米下院議員フランク・アンダーウッド(ケヴィン・スペイシー)がギラつく権力への欲望のままに大統領への階段をのぼる姿を描く話題のドラマシリーズ「ハウス・オブ・カード」は米Netflixによるシーズン3の公開をもって完結した。
ロシアでプーチン大統領を批判する曲を発表して逮捕されたことで有名なパンクバンド・プッシーライオットのメンバー2名が本人役で出演するエピソード3(シリーズ全体ではエピソード29にあたる)は、大統領の座に就いたフランクがロシアのペトロフ大統領をホワイトハウスに招くところから幕を開ける。
晩餐会で乾杯の音頭を取るフランクは、神妙な顔で覚えたてのロシア語を口にしてゲスト達を煙に巻く。
「いまのは英語でいうと『よう、食器は持って帰らないでくれよな』という意味です」
返礼に立ったクセ者のペトロフもまた、何事かを朗々とロシア語で述べた。
「英語に直しますと、『フランス人のことだけは信用するな』という意味です」
テーブルを包む和やかなムードは、やがてプッシーライオットのメンバーがペトロフに噛みついたことから変化し始める。
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2011年5月14日、ニューヨークを訪問していたIMF専務理事(当時)のドミニク・ストロスカーンが帰国寸前の空港で現地警察に身柄を拘束される事件が発生した。
容疑は宿泊先だったソフィテルホテルのメイドに対する暴行、すなわちレイプであった。
本人は合意のうえの行為であったと容疑を否認するが警察は彼を刑務所に拘留してしまう。
ときはまさにギリシャの債務危機に始まった「欧州ソブリン危機」第二幕のまっただなかであり、欧州委員会やECBと連携してことにあたるIMFのトップがこれでは話にならんということで4日後の18日、ストロスカーンは専務理事のポストを辞任、フランスの通貨マフィアの指定席であるこの職はラガルド現専務理事が襲うことになる。
世界でもっともパワフルな人物の一人であり、フランスでは翌年の大統領選に出馬することが確実視されていた「大統領にもっとも近い男」の実に卑劣で破廉恥な容疑に世界は驚き、落胆した。
しかし公判の開始が近づく6月末頃、事件を捜査していた検察当局が妙な情報をリークしはじめたことから事件は意外な展開を見せる。
「被害者であるメイドの証言に疑義あり」というのだ。
ニュースは日本ではほとんど忘れられており、新聞の囲み記事には「事件後、メイドがボーイフレンドと電話で話した会話が録音されており、この内容から告訴の信憑性に疑念が生じている」というようなことが報じられていたが、どういう理由でこれが録音されていたのか、ホテルの通常のオペレーションなのか、このメイドに狂言の疑いがもたれていたから録音の令状がでたのか、はたまたこの会話と録音も大きな筋書きの一部だったのかは不明だ。
いずれにせよ、8月22日に検察が起訴を取り下げ、ストロスカーンは晴れて自由の身となる。
一切の政治生命を絶たれたあとで。
このストロスカーンの「政治的な死」をめぐってはアメリカの主導した陰謀であったという説が後を絶たない。
ストロスカーンはすでに女性職員との「不適切な関係」を疑われるなど女性スキャンダルと無縁の人物ではなかった(後述)とはいえ、売春婦まがいのメイド(のちに売春婦だったと報道されるが、本人は新聞社と「和解」)との関係を速やかに通報され、あたかも逃亡を図ったかのように空港で拘束され、国際機関のトップという立場にもかかわらず逮捕・拘留のうえ辞任に追い込まれたという経緯、さらにはその後まったくのおとがめなしに釈放されて失ったのは政治的地位だけという顛末に鑑みれば、それも無理のない話だといえる。
アメリカの捜査当局に、あまりに慎重さが欠けているのだ。
しかしこのストロスカーンも聖人とはほど遠い人物であったため、社会的地位を失って帰国したのち、今度はフランス法によって思い切り起訴され公開処刑に近い目に遭っているから、陰謀によって追い落とされたにせよ存分に脇の甘さがあったことは間違いがない。
かつては仏大統領候補と目されたこともあったストロスカーン被告は、当時自らが率いていたIMFが「前例のない規模の」経済危機から「世界を救おうとしていた」さなかに、乱交パーティーのような「狂乱的な」集まりを企画するはずがないと否定し、そのようなパーティーは2008~11年にかけて1年に4回の頻度で催されたにすぎないと証言した。
否定してるのか肯定してるのかよくわからず、非常に深みある証言だ。
女好きであることが周知の事実であったればこそ、「嵌めるならオンナだな」と思われたのは想像に難くない。
なおニューヨークでの逮捕に始まる一連の出来事に着想を得た映画が公開されている。
主演はジェラール・ド・パルデュー。
ストロスカーンの逮捕と政治的な死をめぐってはIMF改革についての彼の主張が米国の怒りを買っただの、2009年イタリアでのG7で麻生太郎首相(当時)の意を受けた中川昭一財務大臣から1,000億ドルの拠出を取り付け国際金融体制におけるアメリカの相対的地位の低下に拍車をかけたのが悪かっただのと陰謀説を裏付ける憶測があとを絶たず、これはこれで追いかけるとためになる話ではあるのだが今回は見送る。
ここで思い出したいのは「フランスにはセックススキャンダルが存在しない」という通説。
ストロスカーンもまた、性的なスキャンダルを抱えながらもIMF専務理事という世界指折りの要職にあり、かつ大統領にまで上り詰めることが有力視されていた。
一般人であろうと政治家であろうと、成人同士の不倫や「適切でない」性的関係がスキャンダルにならない。クリントン前大統領がモニカ・ルインスキー事件で叩かれた際にも、フランスではクリントン擁護一色であった。
当時はアメリカでも「私達は大統領を選んだのであって聖人を選んだのではない」と政治にセックススキャンダルを持ち込むことを嫌う有権者の声が紹介されたりしていたことはあった。
しかしフランスの場合には、そもそもセックスがスキャンダルになりえないという点が特異である。
反対に、フランスは、18世紀の革命以前はカトリック教を国教としていたが、現在は無神論者が50%という、EC諸国でもっとも宗教離れが激しい国である。現在、毎日曜日教会に通う信者はわずか4.5%に過ぎない(注4)。もはや性を「悪」と断罪するキリスト教的道徳はほとんど存在しないといってもよいだろう。
この時、「同僚から性的嫌がらせを受けた場合には?」というジャーナリストの質問に対して、当時の女権大臣ヴェロニック・ネイルスは「自分で張り倒せば?」と答えている(注6)。
「フランスでは、仕事の場でも誘惑し誘惑されといった恋愛ゲームが許容されているが、こういう習慣は危険ではないだろうか?」という質問に、ナタリー・コシュースコ=モリゼ環境大臣が次のように答えている。「性犯罪は厳しく取り締まるべきだと思う。でも、男女関係がアメリカ流のピューリタニズムで干涸びてしまうのは勘弁してほしい。男女がお互いを尊重しながら、時にはユーモアを混じえて危険な会話を楽しむ余裕がある社会のほうがいいと思う」と(注9)。
「自分で張り倒せば?」というのが僕は一番好きだが、「アメリカ流のピューリタニズムで干涸びてしまうのは勘弁してほしい」と、自分の国はともかくさりげなくアメリカをdisるあたりにフランス人の性格の悪さがにじみでており、なんともいえない。
かつて日本人を「働きアリ」と斬って捨て、「日本人はアリ。何度殺しても出てくるアリ」とまでdisったと云われるクレッソンはフランスの首相であった。
「ほとんどのイギリス男はホモだ」とも発言、こちらはイギリスのタブロイド紙に「イギリス男に振られたのでは」と皮肉られた。
日本はあわてて時短に走って週休2日制へ動き、ただでさえ低い生産性をさらに低下させたが欧州の政治世界はおよそ政治的な正しさとは無縁の揶揄・挑発に満ちているのだし、特にフランス人のそれが鼻持ちならないのは誰もが認めるところであって、真面目にとりあって良いことはひとつもない。
「国家に真の友人はいない」のだ。
日本は個人的な友情とマッチョイズムを重視するロシアとは少しは気が合うかも知れないが、自由主義をレバレッジにして利益を実現しようとするアメリカのビジネスマインドには結局のところ付いていけないだろう。
イギリスは常に自分の金勘定をするのに忙しく、フランスと話をするのはバカにされるために出て行くようなものだと心得なければならない。
国際社会における「名誉ある地位」を得ようと日夜頑張ってるのよねと憲法の序文でうたう我が国は「外国」に認めてもらうため今日も一生懸命なのだが、結局人というのは自尊心をもった人のことを尊敬するのだという言葉の通り、答えは日本人の内面にこそあり、他国からの評価は聞き流すぐらいでちょうどいいのよねと思うよ。
そんじゃーね。