大学の長い夏休みが明けると、教室に居並ぶ学生の背中は身体のなかに抑えきれない熱を抱えているように見えた。
教授の点呼に、はいと声をあげて答えるとその背中のいくつかが驚いたようにぴくりと動き、何人かが首を巡らせてこちらをうかがうのが見えた。
この「教科教育法」の講義が始まったのは4月。初めて出席したこの日はもう9月だった。
「あぁ・・・きみは、病気かなにかだったのかな?」
教壇からわざわざ尋ねてくれた教授とその他の熱心な学生たちは、点呼の一番はじめに名前を呼ばれる人物がただの一度も講義に出席したためしがないことに気付いており、ついに最後まで姿を現さないものと思っていたようだ。僕もそのつもりだったのだからもちろん彼らに非はないけれども。
「いえ、元気です。大丈夫です」
僕が答えると、先生はあきれたように云った。
「今からじゃ、付いてくるのも大変だと思うけど、頑張って」
* * * * *
大学では前期の講義が終わりになる6月の末に教育実習を終えた。
もともと人見知りが激しく、また努力することも失敗することも嫌いなタチで、できることなら余計なことには一切かかわらず、素うどんみたいな人生を送りたいと願っていた僕にとって、母校で予定されていた二週間の実習は当初、地獄かまたはそれ以上の責め苦に思われた。
だが教育実習とは将来の教育現場を担う人材を育てるために送り出す大学(我が母校)と受け容れる学校(我が母校)とが連携を取り合い、いわば互いに迷惑を顧みず取り組む一大事であって、4年生の春に演習が始まると同時に手配された教育実習を、あたかもバイトの面接か何かのようにぶっちぎるようなことなど、ちょっとした「桑田、早稲田蹴る」→「早稲田、PLからは一生選手とらないと決める」みたいで到底できることではなかったのだ。
だが二週間の「修行」はかけがえのない体験になる。
それはもしかしたら、心と身体は大人になりながらまだ両親の庇護のもとにあって、刻々と迫り来る「実社会」を前に漠然とした不安を抱える学生が「自分にも、何かができる」「自分には、誰かに教えられることがある」と初めて気付いた感動に過ぎなかったのかもしれない。
だが実習の最終日を終え、高校時代の恩師たちと囲んだ宴席で同期が口にしたお礼の言葉をいまでも鮮明に覚えている。
「ここにくるまで教育実習は教職課程における義務だと思っていました。でもいまは、教職課程をとる者だけに許される特権なのだと思います」
それこそがまさに、僕の云いたいことであった。
そして大学卒業まであとわずか半年を残すばかりのこのとき、僕は教職課程を修了して教師になることを決めた。
* * * * *
「教科教育法」の教授はクリエイティブだった。
とかく教職課程の講義というのは自動車教習所の授業を思わせるおざなりな、ベルトコンベアに乗って教授が現れ、また運ばれていくかのような退屈なものが多く、3年生で履修した「教育学原論」に至っては前期の試験すらダルくてさぼったというのに、通年でたった二度出席しただけで「優」がついたという、さすがの僕も驚くほどのマスプロぶりであったが、この教科教育論は随分と趣を異にしていた。
「なぜ将来何の役にも立たないような数学を勉強しなくちゃならないんだと、きみたちは生徒たちから云われることになるだろう」
教授が学生に話しかけていた。それは高校時代、僕の友人たちが教師に噛みついて云ったのとまさに同じセリフだった。
「何の役にも立たないかもしれないようなことに一生懸命取り組んで身につけるということ、それ自体が将来役に立つんだ!なんてことを、そのとききみたちは答えてはいけない」
それは精神論なんですと教授は云った。それはあなたたちよりも古い世代の大人たちが云ったこと。
「これから教職に就くきみたちは、こう答えなくてはいけない。
『きみたちはこの学校の教育課程に則って勉強し、それを修めるという誓約書にサインし、自ら望んでこの学校へ入学してきた。だからこれはきみたちの義務なんだ』
とね」
僕は感心し、教授の云わんとすることのすべてを理解したと思った。
そしてそういうときの常として、僕はその後二度とこの講義には出席せず、レポートを提出して単位を取った。
* * * * *
「これからの『正義』の話をしよう」でマイケル・サンデルは多くの例を挙げ、社会生活のなかで我々が直面する様々な「正義」をめぐる葛藤を分析する。
テキサス州西部のアンドルーズ高校の一年生、コーリー・スマートはチアリーダーとして人気を集めていた。脳性麻痺のため車椅子で動き回っているにもかかわらず、フットボールの二軍チームの試合でサイドラインから元気いっぱいに応援し、選手とファンの熱気をかき立てた。だが、シーズンが終わると、コーリーはチアリーダーのチームから外されてしまった。
学校の理事は数人のチアリーダーとその親に突き上げられて、翌年もチームに加わりたいなら、ほかの部員と同じテストを受け、開脚や宙返りといった難易度の高い体操の規定演技をするようコーリーに求めた(238ページ)。
多くの女子学生がチアリーダーのチームに加わることを望みながら、難関を突破できずに悔しい思いをしていることは事実だ。
そして車椅子のコーリーが、そうした厳しい試験を通過することができないのもまた疑いようのない事実である。
だがおそらくこれを読んだ多くの人は、コーリーに加えられた圧力に対して、不快感や憤りを感じるのではないだろうか。
では僕がこの措置に深い憤りを覚えたとして、僕はどのようにしてコーリーをまたチームに復帰させることができるのだろうか?何をもってこの措置が「不当」あるいは「不公平」であると主張するべきなのか?
コーリーは「障害者」だから?ではどのような障害をもった人も、いかなる障害のない人に優先して何かを得る資格を持つのだろうか。
あるいは多くの人が僕と同じように不快感をもっているから、この措置は撤回されるべきなのだろうか?
だがそれは多数意見の専横を意味するのではないか?ドイツ国民の熱狂的な支持を受けるナチス政権下ではユダヤ人弾圧こそが正義になるのだろうか?
この問いには哲学者たちの思索のあとをひもとくサンデル教授が答えてくれるだろう。
僕が思い出したのは、たった一度だけその声を聞いた、教科教育法のあの教授だった。
感情は、もちろんリアルだ。
だが感情は、制御されなければならない。それが家族であれ友人であれ学校であれ職場であっても、社会のなかにいたければ感情は制御されなければならない。
なぜなら感情は人それぞれに千差万別であり、その全員にとって自分の感情は同じようにリアルだからだ。
「こうでなければならない」あるいは「こうであってはならない」と人が感じるとき、それはもちろん感情の訴えに他ならない。しかし我々のなかにあってリアルなそれは、取り出してひとに見せたときには幻になっている。彼にとってリアルなものは、彼のなかにある別の感情だ。
だから我々は言葉を交わす。
言葉は僕の感じたことのすべてではない。だが言葉は相手に伝えることのできるすべてである。そして相手が理解することのできるすべてでもある。
感情の危うさは、それがあまりにもリアルだというところにある。
自分ひとりにとって、それは疑う必要もない憤りであり、不快感なのだ。
だが言葉にして伝えることのできないそれまでを共感せよというのは無理な話だし、たまたま同じ感情を抱いた人々と徒党を組んで、そうでない者の「リアル」を迫害したりすれば、あなたもまたいずれ同じような目に遭わされることになるだろう。
* * * * *
「正義」「平等」「幸福」を謳う者同士が毎日のように争いあっている。
彼らの「議論」はしばしば「嫌だ」「許せない」といった言葉で終わり、大衆の共感を奪い合う。
彼らは感情に訴えることで多数派を形成しようとしているのだ。
そしてそれは即ち、少数派の感情を圧殺しようとする目論見にほかならない。
繰り返すが、感情は千差万別だ。
権力者をまつりあげようとする「多数派」のなかにいる者も、いずれ何かのひょうしに自分が感情的な少数派になることを考えてみた方がいい。
言葉が尽くされていないことが問題なのだと気付くだろう。
そして言葉に尽くしきれない領域に踏み込んでまで、人を動かし、利用してはいけないのだということも。
「政治家の言葉」の重要性がしきりに取りざたされる。
その本当の意味を理解している日本人が、果たしてどれほどいるものだろうかと考える。
* * * * *
結局僕は教師にはならなかった。
理由はささいなことだったが、いまではそれでよかったと思っている。
今でも疑うことのない教育者の「やりがい」は、しかしまだ若い僕には少し刺激が足りなかったことだろう。
実現していたら、いずれなにか破廉恥な事件を起こしていたような気がしてならない。
取り乱して「愛」などと口走り、「お前のなかの正義と、社会における正義とはまったくの別物だ」と誰かに諭されていたかもしれない。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
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