点として挙げます大型金融株への投資を除き、当ファンドでは従来日本株への投資を控えております(グローバルポートフォリオなどに含まれる日本株ポーションを除く)が、8月下旬の世界同時株安におきまして、日経平均が一時的に売られすぎたと判断したため、SBI日本株3.7ブルファンドおよび日経レバW(ETF)を通じて日本株市場へ参入し、3度にわたりリバウンドを取りました。

市場が混乱を極めるなかで、慣れない短期売買を繰り返したため心身ともに大きなコストを支払いましたが、2015年の投機においては比較的大きな成功を収めることができました。

 

投資ハイライトは以上です。

しかしながら、以下に振り返りますとおり、2015年の当ファンドの運用には重大な反省点がみられ、本年はこうした点を丁寧に排除いたしまして、強大(strong)で、打ち砕くことのできない(invincible)勝利を打ち立てるべく邁進してまいる所存でございます。

 

反省点1: 商品市場への深入り

リーマンショックから欧州ソブリン危機を経て、「超緩和」ともいうべき状況がつづいた世界経済の状況に鑑み、当ファンドでは引き続き、一定割合を金に投資する方針を維持しております。

しかしながら2015年には、これに加えて底値とみた原油相場へ参入し、一時は15%程度の含み益を生じたにもかかわらず、再度の急落に巻き込まれ、逆に同程度の損失を確定いたしました。

ファンドは本来、金以外の商品市場に対する投資を目論んでおらず、原油のポジションは極短期的なものであるべきでした。

3ヶ月で15%という、特定セクタにおいては充分な利回りを見たにもかかわらず、これを清算しなかったのは、ポジションに対し明確な目標設定をおこなわなかったことによる重大な失敗であり、制度上の対策が求められます。

具体的には、コア・ポートフォリオに含まれないアセットクラスへの投資に関しましては、損益にかかわらず3ヶ月以内に決済することをポリシーに追加いたしました。このポリシーは2016年1月6日現在、すでに運用中でございます。

 

反省点2: 郵政相場見切りの失敗

2015年の日本株市場において、最大のニュースのひとつは日本郵政グループの大型上場でした。

政府が株式を保有する日本郵政グループの株式上場にあたっては、同業種にあたる銀行・保険など大型金融株のPERを参考に売り出し価格が決定されることになっていました。

この売り出しによって得たキャッシュを東北地方の復興財源にまわすことを決めていた日本政府としては、この売り出し価格を事前につりあげることがどうしても必要になるため、日銀やGPIFによるETF買いを通じて大型金融株の株価つりあげがおこなわれるという観測に基づき、当ファンドは春頃より銀行・保険株の買入をおこないました。

この見立て自体に大きな誤りはなく、銀行・保険株は夏にかけ、日経平均を上回る上昇率を記録しました。

しかしながら日本郵政グループのブックビルディングの日程を確認していなかった当ファンドのマネージャーは売り時を逃し、8月末の世界株安に巻き込まれました。

持高のあるときに重大な日程を把握していないのは目隠しをして自動車を運転するのにひとしく、重大な過失であったといわなければなりません。

この点につきましては運用上の対策として、月次・週次のカレンダー確認を徹底していくことを投資家の皆さまにお約束いたします。

なお本件に関して生じた損失に関しましては2015年末時点で確定しております。

 

反省点3: ECBによる追加緩和方針の見誤り

12月初旬に発表されたECBによる追加緩和方針を見誤り、EUR / USD売りポジションを大きく焼かれたのは精神的なダメージのもっとも大きな損失でした。

発表時点まで、ユーロはすでに数ヶ月にわたりドルに対して売り込まれており、市場は実際に発表されたよりも大規模な緩和を織り込んでいると考えるべきでした。

ここまでの2ヶ月にわたり、超短期での売買を繰り返して利ざやを稼いできた当ファンドは、しかしマリオ・ドラギ総裁によって発表される緩和策は「最低でも期待通り」だと考え、かつてない大きなショート・ポジションをとりました。

発表時点でファンドマネージャーはボストンへ向かう機内におり、機内Wi-Fiを介して売買をおこなっておりましたが、すでに酒に酔っていたとの情報があり、事実であれば重大な内規違反だといわねばなりません。

特に証拠金取引において、酒に酔った状態でポジションをとることが地獄への道であることは広く知られています。

ファンドでは、今後もこのようなことがないよう、内部統制を最大の課題として取り組んで参ります。

 

以上に2015年の投資ハイライト、ならびに反省点をご報告いたしました。

以下に当ファンドによる2016年世界経済、各市場の見通しと主戦略を、投資テーマごとにご紹介します。

 

投資テーマ1: USD / JPY相場は110円台後半で安定へ

2016年のUSD / JPY相場の見通しについては経済各紙誌での見方も分かれておりますが、当ファンドは一方的な円安相場はすでに終了したという立場に与します。

2015年末にFRBによる利上げが実現しましたが、為替相場は2016年を通じた数度にわたるさらなる利上げをすでに織り込み済みであり、利上げを材料とするドル高はこれ以上進行しないであろうと考えられます。むしろ中国景気の後退や、途上国からの資金逆流により利上げが予定通りおこなわれないことを警戒する空気が醸成されるでしょう。

一方、日本政府は軽減税率の導入をきわめて政治的な調整の末に決定したため、2017年4月に公約されている消費増税を延期・撤回することはきわめて困難だと考えられます。消費増税が景気回復にふたたび冷や水を浴びせることは間違いなく、2016年を通じて財政出動や金融緩和といった政策手段を大規模に実施することは難しいことから、特に大企業の決算が集中する3月末にかけて、USD / JPYは110円台半ばをはさむ水準まで売り込まれるでしょう。

もっとも、財政出動と異次元緩和の効果が切れつつあるアベノミクスは失敗したという評価が内外から出始めていることや、リフレ派ですら緩和政策の出口戦略について言及しつつある状況、年初からの株式相場の値崩れを盛り返す材料が見当たらないことなどから、消費増税が確実視されるにもかかわらず財政再建には不透明感が漂っており、長期的には円はその他の通貨に対して売られていくであろうという見方を当ファンドは崩しません。

従いまして、USD / JPYは110円台のなかばで円安をヘッジするための買いが入り、110円台後半で安定するであろうと予測します。

ファンドはこのレンジにおいて証拠金取引を通じた売買をおこなっていきます。

 

投資テーマ2: 米国株式市場は年初の混乱を乗り越え、回復へ

利上げによる調達コストの上昇は、特に長引く原油安によって弱り切った米エネルギーセクタのゾンビ企業を破綻に追い込んでいくと考えられます。

こうした懸念をひとつの材料として、米株式市場は年初より売り込まれていますが、8月から9月の世界株安において大きな調整がおこなわれたため、2015年11月以来のレンジを割り込む水準には達しないと当ファンドでは考えています。

アジアを中心とする新興国・途上国からのマネーの逆流が警戒されているため、ワールドポートフォリオは特に年前半にかけて一定程度毀損する怖れがありますが、米国景気は金融やヘルスケアといったセクタを中心に、2016年を通じてゆるやかな成長をみせるでしょう。

こうした立場から、当ファンドは年前半においてエマージング市場への投資を手控え、米国株式市場への投資を進めていきます。

 

投資テーマ3: 日本株は19,000円台半ばで超短期的な売り持ち

アベノミクスの息切れ、大型上場の不在、政策手段への縛りといった理由から、日本国内の株式市場はきわめて脆弱な状態にあると当ファンドは考えています。

年末から突然騒がれるようになった「フィンテック」セクタは、金融庁による相談窓口の開設や規制緩和、金融機関による発言の活発化により一時的なブームを形成する可能性がありますが、現在までのところ、大きな市場を形成しうる材料はなく、当ファンドは金融セクタを含めて日本株式市場全体の判断を「売り」とします。

ただし、日本株に対しては投資しないという基本方針から、インバースETFなどを通じたショートポジションの形成はおこなわず、19,000円台半ばでの3ヶ月以内の「売り持ち」についてのみ可能性を留保します。

 

投資テーマ4: 商品市場からは距離をおく

サウジアラビアとイランとの緊張が高まっており、原油価格上昇の可能性が取りざたされていますが、当ファンドはこの見方を支持しません。

政治状況を背景に若干の思惑買いが入る可能性は排除しませんが、米原油在庫は依然として高く積み上がっており、また、そもそも米国のシェールガス産業にシェアを奪われることを怖れて減産をおこなわなかったサウジアラビアの目標はいまだ達成されておりません。サウジアラビアのこうした政策は2016年を通じて維持されると考えられ、原油相場は投資妙味の薄いものになると考えます。

そもそも当ファンドは商品市場への投資を想定しておらず、数少ない投資対象のひとつである原油相場には特段の魅力が感じられないため、2016年は商品市場から距離をおくことになります。

一方、世界経済・金融システムの決定的な破壊というテールリスクに対する防衛策として、ポートフォリオに一定割合の金を含める方針は引き続き堅持してまいります。

 

投資テーマ5: 中東の混乱は2017年まで継続、欧州市場の回復は緩やか

シリア内戦、ISISの台頭に象徴される中東の混乱は、残念ながら2017年まで継続すると当ファンドは予測しています。これは米大統領選の結果、あらたな大統領が選出されるまで現政権には消極的な中東政策を変更できないと見るためです。

しかしながら2017年にヒラリー・クリントンが大統領に就任すれば、米国による大規模な地上軍の派兵がおこなわれ、ISISの趨勢は削がれると考えます。ただし米国の本格的な介入により有志連合のNATO色が強まることは、アサド政権の帰趨を巡りロシアとの間に緊張を高めることになるでしょう。露プーチン政権はこうした展開に備えて現状の対トルコ強硬姿勢を緩めることなく、当該地域でのプレゼンスを維持・拡大しようとするものと見られます。このような動きにテロの脅威が加わり、2016年を通じて欧州社会の不安感は払拭されることがないでしょう。

ECBによる大規模な金融緩和は少なくとも年前半のあいだ継続すると当ファンドは考えますが、こうした背景から欧州経済の回復は緩やかなものにとどまると考えられます。「投資テーマ1」との兼ね合いを考えますと、欧州株への投資には、EUR / JPY相場の低迷にそなえた為替ヘッジを検討する余地があります。

 

おわりに

以上のように、当ファンドが年にたった一度だけ発行する目論見書を投資家(俺)の皆さまにお届けいたしました。

大きくは、2016年の世界経済は回復・成長軌道の入口にある米・欧と、成長鈍化の過程にある新興・後進国のあいだですっきりしない様相をみせるであろうと考えられます。中東や南シナ海の不安定な状況が緩和し、世界の景気が概ね拡大サイクルに入ると期待される2017年まで、どうにか生き延びられますよう、当ファンドも祈るような気持ちです。

なお、この目論見書はフィクションであり、筆者が実際にこのような方針に則って投資していくわけでもなければ、当然ながら皆さまにお勧めするわけでもないことを末筆ながら付け加えさせていただきます。

投資は1日1時間。自己責任にてどうぞよろしくお願いを申し上げます。

 

青い'90年代の香り。記憶の断片小説。

むかし「モバイル広告事業部長」として鳴らした若造がいて、当時はまだ25歳ぐらいだったが、

「無人島へなにかひとつ持ってくとしたら、何もってく?」という質問に

Googleの検索窓ですね!」となめた返事をしており、こいつはまだまだ世間の厳しさを知らないなと思った覚えがある。

 

本年7冊目は僕が無人島へだって持っていくだろうという本のひとつ、「餌」(ケネス・アベル早川書房)の、何度目かわからないぐらいの再読だった(だいたい、この本自体もう3回ぐらい買い直している)ということで、今日は恥を忍んで「うわっ、わたしの愛読書、青すぎ・・・・?」というリストを公開する。

いずれも「いまもこの本を読み返しているのは日本で僕ぐらいではないか」といったシロモノだが、そこがおっさんの哀しさで、そのすべてが電子化されておらず、しかもほとんどが一刷限りで絶版になっているため、皆さんが買おうったってマケプで古本を購入するしかなく、二束三文でアフィリエイトの売り上げも期待できないが、それでも紹介するのは私からの好意と汲んでいただきたい。

 

まず前掲の「餌」。原題は“The Bait”、まさに「餌」。

ボストン市警の刑事・ジャックが飲酒運転で事故を起こし、マフィアの息子を死なせてしまう。

助手席には愛人を乗せていたことがわかり、妻は子どもを連れて彼のもとを去って行った。

服役中も古巣の警察はよくしてくれたが、マフィアのドン・ダンジェロは復讐の機会をじっと待っていた。

刑期を務め終えて出所したものの、ダンジェロとファミリーの影に脅かされながら日々を過ごすジャックに、ある日検察局が接触してくる。

ダンジェロは、息子の復讐を誓っている。

狡猾に法の抜け穴をかいくぐってきたドン・ダンジェロを捕らえるたった一度のチャンスは、彼がジャックの心臓に弾を撃ち込む瞬間しかない。そのための「餌」になれというのが彼らの申し出だった。

ジャック自身がおとりとなって、ダンジェロを塀の向こうへ突き落とす以外に、恐怖の日々から逃れる道はない。

承諾したジャックの周囲では、やがて過去の事件にまつわるいくつもの謎がひとつに繋がり始める。

作者はどうやら2冊しか上梓する機会を得られなかったようで、本邦訳出はこの一冊のみ。

ジョン・ル・カレを多数訳している村上博基の、全編夜道を行くような暗い文体がいい。

餌 (Hayakawa novels)

餌 (Hayakawa novels)

 

今年はついに最後まで読み切れなかった「源にふれろ」(ケム・ナン/早川書房)。

青春は暗くて孤独でなければ小説にならない。

田舎町をひとりで出て行ったはすっぱな姉が西海岸で厄介事に巻き込まれたという話を聞かされた弟の「僕」は、姉への秘めた思いに突き動かされ、その後を追う。

手がかりとなるいくつかの名前は地元で名の知れたサーファー達のものだった。

蒸せるようなドラッグと暴力の気配で張り詰める街で、少年は孤独を知り、女に出会い、波を乗りこなし、やがて真実にたどりつく。

男の子は街を捨て、旅に出なければ大人になれない。

古本屋でこの本に出会った中学生の僕が生まれ育った街を出るまでは、あと5年といったところだった。

旅立ちに抱いた不安すら、いまは懐かしい。

源にふれろ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

源にふれろ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

「サッド・ムーヴィーズ」(マーク・リンキスト/集英社)。

「ジェネレーションX」もいまや記憶の彼方となった。「しらけ世代」とも云われたこの世代に属するマーク・リンキストだが、どうやらこの一冊しか物すことはできなかった模様。

ハリウッドの配給会社でバカげた映画のコピーライターをやっている僕は同棲する彼女との間に緩やかな危機を感じていた。

クスリとパーティーと野放図なセックスで埋め尽くされた90年代初頭の毎日に、変わり映えのしない映画と繰り返される二日酔い。すべてが、あの日試写室でおぼえた彼女に対する情熱までもが、ありがちなコピーのように思えてきたとき、僕は何かを信じたくて彼女を受取人にした生命保険に加入する。

このままいつか死ぬのだろう、自分の生を他人事のように覚めた目で見つめる僕のもとに、放浪の友人が訪ねてくる。

「オグヴァスドが街に来ている」。

Ogvassedという風変わりな友人の名前は “God saves”(神は救う) のアナグラムだと訳者があとがきで読み解いている。

虚飾が服を着て歩いているような登場人物たちのなかで、愛犬のブラッキー以外は何ももたない友人・オグヴァスドだけが主人公に自分の言葉を語らせることになる。

トイレの落書きを集めているという主人公に、面白いのがあったから見てこいよとオグヴァスドが促すシーンがいい。

いいおっさんになると引いて見てしまうが、ジェイ・マキナニーブレット・イーストン・エリスを読み直そうといういい機会にもなる。

酒を飲みながらでも一気に読み切れるイージーさだが、しらけちまったことへの哀しみはしっかりと残る良書。

いまの若い人はもっと熱くて大切なものを抱えているようなので、もはや年寄りの懐古にしかならないかも。

サッド・ムーヴィーズ

サッド・ムーヴィーズ

 

「ぼくがミステリを書くまえ」(デイヴィッド・ボーマン/ハヤカワ書房)。

探偵小説と70年代アメリカン・ニューシネマへのオマージュに彩られた青春ロード・ノヴェル。

ミステリを信仰の対象とする主人公のぼくは、実家を逃げ出す道中、砂漠に向かってオレンジを投げつけるエキセントリックな人妻・シルヴィアに出会う。

それを恋かと考え込むにはあまりに世間知らずな主人公は、めくるめく興奮のうちに彼女とアメリカを駆け回り、やがてシルヴィアの醜悪な夫の存在を知る。

シルヴィアはなぜ、ぼくの前から姿を消したのか?なぜ僕はミステリばかり読んでいてはいけないのか?

この世の邪悪なことどもは、決してフィリップ・マーロウの手に負えるものではない。

いまはミステリ作家となった主人公が、本当のこの世界へ生まれ変わるまでの長い道のりを描く物語。

学生時代に僕の部屋に泊まり、「なんか貸してくれよ」と云ってこの本を持って帰った先輩の感想は「重さがないな」だった。 

ぼくがミステリを書くまえ (Hayakawa Novels)

ぼくがミステリを書くまえ (Hayakawa Novels)

 

以上、毎日ブログを書いていると、どんどん秘密がなくなって人間が強くなっていく。

ありがたい。

中二病超(スーパー)図鑑 ~ファンタジー・軍事・オカルト・化学・神話~

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金「金と!」ドル「ドルの!」金・ドル「金融大戦争!!」。

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FRBはついに2015年内の利上げを果たした。

いまやマクロ経済における役割を「シャーマン」と称される中央銀行総裁にとって、金融政策の失敗より恐ろしいのは市場へのメッセージが一顧だにされなくなることだ。

このためには金融政策の先行きについて、あらかじめ市場に織り込ませるための「フォワードガイダンス」を発しながら、かつその内容については必ず実行するという「コミットメント」が欠かせない。

世界規模の群集心理に揺れる大海原で、唯一針路を示す灯台たる中銀がオオカミ少年になってしまっては後戻りができないということだ。

そういった意味で、原油価格の低迷や中国景気の後退といった不安要素を抱える株式市場をにらみながら、6月以来の神経戦を経て12月での利上げといったコンセンサスを練り上げ、実行に移したイエレンは立派にその職責を果たしつつあるといえる。

イエレンはその慎重さと政策実行能力ゆえに引き続き発言を注目され、注目されることによってのみ、市場を混乱と恐慌から遠ざけることができる。これぞまさにシャーマニズムという他ない。

しかしすでにハイイールド債(低格付けのジャンク債)ファンドの相次ぐ清算が報じられているように、利上げはすなわち自己資本比率の低い金融機関や事業法人にとり存亡のリスクが高まることを意味する。

現状ではまだ日銀がQQE(量的・質的緩和)を実行中だし、ECB(欧州中央銀行)もこれを継続(あるいは必要に応じて拡大)していく意向を示しているため、一挙に世界の景気が後退したり、破壊的な信用収縮が起こったりする怖れはそれほど高くないが、米FRBだけが、今回とそれに続く一連の利上げによって人類史上初の大規模金融緩和から「いち抜け」られるわけではない。

情報技術の発達と規制緩和により、金融の絆ががっちりと繋ぐこの世界はすべて、運命共同体だ。つまり金融の世界をモチーフにした異色のテレビアニメ「C」でいう、

真榊「決まりは決まりで、ございますので」

というところだ。

しかしFRBに続き日銀が、そしてECBもまたQEを終えようと模索し始めるいずれかの段階で、世界中にあふれ出たマネーは急激に逆回転を起こし、新興国を中心に金融危機を引き起こす怖れが高いと考えるのが道理だ。結局利上げもここまでで、FRBとて数年以内にふたたび緩和方向に舵を切らざるをえなくなるという観測も一部で出ていると聞く。

これがいわゆる出るに出られぬ「ホテル・カリフォルニア状態」だ。

この言葉と、その危機的状況について日銀を例にあげて分かりやすく教えてくれるのが「日銀、『出口』なし!異次元緩和の次にくる危機」(加藤出/朝日新聞出版)。

日銀、「出口」なし! 異次元緩和の次にくる危機

日銀、「出口」なし! 異次元緩和の次にくる危機

 

 さて、この問題が結局終息せずに、70年代以降の「ドル基軸体制」が崩壊し、事実上の「金本位制」が復活すると予言している人たちが多数存在する。

中央銀行実体経済の回復という過剰な使命感に酔い、純粋な金融政策の番人としての役割を大きく踏み越えたがために、現在流通する通貨の価値は、つまり米ドルと一定のレートで交換できる「ドル兌換貨幣」の価値は、ドルの信用崩壊とともに崩れ去るだろうという話だ。

では現在各国通貨があまねく「対ドル」でその価値を確認している、そのドルは何に対して暴落するというのだろうか。

その答えは金、ゴールドだというのがこうした論者の一致した見解だ。

最大の理由は、金の産出量は限られており、供給量の予測可能性が高くて急激に増加する怖れがないため、価値の保存機能が高いという点にある。

極論すればドルがドルとして価値を維持していたのも、「一定のレートで金を買える」(金と交換できる、つまりある範囲の価格で兌換性が担保されている)状態が続いていたからで、無節操な金融緩和の結果、ドルの価値は下がる一方なのだから、やがてその信用は失われ、人々は金そのものを手にしなければ安心できなくなるであろうということにまでいたる。

 

まず日本の田中宇は、グローバル化した資本市場は脆弱性を高め、ドル基軸による金融覇権を築いた米国に対する攻撃を容易にすると論じる。

本年21冊目は「金融世界大戦 第三次世界大戦はすでに始まっている」(田中宇朝日新聞出版)。

金融世界大戦 第三次大戦はすでに始まっている (朝日新聞出版)
ドイツが米国に対し、フォートノックスの保管庫に預けてある金を返還せよと要請したにもかかわらず、要請した量のわずか1/4が数年間にわたって返還されるに留まっているというのは広く知られる事実となった。また、フォートノックスからの金準備の引き上げを求めているのはドイツだけにとどまらない。

米国は米ドルが基軸通貨である(究極的には両替なしに原油を直接買い付けられる通貨である)のをいいことに、カネが必要なら米ドルを自分で刷ってバラ撒いてきた。

しかしこれを続けていると、徐々に金に対してドルの価値が低下して、金の値段が上昇する。

これを避けるために米国は、各国から預かった金を影で売却してきたのではないかという疑いが囁かれている。

さらに現在ではその金在庫も底をついたため、米国財務省の手先となった大手投資銀行が金の先物ETFの売りを通じて金相場を抑えつけているとまで考える人もいる。

これが「金とドル 最後の戦い」である。

 これを陰謀史観と片付けてしまうのはやや早計で、実際にロシアや中国をはじめ、各国が金の保有高を高めてきていることがわかっている。スイスでは政府に対し外貨準備の一定割合を金で保有するよう求める国民投票が行われた(結果は否決)。

 

また、原油相場の抑圧によってルーブルの暴落下にあるロシアは、国内で産出される天然ガスを他国へ金で売却し始めたという情報もあるようだ。事実であれば、これ即ち金の貨幣化にほかならない。
金準備のほとんどを米国に預けておきながら、これが話題にものぼらない日本はここでも米国に運命を委ねることを暗黙のうちに覚悟していることになる。

本年40冊目に読んだ「ドル消滅」(ジェームズ・リカーズ/朝日新聞出版)の著者は、各国政府が市場で金を買い進めているにもかかわらず金価格が低迷していることについて、以下の様に読み解いている。

大量の金を持っている者は、現状どおりの紙幣制度のほうが望ましいと思っているので、金を持っていることを認めたがらない。少量の金しか持っていない者は、魅力的な価格で金を取得したいと思っており、金の争奪戦が手に負えなくなった場合の価格高騰を防ぎたいので、金を持っていることを認めたがらない。金をけなしている人々と金を支持している人々の間で、貨幣としての金という問題を当分の間、表に出さないでおくことで利害が一致しているのである。だが、この状態は長くは続かないだろう。金をふたたび貨幣化する動きはもう止められなくなっているからだ。

政府債務は政策的に誘導されるインフレによってしか解消することができないが、もはやそれすらも非現実的な水準に達しつつあるなかでは政府発行紙幣の信用が崩壊することと、超国家機関による信用補完で新たな秩序への移行が果たされることは不可避だとリカーズは説く。それがすなわち、「中央銀行中央銀行」としてのIMFであり、ドルに代わる基軸通貨・SDRの台頭だ。

このとき各国に割り当てられるSDR(特別引き出し権)の比率は、もはや価値を失った米ドルによる外貨準備高ではなく、金の持高に応じたものになる。各国政府はこの事態に備えて米ドルの持高を金に切り替えつつあるというのがリカーズの見立てである。

米国債の持ち高を減らしつつ市場で金を買い進める中国の人民元がSDRのバスケットに採用されると発表されたのは、こうしたダイナミズムの一端であると本書が予言した通りだ。

ドル消滅 (朝日新聞出版)

ドル消滅 (朝日新聞出版)

こうしたシナリオを荒唐無稽とするか、深刻に捉えて地金を買いに走るかは個人の自由だ。

しかし金融緩和がもたらしたのっぴきならない事態と、それが現代の貨幣経済に及ぼす影響、ではそもそも通貨とは何か、信用とは何かといった問題から結論を導き出す過程には学ぶところが極めて大きい。

世界経済と通貨のこれからについて考えたい人には、結論にかかわらず強く推薦できる。今年の年末年始に腰を据えて歯ごたえのある本を読みたいと考えるならば是非といったところだ。

昨今話題のビットコインが、なぜ既存の通貨に置き換わる可能性を秘めているのかというところにまで、考えを進めることも可能だろう。

 

殺戮の入り江。バックシートの男は第三次世界大戦のコンサルタントを目指してる。

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アメリカは西海岸で武者修行をしている知人。

「会社を辞めたヤツが、次の仕事を見つけるまでのあいだ、個人で請け負った仕事をするためにコワーキングスペースを使っているケースが多いですね。みんな2, 3ヶ月で仕事が決まって、いなくなっちゃいますよ。ここに何年もいるのは僕ぐらいのもんですね。もう古参ですよ、ハハハ」

と笑っていた。その調子で頑張っていただきたい。

 

サイゴンにはwork Saigonという浮かれた戸建てのコワーキングスペースが存在するが、庭のプールが謎なのと、とはいえベトナムなので、どうしてもデスクに店を広げたままトイレに行ける気がせず、いまひとつだ。特にメンバーにならずとも使えるし、要するにただのカフェとあまり区別がつかない。

■work Saigon

カフェ文化繚乱で、何でも何時間でもカフェでできちゃうベトナムだが、「カフェで荷物を置きっぱなしにしてトイレ行けない問題」は何とか解決していただきたい。警備員は店の前よりも、むしろ店のなかに配備してくれという感じだ。

もっとも、ファーストフード店では東京ももはや荷物を置きっ放しにできなくなりつつあることは話に聞いている。

SeiWhiteMoe ベネズエラ
ここでは5秒おきに後ろを振り返らないと歩いてるだけで所持品を奪われるよ。

ベネズエラ・・・・・・。

 

しかしだからといって友達と仲良く連れ立ってコワーキングスペースに行くというのは、これは絶対に違う。

「一緒にコワーキングスペース行こ?」とか「ちょっとトイレ行くから荷物みといてね」みたいなことは、全然違うのだ。コワーキングスペースをマックやイタトマと同一視してはいけない。

コワーキングスペースのUXはもっと孤独感に血塗られたものでなければならない。

co-workingであってworking-togetherではないからだ。力をあわせて頑張ろう、みたいなことではないのだ。

まず救いがたい孤独と無限の隔たりがあって、だがみんな同じように仕事しているという伏し目がちな連帯感こそがコワーキングスペースの味わいでありUXだ。

(孤独なのは自分だけではない...)という思いを確認しながら孤独な作業を続けるためのスペースこそがコワーキング・スペース、その孤独感こそがコワーキングスペースのUXなのだ。

 

ボストンのアパートから徒歩5分の一等地にあたらしくコワーキングスペースの「COVE」がオープンしたと知らされたので面白半分にメンバーになった。

■COVE

1日4時間までの利用で1ヶ月の会費が89USDだから、家で仕事ができないという人には充分お手頃な料金だ。では家で仕事するにも特段の問題がない私の場合はどうかということで先日初めてやってきた。

東京でいえばふつうのコンビニぐらいのスペースに窓際のカウンターとちょっとしたソファセット、大きめのテーブルが数セット。あとは1人用のテーブルが5 - 6台だから、キャパシティはそれほど大きいとはいえない。

UX的に無理のない客の入り方で12人ぐらいまでか。

内装はカネをかけずにオシャレにしてあるという設えで、ベタッと塗った壁、あきらかに「チープさもオシャレのうち」と勘違いした椅子やテーブルには統一感がない。本当に、カネをかけてない。

ひとり暮らしを始めたばかりの若い子がカネもセンスもないのにちょっとお洒落な部屋にしようと頑張ってみました(でもどっちみちこの東京砂漠で家に遊びに来る友達なんかできませんでした)みたいな、ちぐはぐで滑稽な哀しさがある。

ニトリのカーテンがドラマとカブりましたとか、木材の色が明るすぎて目が痛いよとか、せめてコップのシールはがしとけよとか、そういう哀しみがある。

関係ないがニトリといえば今年の6月にリニューアルに失敗して大騒ぎになってたニトリの通販サイト、1週間後にはオープンしていたというが、さぞや現場は荒れたことであろう。戦没者記念碑ぐらいは建てるのだろうか。

で、COVEだが、だからコワーキングスペースといえばクリエイティビティがキモなのに、ここは特になにかクリエイトしようというほど気持ちのアガる空間とはいえない。お値段以上ともいえない。立地がよすぎて地代が高く、これ以上空間にコストをかけられなかったのだろう。立地のいいところにコワーキングスペースを出そうという発想自体、クリエイティブではない。

クリエイティブというのは、裏通りの安いとこにハイセンスな店を作ったら人の流れが変わって、逆に隣にラーメン屋とかハンバーグ屋とかがバンバンできちゃうというようなことを云うのだ。

おっと、イカしたピザ屋の噂はそこまでだ。

 

店の奥には会議机を備えたミーティングルームがあって、事前に予約すると1時間5USDで使えるという。

また、僕の知る限りコワーキングスペースというのは音楽が流れていないか、流れていてもごくごく小さな音でしかないのでとにかく落ち着かないが、これはきっと、音楽を流すと趣味の問題でクリエイティブな連中といざこざが起きたりという余分なUXが生じるからだろう。ここもそうだ。

一方で完全にありがたいのが、コーヒー・紅茶・ジュース・コーラなんかの類が飲み放題なのと、プリント・スキャン・ファクスのできる複合機が無料で使えるというところ。だが、無料だとか安いだとかいう話題はあまりクリエイティブじゃない。

いいUXにはカネを払うという姿勢こそがクリエイティブなのだから。

僕が初めて訪れたということで、店内をひととおり案内してくれた若いUIも最後に諦め顔でこう云った。

「ご覧の通り、要するにここはproductiveなのさ」

つまりクリエイティブじゃないのにはこいつも気付いてんだなと思った。やべぇとこにバイト決まっちゃったな、っていう感じが漂ってた。コワーキングスペースっていうよりは個別指導塾か自習室みたいな感じだから。

「ところでWi-Fiのパスワードは?」

「“productive”」UIは傷付いた顔で答えた。

だがクリエイティビティよりプロダクティビティに重きをおいて、ひたむきに文字数を水増ししていく当ブログの執筆にはむしろCOVEボストンニューベリー店は相応しいだろう。

人も多くないし、ボストンなので荷物を置きっ放しでトイレに行ったって気にならず、なにせコーヒーが無料だというのが極めてプロダクティブだ。特筆すべきプロダクティビティだ。

従来はスキャンや出力が必要になった際にはFedEX(つまり日本のKinko's)まで出向いて高いカネを払っていたが、これが全部ここで済むというのもありがたい。EMSなら斜向かいにあるUPSから発送できる。ちょっと向こうにトライデントという本屋とダイナーが一緒になったシモキタっぽい店があるのだが、そこから出前もとれる。

クリエイティブじゃないやつにはちょうどいい。そう、僕みたいに。

会員はスマホに表示させたQRコードをスキャンして、入口でサインイン/サインアウトをやる。

だからウェブでポータルサイトにアクセスすれば、いま店内にいる人のプロフィールをリアルタイムに確認できる。

「あそこのテーブルに資料を積み上げてる娘は......学生か」みたいなことが、顔写真付きのプロフィールで照合できるのだ。きっと僕もやられているだろう。「あそこの席にいるチャイニーズは......」もう慣れた。

こうして同じことに興味をもっている人を見付けたら、話しかけてディスカッションしたり、気が合えば一緒にプロジェクトを起ちあげたりセックスをしたりといった多彩なUXが想定されているんだろう。

これは僕の理解ではかなりクリエイティブだが、いまのところ誰かが知らない人に話しかけているところを見たことはない。

僕はといえば、紹介されたって知らない人と話すのは苦手だ。

 

しかし、ではご参考までにCOVEでともに孤独な時間を過ごした今日のイカしたメンバーをポータルから拾い上げて紹介しよう。

フリーのブランドマネージャーのベン。こいつにないのはブランドだけだ。

学生のニーナ。医大生でミュージシャンのマニ。法学生のクリスティン。おまえらは学校で勉強しろ。

グラフィック・デザイナーのMJ。さっきからずっとFacebookをやってる。つまり仕事が欲しくてここにいるのだろう。

環境問題を専門にするフリーのコンサルタント・シェリル。いちばん近付きたくない手合いだ。

デジタルマーケティングの専門家・ブリトニー。要はウェブ広告屋だろう。クライアントへメールを打つ指に育ちの悪さが出ている。

会計士のブライアン。オフィスのない会計士にカネのことは任せられない。

そして「ITコンサルタント」に身をやつした僕。ずっとブログを書いてる。

どうだろう。

こういう面々が入り江(cove)の堤防に腰掛け、むっつり黙って釣り糸を垂れているというような具合だ。

ときどき誰かが手帳を閉じる小さな音が(パタム.....)と響き渡るような、そういった空間がコワーキングスペース・COVEだ。

僕の席は入って右手のずっと奥、誰にも邪魔にならないいちばん後ろのデスクと決めている。

 

後部(COVE)座席。

 

THE COVEといえば太地町のイルカの追い込み漁を撮ったドキュメンタリーだ。

少なくともシェリルとは絶対に、この話をしてはいけないという作品だ。

ザ・コーヴ [DVD]

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イルカを食うなとかクジラを食うなとか、あれこれ云われた日本人が「お前らだってフォアグラ食ってんだろ!」「ウシやブタなら食っていいなんて理屈がどこにある!」とやけっぱちな反論をしながら、一方で誰かがイヌやネコを食うという話を聞くとやっぱりどうしても眉をひそめてしまうのは、これは人情というものであって、もとより理屈で解決する問題ではない。

だいたい日本人でもイルカなんか食ったことのある人はほとんどいないはずだし、僕ぐらいの年代だとクジラだって禁漁になる以前の昔に給食で食ったぐらいのもんだという人が大半のはずなのに、ただ食文化に干渉されるのが不快だからといって、守る必要のないものを守るがために無理しているのがいまの日本だという気がする。

たとえばマグロやウナギを禁止されるのに比べれば、イルカやクジラを一生食べられないことぐらい僕はなんでもない。

許されたってどうせ行使しない自由を守るために、シーシェパードみたいな連中とドンパチやる気にはならないが、みなさんそうでもないらしい。

ただノルウェーあたりになると、クジラにかけてはそれはもう切実な思いがあるようで、ときに味わい深いエピソードが聞こえてくるため、このへんはシェリルもちょっと覚えておいた方が身のためというものだろう。

ノルウェー海軍がグリーンピースの乞食船にブチ切れて、
捕鯨船にこれ以上接近すると射撃するぞと警告したがゆうに20kmは離れてたので
「打てるもんなら撃てや!田舎海軍なんぼのもんじゃ焼き!」
してタカをくくってガン無視して更に接近したら、正確無比なレーダー射撃で至近距離に
76mm砲弾がバンバン叩き込まれ
「本気で頭おかしい国は相手にしたくないから見逃してやる」と、捨て台詞を残した事件』以来、
グリーンピースノルウェー捕鯨船には手を出してない

めもメモMemo — 『ノルウェー海軍がグリーンピースの乞食船にブチ切れて、...

こういうことを云うとまたいろいろ怒られそうだが、僕は法によってお縄になったり命を落としたりというリスクを取っている以上、この手の団体を止めるいわれもないなと思ってる。

捨て身の相手を牽制するというのはそもそも無理な話でもある。

彼らだって死ぬときは死ぬのだ。フォアグラにせよ核にせよ、人にとやかく云われるのには我慢のならないフランスなんかを相手にした日にはこれだから。

フランスの工作員ニュージーランドで作戦行動、死者1名って、これ絶対ダメだから。場合によってはテロ以上にヤバいからね。

まぁでも、僕は核はともかくフォアグラは好きなので、この点についてはフランス国民の肩を持たざるを得ない。

ガチョウのこともたまに、フォアグラを食べてないときには「かわいそうだなー」って思ったりもするけど、ブタの屠殺だって、一度見るとなかなかつらくてブタ食えなくなるっていうじゃない。人間は真実を知りつつ、それに目をつぶって生きていかないといけないこともある。知ること、覚えておくことは大事。考えることはもっと大事。でもそれに従っては生きていけない自分を恥じつつフォアグラをいただくということも大事なんよ。まっさらなまま、綺麗に生きていくなんてことはできないんだから。

最近も、動物を殺して食べるのはよくないということで突如ビーガンになったKが、フォー・ガー(鶏肉のフォー)を鶏肉抜きで食ってるから、「でもおまえそれ、スープ鶏じゃん」って云ったら「ま、スープはもうしょうがないかなと思って」って云ってたよ。

「鶏を殺さずスープをとるがよい」とか、「ヴェニスの商人」かよって思ったね。

ま、こんな話をしてもシェリルは笑ってくれないと思うけど。

ただ、僕も自分のプロフィールの “ I'm interested in....” (私の心をひきつけるもの)っていう欄に“ Whale ”(クジラ)って書いて彼女の出方を見たいなとは思ってる。

何か動きがあったら連絡するね。

動物の値段―シャチが1億円!!??

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