新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

俺たちには、働くしかないということ。

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三十代もなかばを過ぎた人間が、やりがいだけに駆られて仕事をするなどというのは無上の贅沢というほかない。

カネも家族も、社会的意義も信仰も一切関係のない仕事に取り組んで一ヶ月になる。知人からの連絡は絶えた。

だが、遠足前症候群とならび試験前症候群はいくつになっても収まらないもので、そんな仕事をしながらでもときに気はそぞろになって普段はあれほど嫌なブログを書きたくなったりする。

ところで「大人の症候群」としてはビジネスクラス症候群もわりと危険で、僕はこれを直すのに二年ぐらいかかった。成田 - ホーチミンシティの六時間をビジネスクラスで往復していた当時の自分をみかけたら、情けなくて死んでしまうと思う。

 

この気持ちに片を付けるだけのために、一本エントリを書こうと思った。

「三十分で片を付けてやる」

その言葉が僕に、働く理由というやつを思い出させる。

 

大学の卒業が迫ったとき、僕にはやりたいことがなかった。

正確にはむしろ、人生やりたいことが多すぎて仕事をしているような時間はないという確信があったというべきで、これはつまりひらたく云えば「働きたくないでござる」という例のやつにほかならない。

 

もしどうしても仕事をひとつ選ばなければならないとして、その代わり何を選んでもいいとしたら何をするか。

就活生が血眼でやるという「自己分析」を、例によって勘違いした僕は進まないエントリーシートを前に、毎夜そういうことを考えていた。

ある日、ひとつだけ胸に迫る仕事が見付かった。

空母に乗艦する艦載機のメカニック」

作戦行動中の機動部隊を指揮する空母に被弾した艦載機が煙をあげながら帰ってくる。

消火器があげる煙のなかを駆け寄ると、思いのほか被害は小さかった。交換すれば、飛べる。

ラダーを降りたパイロットがヘルメットを脱ぎ捨てながら云う。

「三十分でこいつを空へあげてくれ」

クランクを力一杯回しながら、僕はそちらへ叫ぶ。

「二十分で飛ばしてみせますよ!」

 

二十一世紀はインターネットが爆発した轟音のなかで幕を開けた。

東京という世界の田舎はいつものように、床屋へ列をなしてザンギリ頭を求める企業でいっぱいだ。

ネット回線が切れれば一円たりとも商売にならない職場にもかかわらず、ダイヤルアップとADSLを区別できる人間は僕ひとりというのが、僕が流れ着いたバイト先だった。

「バカでも分かるネットワーク」みたいな本を書店で求め、暇な職場で読んでいるうちに周囲とのリテラシの差はますます開いていき、気が付くと一ヶ月に四百時間働くネットワーク管理者になっていた。

専用空調のガンガン効いたフロアで夏場からコートを着込んでサーバの保守をしていると、時給千二百円の僕の月収は単純な計算のうちに五十万円を超え、いつしか借金が消えていた。

 

「はっきり云って、やりがいなんか、くそくらえだ」

 

どこへ行くのかも分からず、ともすれば轟沈の危険の方が高かったあの職場に乗艦していたあいだ、夢に見たメカニックを演じるような高揚感がなかったといえば嘘になる。

また、働けば働くだけ見返りがあるなどという連勤術も産業自体に異常な活性があって初めてのことだというのは、凋落もエンディングが近い日本の家電メーカーをリストラされる中高年の無防備な生活設計をみるまでもない。

だがいまでも云ってしまうのだ。

何がしたいのかわからない、やりたいことが見付からないという人に出会うと。

働け。

これは自分の本当にやりたいことではないという気持ちを深く抱きしめたまま、黙って本気で働き続けろ。

その先に何があるにせよ、ないにせよ。

それ以外に道はないのだから。

 

では、仕事をします。

退職してトクする失業生活バイブル

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