車を連ねて村を出た我々は、Aさんの幼なじみで議員のHさんが経営する繊維工場を表敬訪問した。
地震国からきた私にはどう見てもにわか造りにしか思えないその工場、というかむしろ作りかけなのか壊しかけなのかというぐらい半端な作りの工場は、しかしここ数日招かれて足を踏み入れた建物のなかでは段違いに見事な二階建てだった。
今日は土曜日で、休日だ。わざわざ出勤してきてくれたのか若い工員によるデモンストレーションなどを見て、二階のオフィスで甘ったるい茶をごちそうになる。
乾燥しているため汗はかかないが、暑さで身体が疲れている。日本なら吹き出す甘さの茶がほっとする美味さだった。
学校を二つ訪問して、今回の旅はメーンイベントを終えている。まだ半分の日程を残しながら、緊張がわずかにほどけ始めて軽い頭痛が始まっていた。
ダッカ市内に戻るとまたとんでもない渋滞だ。
郊外と違うのは日本車がやたら多いことと、どちらを向いても東京無線みたいな色のオートリキシャが走り回っていることだ。こいつらはいったい一日に何人ぐらい死んでいるのだろうかと考える。
ワールド・トレード・フェアが開かれている。国際見本市だ。
もう時間は夕方だがとてつもない数の人が押し寄せていた。多くは各国ブースで販売されるどちらかといえば日用品に近い物品を買うのが目当てらしい。
「ボディガードにここでは笛を吹くなと云え」T氏がAさんに指示した。「この人混みで笛を吹いても人を怖がらせるだけだ。なにもこんなところで危険はないだろう」
Aさんは何か云いたげだったがボディガードの隊長に指示を伝える。彼らは忠実で、身振りと声で我々の周囲を整理するようになった。
恐ろしく混雑している会場の入口付近にはバングラデシュ名物の物乞いが奇形の身体をさらして座り込んでいる。物乞いがいるのが都市だ。
広大な会場にはアジアを中心とした各国のメーカーがブースを出しており随分繁盛していたが、なにしろ鍋を売っている店が多かった。
私は鍋が好きだ。
昔はフライパンが好きだったが、最近は大きめのソースパンが気に入っている。
次々に現れる鍋のブースにはずいぶん心を惹かれたが、迷彩服を着た兵士にガードされながら鍋を選ぶところを想像すると、消費税が導入された当時、報道陣とSPに囲まれながらデパートで水玉のネクタイを買っていた海部首相を思い出され、やめた。
日程が少し、狂い始めている。
昼食をとるはずだった店の予約をキャンセルし、「NGOで活動している日本人と話がしたい」という僕の願いもついにかなわなかった。長い道のりを同行してくれた人々をお礼に夕食へ招待したくもあったが、T氏も僕も今日はもう疲労困憊といったところであった。
時間はまだ7時を回ったところだったが、ホテルへ帰ろうとT氏が提案した。腹が減った僕はバックパックからプリッツを取り出してT氏と分ける。
3日目が暮れようとしている。
ホテルがもうそこに見えるところから車寄せまで、まだ20分あまりもかかる。車に果たして何の意味がと一日に何度も考えさせられるのがダッカだ。
ロビーで落ち合う時間を約し、T氏と一度別れる。部屋に戻って風呂を浴び、タバコを吸って考え事をした。