タイやベトナムに在住する日本人にとってその名前は内地の日本人より重要な意味をもつ落語家・立川志の輔師匠。
いまや超長寿番組となった山瀬まみのライフライン・「ためしてガッテン」による知名度もさることながら当代ではチケットのもっともとりにくい噺家であるにもかかわらず、シンガポールやタイ・ベトナムでは毎年「志の輔落語」と称す高座があり多くの日本人が詰めかける。
ホーチミンシティでも回を重ねるたびに人気を呼び、また当地の日本人増加もあいまってややプラチナチケット化の様相を呈してはいるが、本当に志の輔師匠の落語を聞きたいという人が涙を呑まねばならぬような状況にはまだまだほど遠く、主催者、出演者の皆様には頭の下がるばかりである。
東南アジアのご当地ネタを織り込みつつ供される二本の落語は、その後ANAの機内オーディオの「全日空寄席」でも楽しむことができるようになる。
* * * * *
「ためしてガッテン」が昨年、国論を二分する歴史的な大論争を巻き起こした。
「パスタをゆでるのに、塩は必要なのか、否か」
ことがことだけに一部では血で血を洗う闘争にも発展し国家の崩壊が危ぶまれたが現在は沈静化している。
このような悲惨な事態を招く原因になったのは、そもそもは多くの日本人が「パスタをゆでるときに塩を入れるのは沸点上昇を利用して高熱にすることがパスタの歯触りに影響するから」だと誤解していたことにあるとみられる。
「ためしてガッテン」では、通常パスタをゆでるときに推奨されている1%程度の濃度で実現する沸点上昇はほんのわずかであり、パスタのゆで具合にはまったく影響しないことを証明した。
塩の多寡によってパスタの歯触りが変化するためには1%どころではない量の塩をぶちこまねばならず、それによって生じる変化も塩分がパスタ表面のグルテンに働きかけるからであって沸点上昇とは関係がない。
これをもって「パスタの湯に塩を入れるは理なきなり」と早ガッテンするお粗末な視聴者が続出、SNSなどを通じて一面的な情報が拡散することになったのである。
この証明は現在も公開されている「ためしてガッテン」のウェブサイトで確認してみてもよいが、しかし本来パスタをゆでる際に塩を入れるのはとりもなおさずパスタに塩味を付けるためであって、ソースに味が付いていればただの湯でゆでても同じだ、塩を入れるなど無駄だと思い込んだ連中はふだんパスタを作らないか、端的にバカだ。
* * * * *
本年40冊目。
「男のパスタ道」(土屋敦/日経プレミアシリーズ)。
「一冊まるごとペペロンチーノ」と聞けばいろんな変わりペペロンチーノのレシピで埋まった本だと考えるのが普通だろう。
実際には著者の求める究極の一皿を生み出すためペペロンチーノの調理過程すべてについて実験を繰り返した模様を記録した求道の書である。例を挙げればパスタのゆで方の検討だけで4章が割かれるとか、そういう調子。
先に述べた「ためしてガッテン」でも紹介された「パスタをあらかじめ水で戻す調理法」についてもあらためて検証が加えられており番組をご覧にならなかった方にも納得度は高い。
オリーブオイルはペペロンチーノと相性が悪い、ニンニクの味はオイルには移らないなどパスタをめぐる数々の常識を覆してくれるのは非常に新鮮で、勉強になった。
ペペロンチーノというのはそればかり食っていると栄養に偏りが出るのが難点で正直あまり手が出ないのだがここまで付き合わされたからにはひとつ俺も、という気になることは間違いない。
ところで本書で繰り返される「乾燥パスタをふたつに折る」という一見罰当たりな行為。
このとき実際にふたつに折るのは極めて困難であり、通常はみっつ以上の破片に割れてしまうことが知られている。
この理由を探った研究はイグ・ノーベル賞を受賞している。
「スパゲッティが二つの部分で折れるとき、最初の“折れ”の瞬間を「時間0」とし、次の“折れ”の瞬間を「時間1」とすると、折れの長さは「(時間1)-(時間0)」の時間差の平方根に比例して大きくなる」
塩不要論に踊った軽率な連中とは完全に次元の違う世界に酔う。