新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

ダッカ2010:言葉は僕のものではない。

暑い/寒い、辛い/甘い、高い/低い、尊い/醜い、清い/汚いと、言葉は一見自由だ。

あるいは言葉は組み合わせによってさらに多次元的なスペースを飛び回ることができる。「ドブネズミみたいに美しく」というやつだ。こうすれば言葉はもう美しい/汚いというベクトルを脱線する自由を獲得している。

しかしバングラデシュで見たものについて、僕の云いたいのはそういうことではなかった。

そこで僕が見てきたことのなかで重要なものは1つしかないと云ってもいい。それは

「農村地域のあの人たちは、あれは動物だ」

というその事実、その他すべての震源たるその認識である。

だがこのフレーズは果たして「生きている」のであろうか、表現たりうるのだろうかと僕は恐れる。

人間のことを動物と同じだと言い捨てたひとを、かつて僕は知らない。

わかったような口を利いて「いやぁ、我々人間もみな動物だよ」などと云う者はいても、たとえば障害のある人を指して「あれは壊れた人間だ」と云ったり「欠陥のある人間だ」と云ったりするのと同じ意味で、ひとを動物だと云ったことのある人を僕は知らない。なぜか。

それは貧しくても、障害があっても、教育を受けていなくても「人は同じ」で「平等」だという仮説を支持する社会に我々が生きているからだ。

いやな思い出がある。

小学校には特殊学級があった。

あるとき特殊学級の教師がプレゼンテーションを企画し、それが行われた。

特殊学級の生徒たち自らも壇上に立って、その活動やカリキュラムについての紹介が行われたあと、我々にアンケート用紙が配られた。設問1を鮮明に覚えている。

あなたは特殊学級のひとたちのことをどう思いますか?

 1: ばかだと思う。

 2: かわいそうだと思う。

 3: みんなおなじだと思う。

「正解」は3だと読み取った僕はそつなくそのように回答した(僕は僕でそういうタイプの子供だった)が、それにしてもと今でも思う。

このアンケートを用意した教師はその立場を利用して、いったい何をしようとしていたのだろうか。

特殊学級を必要とする生徒たちに対しては特殊学級でもってしか平等な教育を担保できないから特殊学級が存在するのであって、そんなことはそれこそ「ばか」な小学生にも明らかなのだ。

それを「みんなおなじだと思う」などと、事実はおろか生徒たち自身のストレートな(そして正しい)事実認識や感覚までをも否定するかのような誘導尋問を行い、どのような世界を作ろうとこの教師は企図したのだろうか。

人は生まれながらにしては平等でない。

だが平等ではないことを悲しむ心を持って生まれている。

だから平等であれと願って様々な努力をするのだ。障害のある者も、ない者も。

よってお前たちにもと教師は語りかけるべきであった。努力を求めたいのだと。

しかしこの教師は馬鹿であったからそうはしなかった。

そうではなく、「障害のある者は、障害のない者とは違う」というシンプルな事実を指摘する言論を封殺したのである。

言葉を殺したのである。

こうした言葉の圧殺は今日にいたるまでありとあらゆるところで行われている。

「裸の王様」という童話を読み聞かせ、「真実を恐れない心」を鍛えなさいと子供に言い聞かせる一方で、真実を告げる手段を刈り取るのが僕の知る「戦後民主主義教育」である。

だいたい民主主義などこの国では一度も実現したことがないにもかかわらず、そんなことがバレるとまた原爆を落とされかねないからと、「日本は民主主義国家だ」「日本は民主主義国家だ」と言いつのる大人たちが言葉を粗末にした挙げ句、「日本は集団的自衛権を有しているが、行使することは禁じられている」などとわけの分からない言葉遊びで憲法解釈をして、それがなんと「政府見解」としてまかり通ってきたのが、この国だ。

理想は、理想だ。それでいい。理想が理想に過ぎないからと云って何恥じることがあろうか。

他方、現実は現実なのだ。何かをなそうとしてこの手が触れるのは理想ではない。現実に触れるのである。その現実がいかなるものか直視する勇気を、この国の教育は損なっている。理想を語る言葉ばかりは教えられて、現実との対決姿勢を表明する言葉は簒奪される。

結果、僕の言葉は僕のものではなくなってしまう。

「あのひとたちは動物となんら変わるところがない」という言葉で僕は自分の見てきたものをあなたに伝えたいと思う。

だがそれを口にするとき、僕はすでに恐れている。

あなたと僕が共有している「日本語」の言語体系が、このフレーズを受けとめ、あなたに正しく伝えてくれないのではないかということを。

現実についての表現を、思想でもって裁かれてしまうのではないかということを。

メディアでそれが起こる。

ニュースキャスターがこんなことを口にすれば、彼/彼女はその日で降板となるだろう。それどころかCMが明けたらいなくなっている可能性すらある。

学校でそれが起こることはすでに述べた。

家庭でもおそらくそれは起こる。

なぜならかような教育を野放しにしたのは我々の親にあたる世代の人々だからだ。

言葉はツールではない。

それはあなたと話す相手のふたりを包む社会が許す共通理解のひとつの「現れ」でしかないのだ。

異国での数日間を過ごした後、成田へ向かう機上の人となって僕は謙虚であった。

僕は日本の社会でしか満足に生きていくことができない人間だ。日本の社会の限界と境界には注意深くあらねば生きる場所を失ってしまう。

「あのひとたちは動物となんら変わるところがない」。

僕がバングラデシュで発見してきた事実はおそらくこうだ。だがこの言葉を平然と口にして、おののくことをしなくなってしまったとき、僕は日本人として生きていくために必要な精神構造を失ってしまうだろう。それは言葉の通じない異国でパスポートを失ってさまよい歩くことに等しい。

みぞおちのあたりに何か重たいものが詰まっていて、じんじんとうずき続けていた。

成田は寒かったがTシャツにジャケットをはおっただけの格好でも平気でいられるのが不思議だった。

バックパックを背負い、税関でパスポートを示して質問を待つ。税吏は礼儀正しい男で、滞在先についていくつか尋ねたあと、最後に何か申告すべきことはあるかと訊いた。

バングラデシュでは人と動物に大きな違いがありません。

しかし日本語にはそれを伝える言葉がありません。

僕は差し出されたパスポートを受け取り、答えた。「いえ、なにも」

ではどうぞ、お疲れ様でしたと税吏は云った。次の方。

少なくとも、と僕は到着ロビーの外へ出るとタバコを一服吸いながら考えた。

2010年のバングラデシュから言葉を持ち帰るというのは簡単なことではなかった。

5日前、文房具ではち切れそうになっていたバックパックの中身はほんのちょっとのお土産品にとってかわり、僕は身体のまんなかに何か静かな熱をもった真実を感じていた。