深夜、突然携帯が「みくみくにしてあげる♪」で僕を呼ぶ。
ウィンドウに「痛風持ち」の表示。ケニーだ。
41歳の春をとうに越えたケニーは10歳も年上なのに僕の弟分をつとめる痛風持ちのラケンローラーだ。
飲んだときだけ「俺ももう一花咲かせたい」とくだを巻くのだけは本当にいただけないと僕は思うのだが、これだけはどうにも直らない。
どうした、と訊くと「俺はいま囲炉端にいる」とケニーが応えた。歌舞伎町だ。
ひとまず「そうか」とだけ返すと、しばらく電話は居酒屋特有のガヤに支配されたが、「ま、それを伝えたかっただけだよ」と云うとケニーは自分から電話を切った。
寂しいから寄ってきて、恥ずかしいから離れていく。
そういうめんどくさい人間たちのコミュニケーションで街の喧噪はできている。
それは都心を遠く離れた僕たちのところへもしっかりと聞こえてくる通奏音だ。
「都会の喧噪は意味をなさず、それは沈黙に等しい」と東京を憎んだ叔父は云った。
僕にはそうは思われず、当然それを憎みもしない。
切れた電話の長い沈黙が、暗い部屋のなかで大きく鳴り響いている。
僕はケニーの健康を祈り、残ったペリエの続きをやる。