新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

坂の上の雲はバングラデシュにも出ているか。


新宿メロドラマ。-整列

"Welcome to our school!"校舎へ向かうあぜ道を行くと、両脇に並んだ制服姿の少年少女が拍手で我々を迎えながら口々に叫んだ。

「サラーム・アライ・クム」という控えめな声も聞こえる。イスラム圏に共通する挨拶で、返事は「アライ・クム・サラム」だったはずだ。昔行きつけだったバーのバーテンダーが突然エジプトにかぶれてそのまま姿を消してしまったが、その直前、店に貼られた何かのポスターにそんなことが書いてあったのを思い出す。


校舎の前に開けた草地(と云ってもこの国はほぼ全土が開けている)には500人だか600人だかといった生徒が一糸乱れず整列をして我々がやってくるのを待っていた。

こちらへ来てからいろいろなことがあるが、もはや云っても始まらないので恥じたり恐縮したりという反応は抑え込むことにした。生徒がどう思っているにせよ、せっかくの歓待なのだ。せめて堂々としていることだろう。

縦隊を組んだ生徒たちの前に向かい合って立った少年が声を張り上げる。気を付けッ、休めッ!かけ声に合わせてザッ、ザッと動く整然とした様に訓練のあとが見られた。


この手の訓練は僕も小学校でやらされたものだ。

同じような鍛錬が日本を遠く離れたここでも見られる理由はひとつ。これが近代的軍隊の教練を模したものだからだ。軍国主義や軍政のもとにあって、初等教育は優秀な軍人(兵士)を軍にリクルートするために存在する。「気を付けッ」「休めッ」は疑いもなくその象徴だ。

日本の場合、敗戦とともに卒業生を送り込む先は軍隊から産業界へと転換したが、皮肉にも教育を支える精神はさして変わらなかった。本質はそのままに、ただお得意先を帝国陸海軍から「ニッポン株式会社」へ変えただけだったのである。最近まで職場の朝の慣習がラジオ体操だったのも、何かというと経営者の口をつく「全社一丸となって・・・・」という無意味な云い回しが「進め一億火の玉だ」にそっくりなのも、結局は戦前・戦中からいまにいたるまで日本の教育が本質的な転換を経験していないことの現れに他ならない。

つまりバングラデシュの、この学校においてもと僕は推察する。

近代の軍制に倣って設計された社会に対し、それに適した人材を送り込むための教育が行われている。

悪くない。軍制は民主主義社会一般よりも遥かに効率的であるから、これから経済のテイクオフに挑もうといういまのバングラデシュにとって、これは悪くない戦略だ。というか日本が戦後から30年ぐらい迷うことなく採ってきた戦略と寸分の違いもないと云っていい。


子供たちの保護者だという数十人の大人たちが居並ぶ前で、校長によるプレゼンテーションが始まった。

まずはるばる日本からやってきた我々に対する謝辞があり、次にこの小学校の取組みについての、誇らしげな紹介が続いた。

バングラデシュでは初等教育(日本で云う中学校までだ)を終えると、子供たちは進級のかかる試験を受けることができる。

これに合格すると、ダッカ高等教育のプログラムへ進むことになるのだが、こちらの学校からは毎年数名の合格者が出続けていると、その年度と人数を諳んじて校長は説明した。

子供たちは、と校長は銀縁メガネの奥から僕たちをねめつけ、親たちを代弁するかのように強調した。「教育を受けたがっています。親も子供たちを喜んで学校へ行かせようとしているし、学校はコミュニティから多大な支援を受けています。ここでは9人の先生が教えていますが、政府から給料が支払われているのは4人に過ぎません。5人はコミュニティから給料が支払われるのです」


それは凄いと昨日の村を思い出して僕は思った。

食べるものの心配が常に一番で、永遠にそこから抜け出せないかに思われた村。教育が彼らをバングラデシュの未熟な産業社会に接続し、経済の発展に巻き込んでくれるだろうという希望を理解できない人々。それがここでは大違いだ。この村では随分違う段階の何かが進行しているのだった。

「教育を受けたいという子供たちは大勢います」校長の熱弁は続く。「ですがここでは教室が足りません。土地はあってもコミュニティには学校を建設することができません。日本の協力を得て、この村に新たな学校を建設するためにあなた方の力をお借りできれば幸いです」

了解した。肯定も否定も感じさせない非常に政治的なジェスチャで応じた僕をみて校長は眉根を寄せた。

だが何のヒモも財布も持っていない身分ではここで曖昧な約束をしてしまうわけにはいかない。この歓待の様子を見るにつけ、プレゼンテーション次第で簡単に学校が一棟建つと期待されているのは間違いないから、空手形を切ってしまって取り返しのつかないことにはならないよう、気を付けなければならない。

ただ、ここの住民が教育のニーズについて、それがこの国に何をもたらし、彼らに何を還元するかについてのマクロなイメージを確固としてもっていることは分かった。それは非常に喜ばしいことだ。少なくとも僕にコメント可能な状態だという意味で、僕にとって喜ばしい。昨日の村を体験してからというもの、共通理解の存在がいかに心強いものかをいやというほど思い知らされた。


都市へのアクセス。

要するにそれだとここに至って僕は確信する。

都市は近代国家の、資本主義社会の見本市だ。都市へ一定以上のアクセスが許されていると、住民たちの間に豊かさのイメージが生まれ、希望が発動する。

親の希望が子供たちに教育機会を与える。教育を終えた子供たちがどこへ行けばいいかは決まっている。都市だ。

都市へ出て、産業社会の兵士として俸禄を得るのだ。都市で生産された商品をここまで運ぶことはさほど難しくない。さきほど道ばたに見かけた雑貨屋を思い出してもそれは明らかだ。

そうして豊かさはフィードバックを生む。


新宿メロドラマ。-未就学児

運動場がわりの草地に1人、背格好は生徒たちと同じなのに、教室に入らずこちらの方をじっと立ってみている少年がいた。

「学校に行きたいのに行けなかった」という戦前世代からよく聞かされたエピソードを思い出す。どこのどんな世界でも学校に行きたいと子供が願うのは当然だと思っていたが、そうではないのだと今はわかる。

豊かさがフィードバックを生み、子供たちの希望が発動する。


「それでは教室を見てみましょうか」Aさんに促されて起ち上がった僕は横目で校舎の壁の縞模様を捉えている。黒々と刻まれた洪水の痕。


豊かさはフィードバックを生む。

都市で得た賃金がものに交換され、この村へ流れ込むことで豊かさが夏の暑さを和らげてくれることを彼らは知る。豊かさが病を癒してくれることを知る。そしていつか、豊かさが洪水をすら遠ざけてくれることを彼らは希望するようになるのかもしれない。


希望が回転し始めている。

この村では回転する希望を動力にしたフィードバック・システムが動き始めている。

人間性には頓着しないその乱暴な仕組みが生み出す騒音と振動を身体に感じるような気がした。

それは僕のよく知る、慣れ親しんだノイズだった。

この国の希望がむき出しの欲望に変わるまでには、まだ時間があるだろう。