新宿メロドラマ

安っぽいヒューマニズムは要らない。高いのを持ってこい。

深夜を過ぎて三十分/終わってしまった戦いのあと

本当はこんなブログを書くのではなく大見得を切って予告したとおり長編小説を書かなければならないのだが、この一ヶ月ですでに三回挫折しており、これは少々方法論について落ち着いて考えなければならないぞということになったため、その間はブログに時間を投じることにした。

なお、ここしばらくは夜中に自宅で深酒をすることが多く、いろいろと実生活に不具合も生じているのだが、この原因は「小説が書けないストレス」だ。

こういうことを云うと「肩肘張らずにとにかく書け」と云われることも多いのだが、僕には書きたいものがあって、そうはならないのなら別に書けなくてもいいのでこういうチャレンジだけはこれからも孤独に続けていこうと思う。

では僕がどんなものを書きたいのかということについてはコナン・ドイルが「恐怖の谷」でシャーロック・ホームズにこんなことを云わせている。

「モリアーティはちっぽけなクルミひとつを割るのに巨大なハンマーを使う男だ。それはとてつもないエネルギーの無駄なのだが、クルミは確実に割れる」

モリアーティが僕、あなたがクルミで、僕の書きたい小説は「巨大なハンマー」です。

ちなみに僕はこんなブログにすら、毎回四、五時間もかけて書き上げているのです。

*     *     *     *     *

ボストン発の成田行きは一日に一便しかない日本航空の〇〇七便だ。冬はドカ雪が降れば遅れるが、どのみちクリスマスを過ぎれば春が来るまでボストンはオフシーズンだから満席ということはあまりなく、乗客も初めから何かいろいろと諦めている様子がある。

理由は忘れたのだが、その日僕はビジネスクラスを予約していた。たしか知人の結婚式に招かれて帰る二月はじめのことだったと思う。

窓際から二列並んだ通路側に腰掛けて機内誌を読み飛ばしていると、ちょっと失礼、とつぶやいて日本人が隣のシートへ入ってきた。

機内で隣にひとがいて得をすることはまずないから心中で舌打ちしていると、せわしく靴をスリッパに履き替えた男はこちらに顔を寄せて、「日本人ですよね?」と訊いた。

そうでないフリもできたが、のちのち客室乗務員相手に下手な英語で演技するハメになるのも嫌だ。仕方なく「そうです」と答えると、男は

「では成田までの十三時間四十五分、ひとつよろしくお願いします」

と不吉なことを云った。

僕は特に人好きのするタイプではないが礼儀正しい振る舞いは身につけているので、「よろしくお願いします」と会釈してみせたのがよくなかったのだろう。

男の話は、まだ食事も出ないうちから始まった。

ボストンへはお仕事ですかと尋ねるので、こちらに住まわっているので一時帰国だと応じると、そうですか自分はこれこれという用事でと男は全然噛み合わない導入をやり、そのうえでもう一度こちらの仕事を尋ねてきた。

それほどおかしな様子の人間でもないので相手をしていると、どうやら男は市井の教育者ともいうべき生業を営む経営者らしく、ボストンに何の用事があったのかはいまいち要領を得ないが、どうやら誰かに招待されてひとに会いに来ていた帰りということのようだった。

ビジネスクラスは、あなたはこれマイルで乗ってるんでしょ?」

そうです、と嘘をつくと、そうだよなと納得したような顔で頷いているので手を上げようとしたとき、客室乗務員がやってきて食事の前のアルコールを勧めた。

「赤ワイン」

乗務員がグラスを取り出すと、男はボトルを見て伸ばしかけた手を引っ込め、「テイスティング」と云った。

突然のことに戸惑いながら見ていると、男は受け取ったグラスから立ちのぼるアロマを嗅ぎ、うんいいね、オーケーと云った。

付き合ってやろう、と腹をくくったのはそのときだったと思う。

当時はまだ派手だったJAL機内食へ嬉しそうに文句を付けながら、男はよくしゃべった。

僕は僕で酒も入れたし、ひとと食事をするのは何より嫌いだとはいえ機内のことで差し向かいでもない。耳だけは相手の方へ向けながら、いい頃合いでウィットに富んだ合いの手を入れる僕は、実は昔から「親父キラー」で鳴らした接待上手であった。

男と僕は十年ほど違う大学の同窓だと分かり、そのとき僕がたまたま手を出していた教育関連の事業について知っていることを話すと、男は一気に天井まで吹き上がった。

彼の長広舌から伝わる教育理念と経営方針にはわざわざ賛成しないけれども、それなりにリーズナブルなものだとは感じた。ただ、男が本当のことを云っているのかどうかが分からない。大きすぎるスモールトークの問題はこういうところだ。

やがて男は自分自身の人生を振り返り始め、父親との確執に触れた。男と僕とのもうひとつの共通点がそこにあった。

男の老いた父親と僕の父親は同じ大学で教鞭をとっていたことのある研究者で、父子のすれ違いが思春期で片付かなかったのもまったく同じだった。僕が少し自分のことを話したら、男は嬉しそうに頷きながら聞いた。

「あの大学に親がいて、本人はこちらの大学へ行くというタイプの親子がそうなるというのは分かる気がするんだよなぁ」何杯目かで白ワインに変えていた男は云った。

「それでもう、きみも疲れちゃったでしょう。人生のエネルギーを昔から父親との戦いに吸い取られて、自由になったときにはもうヘトヘトになっちゃって戦えない。僕もまったく一緒」

思いがけず、それはその通りだった。

その日を遡ること数年前、ひとり実家へ戻り、「どんなにダメな子でもおまえは俺の息子だ、心配するなといちどでいいから云って欲しかった」と伝えて和解を申し入れたとき、三十二歳にもなって僕は父親の前でむせび泣いていた。

僕は父親の手を逃れるために道を選び、道を外れ、本当に大変な思いをして生きてきて、そのときにはもう疲れ果てていたからだ。大学院をドロップアウトして、就職した先を辞めて、めちゃくちゃに働いてひとを傷付け、自分も傷付けて取り返しの付かないことをして、大金を稼いで大金を使って、僕は幼い頃から自分を否定してきた父親の人生を、圧倒的な力で否定し返そうしていたのだ。

そうしてその先に、僕がもういちど結婚をすると決めたその結婚式に、父は来ないと返事をよこした。これだけ長いあいだ戦ってきて、父からはやはり否定しか引き出せないのだと知って、僕の心は折れた。

「そうやってたったひとりの息子を無き者のようにして、生意気だから結婚式も断ってやったと云いながら、そうしてこの先ずっと生きていって、あなたは幸せに死ねるのか。幸せな人生だったと云えるのか」

泣きながら、喉の奥から絞り出す言葉に父は何も云わなかった。

 

おまえのお父さんから手紙をもらったぞ、と当時の社長が云ったことがあった。

それはさらに四、五年も前のことで、僕の初めの結婚式で社長が主賓の挨拶を務めてくれたあとだった。

あいつは余計なことにばかりきっちりしていますから、と応えると、社長はまぁそういうなよと笑っていた。

なんて書いてありました?と訊くと、社長は「教えない」と云ってまた笑った。

「ただなぁ、こんなことは書いてあったぞ。

 息子は作家になりたかったんだけど、親がそれを理解しなかったので家を飛び出して知らないところで暮らすようになってしまった……。

 なんだおまえ、家を出奔して行方知れずになってたのか?」

すべてが的外れだ、と思った。

そのうえそれを俺ではなく、社長のところへ勝手に手紙でよこしている。

だが、僕が作家になりたくて二十代で親を捨てたのだという結論を父が導き出していたことはその時知った。

*     *     *     *     *

散々に食い散らかしてデザートにチーズの盛り合わせまで取り寄せた男は、機内が減光するとさっと毛布をかぶって寝てしまった。成田に着く直前にようやく眼を覚ますのだが、その後は終始言葉少なで、ろくに挨拶もしないまま別れることになる。

翌日、受け取った名刺にあるメールアドレスへメールを送ったが、二年経っても返事はない。

*     *     *     *     *

僕が涙を流して懇願したあと、父は披露宴への出席を承諾し、当日は関西から東京へ日帰りした。

それからいまも、僕と父は関係修復の途上にある。

だが僕たちにはそもそも何を修復すればいいのかが分からず、それは想像上の動物を完成させようという作業に似ている。それでももうふたりには時間がなく、失敗はできない。

最近、どんな話の流れだったかは忘れてしまったが、キッチンのテーブルで酒を飲んでいるときに、夜半も近い電灯の下で父が自分の子育ては間違いだったと認めるようなことを云った。

子どもは子どもらしく育てばいい。学者の親は人生を答えのない探求の旅だと教え、終わることのない試練へ幼い子どもを追い立てようとする。そんなことをする必要はない。子どもは親のもとで安心して育てばそれでいいのに。

どうやらいくつものうまくいかなかった家庭があり、父はこの十年にいくつかの不幸な死をすら見てきたらしかった。

そして僕に関しては詫びはなく、ただ「おまえは俺の失敗した子育ての結果だ」と伝えられただけだ。

だが僕にはそれが、自分が何十年も必死になって追いかけてきた勝利なのだと分かった。

達成感も高揚感もなく、ただひたすらに虚しいだけの勝利だった。でももうその先に目指すものは何もなくて、いままでずっと僕を駆動しつづけてきた巨大な歯車がぐるっとゆっくり一周したあと、静かに停止した。あとにはもう動くものは何もなかった。

ゼロ・ダーク・サーティ」のラストシーンで女性分析官がただひとりC130に乗り込み、「どこへでも行きたいところへ連れていく」と云われているのに、行くべきところが見付からず、朝陽を浴びて静かに涙を流すところを思い出した。

ビン・ラディンの死んだ世界にまた日が昇り、僕たちは新たな一日を始めなければならない。

物語はもう終わっているのに。

*     *     *     *     *

僕は長い時間をかけて、自分の人生を一個の目標をもった巨大なマシンに作り上げてしまった。

いまは失われた目標のあと、小説を書くこと以外にこのマシンを救ってやる方法はないと感じている。