つくづく邪悪なやつよりバカなやつの方が遙かに危険だと思わされることだ。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」
正義を叫ぶバカものどもが、総出のボランティアでこの国のコントロールを国民の手から奪おうとしている。
彼ら自身やその子らも国民だというのに、嘆かわしいことだ。
2020年東京オリンピック・パラリンピックのメーン会場となる新国立競技場。
そのデザインを「ザハ案」に決定した審査会の委員長を務めた安藤忠雄が記者会見。
開いた口のふさがらない発言が飛び出す。
日本の総力を挙げて、ゼネコンも思い切って、『日本の国のためだ』と言ってもらわないと。それが日本のゼネコンのプライドなんではないかなと思ったりするんですね。だから、ゼネコンの人たちも、もうからなくても、『日本の国のために、日本の誇りのために頑張る』と言っていただけたら、やっていただけたら、
【新国立・安藤忠雄氏会見】(2)「ゼネコンの人たちも、もうからなくても『日本の国のために頑張る』と言ってほしい」「徹底的なコストの議論にはなっていない」(1/4ページ) - 産経ニュース
これはもう思考の枠組みとして、こないだ戦争に負けたときのそれとまったく同じであって、残念ながら「ゼネコン」が「国民」に置き換えられる日ももはや遠くないことであろうと噛みしめるものである。
だいたい企業は株主のものであって国のものではない。「日本の国のため、日本の誇りのために」とお願いされる筋合いすらない。
国民の命と誇りが国民のものであって、国のものでないのと同じだ。
政府が経団連に対して賃上げを要請することですら異常な事態だとみられているのに、この人物の世界観はまったく壊れている。
政治にまつわる議論というのはどちらかが折れるまで終わらないので親しいひととは政治の話はしないようにしており、SNSでも知人の政治的な主張には触れず、僕の政治的なポストに応答した人には「我々の平和」のためにご遠慮を願うことにしている。
しかしその実、僕は今回の安保法制にまつわる立法プロセスには断固反対の立場だ。
だがそれは「戦争か平和か」とか「殴られて身を守らないのか」とか「攻撃をためらわせる程度の武力は必要でないのか」とかいったこととは関係がない。
閣議決定によって憲法解釈が変更され、安保法制案が上程されたプロセスに僕は反対しているのだ。
この点について少し詳しく僕の立場を説明しておくと、これだけで何人かの友人を失いそうだが、僕は日本国憲法九条はわかりにくくて、いまや憲法条文として充分に機能していないので改正した方がよいと考えている。
だから憲法改正に向けた議論を始めましょうよというのが僕の立場であって、集団的自衛権の行使を解釈改憲によって合憲とするなどという振る舞いは許されないというわけだ。
なぜ解釈改憲がいけないのかということに踏み込むと、これは安保法制や集団的自衛権の問題にはとどまらない。
日本国憲法の三原則は「国民主権」「平和主義」そして「基本的人権の尊重」だ。
このうち「平和主義」を構成するハシゴのひとつに手をかけた為政者は、同じ手法でもって有事にあたり国民の基本的人権を大幅に制限する有事法制の整備に進むことになる。
そして「有事事態」を宣言するのは時の内閣以外にないから、こうなるとあとはもう幻の爆撃だろうが領海侵犯だろうが、実際に発生しているのかどうか僕たちにはわからない「有事」宣言でもっていつでも国民の権利は制限されることになるだろう。
なぜそんなことを断定するかといえば、これらはすべて「国民からの主権の簒奪」という古今東西あらゆる権力者が夢見る目標に向けたロードマップであって、決して安倍晋三が悪い奴だからというわけではない。
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」(ジョン・アクトン)のであって、絶対安定多数を背景にした権力は絶対安定的に腐敗するのである。
よって安倍晋三に罪はない。仮に安倍が幼稚園児の知能しか持ち合わせないとしても、やはり同じことをしたはずだからだ。この世に邪悪な幼稚園児は存在しない。
物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない
ーアントン・チェーホフ
戦争するとかしないとか、殴られたら身を守るか守らないかとか、そんな極論を云々しているうちに「目的をもった奴が着々と準備をして」いる。
僕は「国が僕の自由を制限するなら、国なんか要らない」という立場なので「国のため」とか「国民としての誇り」とか「頑張って」とかいったことを国から云われることにはまったく納得がいかない。
それでも安藤忠雄の言葉は遠からず、誰かもっと致命的な力をもった人間の口から繰り返されることになるだろう。
「他の国が攻めてくるっていうときに、人権を云々してたって仕方ないだろ?日本国民の人権を守るために戦うんだよ」って云うやつもたくさん現れるだろう。
こういうやつが、陰で紊乱を主導しながら非常時大権の委任を受けたパルパティーンを万雷の拍手で独裁者の座へ迎えようとするのだ。
「自由は死んだ。万雷の拍手のなかで」(パドメ・アミダラ/「スターウォーズ/エピソード3 シスの逆襲」)
僕たちは何のために「スターウォーズ」を観てきたのだろう。
独裁者は高揚と拍手のなかで、堂々と歴史の正門から迎え入れられるのだということを、いままた忘れようとしている。まさに “I have a bad feeling about this.” だ。
他の国と戦争することで国民の人権を制限して、その生命と財産を一手に握ることを目的にしているやつらがいることに気付かず、勇ましいことを云ってお先棒をかつぐ「名もなきヒーロー」がいまにも世の中にあふれることになるだろう。
国民から主権を取り上げるためには他の国と戦争することも辞さない権力者のマニアックな精神性を理解できないやつらが最も大きな声で正義を叫ぶだろう。
「戦争した方が得になる」やつらの存在を想像することができない、それは彼らの卑小さであって、彼らが悪いわけではない。
しかしそういったやつらが誇りに顔を上気させながら、地獄へと続く道を必死で舗装するその姿が、現代日本の黙示録だと僕は思う。
ところが社会というのは為政者を定めないことには機能しないほど複雑だ。
権力は腐敗する、しかし権力はやはり誰かに付託しなければ現実的にはやっていけないのだ。
近代以降の歴史はこの矛盾を解決すべく立憲主義という仕組みを用意した。
つまり為政者は憲法の許す範囲において、その許す方法に則って権力を行使すべしという絶対的なルールがそれだ。
神や絶対王権を否定して、モノに過ぎない憲法だけを絶対と定めたところに重要なポイントがある。
モノはカネや権力に目がくらんだりせず、つまり腐敗しないからだ。
安倍晋三の愚かしさは、為政者たる自らの手でこの原則を破り「解釈改憲」という方法で憲法の性質を変えてしまったところにある。
ここにおよんで立憲主義という防波堤は破られ、国民の権利を保障するものはもうほとんど残されていない。
一方の安倍が損なったものは自分の権力の「正統性」だ。
国会論戦で明らかになったことのひとつに安倍が近代史をよくわかっていないという事実が挙げられるが、これぞバカが実力で勝利した瞬間、中東あたりの武力勢力が古代の遺跡を破壊してなんとも思わないというか、その姿が世界に知れることで自分たちの足下に穴を穿っていることに気付かないのと同じに見える。
「硬性」というのは簡単には変えられない決まりになっているということだ。
なぜこうなったかということを云っても今はもうしようがないので、これは戦後日本にとっては所与のものだと受けとめて、憲法が硬性であることによってどんないいことがあるのかを考えるべきだ。
僕の考えでは、これは非常に高いハードルを越えてでも「憲法を改正しましょう」という国民のコンセンサスが高まるまで議論しましょう、そうして理解し合いましょうということに他ならない。
繰り返すが、僕は安保法制の内容自体にそれほど異論があるわけではない。
よって時間をかければ(安倍晋三が夢に見ていると云われている)憲法改正を経て、新たな憲法九条の下で現在の安保法制が整うこともありえたのではないかと考えている。むしろその方が、半端な法整備のもとに戦地へ赴いた自衛隊員が一方的な危険にさらされる怖れも少なくなっただろうと残念に思う。
そしてその議論の過程では「殴られたら殴り返さないの?」などといった稚拙な、それ自体殴り合いのような応酬ではなく「なぜ自衛隊は海外へ行かなければならないのか」「日本国民の平和と安全、その豊かさはどこからきて、何によって担保されているのか」「交戦の現実とはどのようなものなのか」について、賛成も反対もなく国民が理解を深める機会が得られたはずだと思う。
そうしたプロセスを経ることでようやく、憲法は「厳密な言葉遣いで」改正され、安保法制や有事法制は国民の監視と抑制の下に整備されていくことが叶ったはずだというのが僕の考えだ。
※集団的自衛権とは問題が違うが、国民的議論によって常識は変わっていくよねと感慨深い
「機動警察パトレイバー 2 the movie」(1993年)のオープニング。
PKOへの参加が議論されていた当時に比べ、国民のコンセンサスはすでに大きく発展している。
ただし現在でもPKO協力法は民間人の保護や他国部隊の「駆け付け警護」に武器の使用を認めていない。「集団的自衛権」の行使にあたると考えられるためである。
一方ここで念のため、僕が自民党を含むどの特定政党もいまのところ支持していないということを示すためにも「護憲」勢力に対して一言云わせてもらえれば、とにかく憲法「改悪」許すまじ一辺倒の姿勢は原発の新規建設を妨害し続けた挙げ句既存原発の老朽化を招き、福島原発事故の遠因をもたらしたメカニズムによく似ている。
憲法が想定する国民投票を実施するため国民投票法を成立させるのは国会の責務であったと思うがそれにすら対案を出さなかった政党があるわけだし、憲法改正、特に九条改正については議論すら拒絶するような一部政党の姿勢は政党としての機能を放棄しており支持者からの付託に対し充分に応えられていないのではないかと考えるが、どうだろうか。
以上、ここまで。以下、憲法九条の改正について。
親愛なる読者の皆様にはいささか失礼だが、念のためここに憲法九条を引用しておく。
- 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
- 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
まず「戦力は、これを保持しない」という点。
すでに現実として自衛隊が存在し、抑止力として機能しており(機能してると僕は思う)、さらには国際社会の平和と安定に貢献すべくこれを運用していくことが「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め」(日本国憲法前文)るために求められているという現実に鑑みれば、むしろ自衛隊の地位を明確にして、その運用について国民的議論を背景に法整備をすすめ、自衛隊員の地位と安全に配慮することが国家の責務だというのが僕の考えだ。
そして自衛隊の運用について法整備を進めるというのはとりもなおさず交戦規定を設けるということでもあるし、
第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
- 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
- すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
軍法会議を認めるために、第七十六条もまた、厳密な言葉遣いで修正される必要があるだろう。
次に集団的自衛権の問題。
集団的自衛権というのは国連憲章でも認められてる主権国家固有の権利であって、日本にも当然認められている。
「認められているんだけど、憲法九条が行使を許さない」というのが従来の政府解釈だったわけだ。
戦後すぐならまだしも現代の日本に「そこまで萎縮しなくていいよ」という国際社会の声が寄せられているのが現実だし、経済大国になった日本が「憲法が禁じていますから・・・・・」と云い訳して米国をはじめとする他国の犠牲のもとに、たとえば紛争地域から原油をじゃんじゃん仕入れてくるなんていうことは、もう許されない。
注1 「九条が許さないから」というのが、「経済重視・軽武装」という方針で復興・繁栄を果たすための方便だったのは事実。
注2 「他国の犠牲」というのは「他国民の犠牲」だと捉える必要がある。外人部隊を擁するフランスを除き、各国は自国民の兵士からなる軍隊を紛争地帯へ派遣しており、犠牲者はこれら「自国民」であるという認識をもたなければ国際社会で責任ある発言はできない。
ということを考えれば、集団的自衛権についても厳密な言葉遣いで、行使が認められるということを明記すべきだ。
「アメリカの戦争に巻き込まれて・・・・」という人もいるが、もうとっくに巻き込まれている。
モータリゼーションの波に乗って発展を果たし、原油なくしてやっていけない社会になった時点でアメリカの戦争は日本の戦争だ。
「アメリカの息子たち」の犠牲のもとに安定をもたらされた中東から届く原油をすするばかりでは到底国際社会に名誉ある地位を占めることはできない。
戦列に連なるならば「日本の息子たち」である自衛隊員は叶う限りに守られねばならないが、戦地においてそれはとりもなおさず彼らが友軍を守るという意思をはっきり示すことにほかならない。
このために集団的自衛権の行使は必ず認められなければならないのだ。
あと、最後にこの問題をめぐって議論にのぼりがちな論点をいくつか列挙するけれど、ここでは論じない。
- アメリカの戦争に協力することで、日本がテロの対象になる怖れについてはどう考えるの?
- アメリカの戦争に協力することで、日本が負担する戦費についてはどう考えるの?
- 徴兵制が導入されるんじゃないかという話があるけど、これについてはどう考えるの?
- あなた自身は戦争になったらすぐさま逃げるって云ってるけど、逃げられない人のことは考えないの?
まったく、こういうことになるから政治的主張というのは厄介なのだが、共鳴してくれる人がいれば共鳴してくれと願ってアップしたまでのエントリなので、今後も知人との議論には応じません。あしからずご了承下さいませ。
【重厚感抜群!】 暴徒鎮圧部隊 機動隊 フルフェイス ヘルメット バイザー 付 BK ブラック サバゲー サバイバルゲーム ライオットシールド
- 出版社/メーカー: next.design
- メディア:
- この商品を含むブログを見る